尾岱沼→(国道244)標津
→(道道863)川北
→(町道・道道975)武佐
→(新酪農道)開陽台
→(新酪農道・道道150)養老牛
→(道道885)虹別
→(国道243・道道1040)多和平
→(弥栄農免農道)弥栄
→(道道13・道道951)西春別
→(国道243)厚床
→(道道1127)初田牛
→(道道142)落石 192km
初田牛
落石
厚床
別海
中西別
西春別
多和平
虹別
養老牛
開陽台
開陽
上武佐
標津
尾岱沼
起きると、昨日の晴れはやはり幻だったのか、50m先が全く見えないような濃霧が立ちこめていた。おまけに寒い。歯が鳴る。ゴアテックスの雨具・上2枚・レッグウォーマーが無いと走れないだろう。全部持ってきて本当に良かった。
寝ぼけながら見る週間天気予報が良くならない。道東スーパー林道リベンジはあきらめよう。
6:15、尾岱沼「まきばの宿」発。
霧に包まれた昨日の道を標津まで逆走する。高気圧が近づく天気図への期待はあるが、昨日まで霧と雨の世界だったので、またかよ、というあきらめの気持ちもある。まあもう少し様子を見ないとわからない。
6:50、標津着。
セイコーマートで補給中、何とサドルバッグのバッグループのベルトが、2本ともちぎれてしまい、バッグサポーター固定用ベルトだけで止まっているのに気が付いた。色々考えたが、結局フロントバッグのベルトをサドルバッグに回し、フロントバッグはナイロンのひもで蝶結びにして固定することにした。
そんなことをしている間に霧が晴れ、今日も青空が見えるようになっていた。
7:20、標津発。町外れの道道863からまず川北へ向かい、その後は昨日の朝も通った開陽台・養老牛の道を目指す。この道道863は、手持ちの1986年当時の地図には載っていない。中標津空港に向かう道として、その後造られた道のようだ。
空は次第に晴れてきていた。道が標津川沿いに内陸部へ向かって進む間、右手の北側の山々、知床半島の一番端の方から羅臼岳・海別岳・斜里岳、ずっと続いて一番西側の西別岳まで、山々がすべてくっきり見えるようになっていた。南側の空にはけっこう雲が出ているが、北側には雲一つ無い。昨日ずっと思い出しながら走っていた、憧れの風景を、現実に見ることができるようになっていた。
空気は澄んでいて、山々は、近くでは濃い緑、遠くの山は青っぽい何とも言えない色のシルエットになっていた。手前の輝くような明るい緑の牧草地、青っぽい広葉樹帯、深緑のカラマツ林の緑と、青空をバックにして緑の風景が素晴らしい。今日晴れてくれて本当に良かった。
カラマツの中の小さな集落、川北を過ぎ、少し北上したところで、突然道が途切れてしまった。道の先は牧場になっているだけだ。こんなはずではないが…地図を確認すると、本当は手前で西へ進路を変えないといけないようだ。戻ろうと思って後ろを振り返ると、ぐるっと地平線が拡がっていた。
手前のカラマツ林が牧草地を挟んでその向こうのカラマツ林とつながり、それが幾つも幾つもつながって、遠くに向かって色が消えて行く。これだけで、迷い道のタイムロスを悔やむ気持ちが一気にキャンセルされてしまった。
新酪農道へ入るとまた地平線が拡がる。これだからこの辺の道は楽しい。開陽台入口手前には、地平線へ消えて行くカラマツ林と一直線ダートを望める、個人的に大好きな場所がある。1986年の冬に初めて訪れたときに撮った写真が気に入っていて、全紙に引き延ばして未だに自分の部屋に張ってあり、ある意味年がら年中見ている風景だ。
今回もそこを訪れてみた。見上げる青空の中のカラマツは、写真より遙かに成長しているが、未だに変わらないダートの風景には、いつもの白黒写真に色が付いていて、いつものように道東のこの辺らしさを感じさせる。
取付の激坂をひいひい言いながら登り、9:15、開陽台着。今日の開陽台は、今年の夏が寒かったためか、普段は一気に寄ってくるアブが一匹もいない。
根釧台地の一番北の斜面にある開陽台から見渡せるのは、主に開陽台から南側だ。南の空に雲が多いが、昨日までの霧・雨の連続攻撃で、今日また開陽台でこの風景を見るとは思っていなかっただけに、この風景がとてもうれしい。
雨・低温が影響しているのはアブだけではなく、開陽台の裏側にテントを張るライダーやチャリダーたちが、今年はほとんどいないようだった。そういえば、昨日の知床でも、斜里からウトロまで1台のチャリダーも見かけなかった。これはかなり異例のことである。
9:50、開陽台発。激坂を降りて再び新酪農道から道道150に移る。
開陽台の取付部は他の区間よりけっこう高くなっている。ここから先は昨日・一昨日と一度全部通った道だし、一度下って又登り返すことになるが、なにしろ待望のお天気だ。
