(途中まで#1-1) |
|
しばらく森の中にコンクリート舗装のまま押し上げが続いた。細道の杉の葉が溜まった路面には狐の糞らしいものが落ちている。道に杉の落ち葉が溜まり、何と無くやばそうな廃道臭い感じになってきたところで斜度が緩くなり、最高地点を越えた先に田圃が見えた。
棚田を見渡す上っ縁のダートをしばらく進み、田代の一番奥、最高地点の手前で県道24に合流。「山古志村」の村境看板を眺めつつ、急斜面の集落種苧原へと下る。
この種苧原は、急斜面に棚田に農家に点在する杉の木という、山深い風景が拡がる。そう広くない山古志村を訪れたことがある人には、山古志村の典型的な風景でお馴染みのはずだ。
落ち込んだ谷を横断する登って下ってがあり、池谷の集落を抜け、羽黒トンネルの手前、大久保でで細道に分岐してそのまま南下。急斜面に張り付く細道からは、緑に染まった谷間と、さっきより大きく、そして明瞭になった越後山脈と、黒い山肌の残雪がくっきり見えた。
道が下り始めると、辺りは集落になった。闘牛の里らしく牛舎などもあり、道ばたの柵の中には角をつんつんにとがらせた精悍な黒牛が寝そべっていた。自転車を降りて近づくと、じろっとこちらを一瞥し、のそっと身体を起こしてくる。何が起こるのかどきっとしたが、特にそれ以上の反応は無いようである。しかし、その時気が付いたのだが、奥の牛舎の中からも何頭か目を光らせている(本当に光っていた)。
闘牛なだけあり、普通の牛の平和な雰囲気とは違う、何か敵意のようなものを感じる。考えすぎかもしれないが、ちょっと気まずい雰囲気だと思った。
梶金から国道291で竹沢へ、更に県道23で魚沼の終端部、魚野川の平野に降りてくると、お昼のサイレンが鳴った。
谷間から抜けて気温が一気に上がり、ちょっと運動は控えたいような暑さだ。しかし、魚野川と信濃川の合流部をクリアするため、多少入り組んだコースで平野部を抜けなくてはならない。おまけに国道17、関越自動車道小千谷インター周辺、国道117と幹線道路が続く。
真上から照りつける太陽、気温の高さと照り返しが堪える。こんなに暑くなるとは。もうくらくらだ。
国道117から並行する県道49に移ると、多少道幅は狭く、やや木陰も増え、少し生き返った気分にはなった。上沢で丘陵へ向かう道に逸れると、丘陵に登る坂がつらくてしょうがない。
河岸段丘上の平地を少し進み、栗山からいよいよ東頚城へ続く丘陵に突入。
草むらはまだ生い茂りつつあるという雰囲気だし、蝉もキリギリスもまだ鳴いていないが、日陰が無いととにかく暑い。気温と日差しの強さはもうすっかり夏だ。
標識の通りに進んだと思っていたのが、ダート細道を登り詰めると田圃のどん詰まりだったりなどということもあり、地図をよく眺めながら丘陵の細道に入り込む。そのまま登ると、1軒しか残っていない農家と、地形と道の合流点の形で自分の居場所を再確認できた。道が下り始めたところで予定通り小白倉の集落に到着。
国道403のつづら折れ折り返し、狭い谷間に民家が密集する集落だ。美しい日本の村第1位に選ばれたというこの集落には、長い間訪れてみたかったのだ。しかし実際には、そんなに驚くほどの美しい風景というわけではない。むしろどこにでもあるような普通の小ぢんまりとした山間の集落だ。でも、この平凡さ、当たり前さが受賞の原因なのかもしれない。
国道なりに坂を登り切ると大白倉だ。ここから国道403の新道が始まっているが、ここはできればくねくね細道の旧道を通りたい。
日陰で手ぬぐいを頭に乗せて休んでいる農作業中のおばあさんに旧道の入口と通行可否を教えてもらい、その通りに山間の細道をくねくね進んで、14:30、中仙田の道の駅到着。
14:45、道の駅発。渋海川に沿って南下する国道403には、大したアップダウンも無く、棚田や森、時々現れる集落を抜けて行く。
深坂峠の裾から流れ出し、松代を通って流れてくる渋海川の川原や岸辺の山々には、妙に平べったい岩が目立つ。すぱっと平べったく滑らかな岩の表面に、地質的に何か非常に特殊な特徴があるのではないかと想像してしまう。
しばらく道はフラットで、東頸城でこんな甘い話は無いだろうとは思い始めた頃、やはり予想通りに1/5万図ではわかりにくいアップダウンが始まった。少し登って周囲の展望が開けると、そろそろ赤くなりだした太陽光線が、彫りの深い丘陵と丘陵を埋め尽くした緑に青い影を作っていた。
そういえばもう松代町の境を過ぎ、東頸城に入っているのだ。この丘陵の彫りの深さ、山深さは独特だと改めて思う。
記 2004.6/22