北進へのだらだら坂を登ると、また昨日と同じように北進台の牧場、昔アイスを売っていた建物、「牧舎」、牧草地にカラマツが次々現れた。空は薄く筋のような雲が何本か浮かび出していた。風はほとんど無く、日なたでは寒くなく、日陰ではきりっと涼しいという、景色も空気も最高の状態である。この道を通れること自体がうれしい。
養老牛温泉の交差点、養老牛の中川商店、西別岳登山口、その間の何度もの小さなアップダウン。時間が経つとどんどん道が終点の国道243の合流点に近づいてゆく。あまり期待していなかった今日の晴天だったが、今年も来て良かった。そう思って、きょろきょろしながら走る。
やがて正面に虹別の台地が、緑の中の国道243を一直線に走り去って行く自動車が見えてきた。いよいよこの道ともお別れだ。
最後に国道243のNHK中継所の丘から、ちょっと振り返って先に進む。今度は多和平だ。
多和平の名前を聞いたのは確か90年代始めだった。開陽台があまり有名になったので、標茶町も地平線の見える場所を作った、と言うことを聞いたように覚えている。人気も高い。私はずっと開陽台派(?)だったが、何しろ一度も多和平に行ったことがなかった。ずっと行くチャンスを狙っていたのだ。実は去年も行くつもりだったが、タイヤバーストのトラブルがあって、あきらめざるを得なかったのだ。
国道243から分岐した道道1040は、緩やかな起伏の牧草地の丘の間を抜けてゆく。この辺の道は、中標津・虹別辺りのなだらかな地形上のグリッドではなく、多少彫りの深い丘の間のくねくね道だ。
最後の坂は開陽台のように丘への登り道だが、開陽台よりもだいぶ緩い。11:45、多和平着。
地平線が本当に丸く見える開陽台ほどではないが、こっちもいかにも標茶の台地らしい起伏の大きな丘と、地平線に囲まれた独特の眺めである。今日は人が少ないのがいい。しゃれた売店にレストランも、肝心の展望台も、開陽台よりもさりげなく、しかし充実している。人気の秘密を理解したように思った。
開陽台にも寄ったり、いろいろとだらだらしてちょっと余裕が無くなっていたが、せこく走るよりも、こういう気持ちのいい風の中で長い時間を過ごしたい。というより、レストランのメニューに強力に惹かれていた。
結局吸い寄せられるようにレストランに入り、「標茶牛のトマト煮」を注文。ここがまた質素だが、外の空気が感じられる素晴らしいシチュエーション。もう残りの行程なんてどうでもよくなっていた。
レストランを出て、気が付くと空の雲はやや増えてきていた。12:35、多和平発。腹を満たしてふと考えてみると、早出した割には今日も時間が無くなってしまった。でも、厚床まで必殺技の全区間国道243を使えばまあなんとかなるだろう、と思った。
それでもちょっと悪あがきをして、一昨日通った道道13・道道951を経由する。静かな牧草地にはやや強い向かい風が吹き出していた。
13:50、上西春別着。国道243は、別海までは、川に挟まれた台地から一度も降りずに本当に緩い下り基調で東に向かう。だからこの道を行くのが一番早いのだが、交通量が少ないと言っても、いかんせん国道である。それに向かい風が強く、なかなか苦しい道のりになった。空に雲がいつの間にか増え、なんだかあまりぱっとしない気分だ。
14:20、中西別着。
14:50、別海着。根室方面にやってきて気温が低くなってきたのが明らかにわかる。コンビニ休憩の間に身体が冷えたのか、寒くてたまらない。缶コーヒーで暖を取り、レッグウォーマーと防寒着を装着する。
何かだんだん時間が追い込まれてきた。何度も走ったことがある道なので、ひたすら走るようになっていた。ひたすらとはいえ、何か疲れていた。緩めのアップダウンでもう一杯一杯になる。
16:55、厚床着。
初田牛から先は海岸近くの高台の森林帯の中、道道142を黙々と走る。曇り空の下のほとんどアップダウンもない道は、もともと独特の静かな雰囲気のある道だが、今日は特に黙々と落石へ向かった。
18:20、落石「カジカの宿」着。
夕食にはサンマが出た。脂が乗っていてうまい。今ぐらいが旬とのこと。今年が特に寒いからというわけではなく、毎年今ぐらいが旬なのだそうだ。
根室は夏祭りが終わってしまったらしい。「毎年夏祭りが終わると秋なんだけど、今年は夏が来ないで秋になっちゃったねえ。春と秋だけだよ、今年は」とのこと。
ちょっと外へ出てみると、とにかく寒い。闇の中に幾つも点るサンマ漁船の灯りをちょっとだけ見て、再び中へ戻った。
記 2002.8/12
#5に進む #3に戻る 北海道Tour02indexに戻る 北海道Tour indexに戻る Topに戻る
Last Update 2003.12/30