北海道Tour98 #9 1998.8/11 紋別→斜里

紋別→中湧別
→浜佐呂間
→常呂
→網走
→小清水
→斜里   165.4km

斜里

浜小清水

網走

常呂

浜小清水

中湧別

紋別

今日の経路(赤表示)と今日までの経路(灰色表示)

今日の経路(拡大表示)

 7:40、紋別発。
 空はべったりした雲で覆われており、旅館小山の前の路面は黒々と濡れている。紋別の街中を走りだすと、霧雨になった。今回のツアーでは雨具兼防寒のゴアテックスのウインドブレーカーを着なかった日がない。今朝はおまけに結構寒いので、ポロシャツを重ね着している。ウェア(レーパン)はツーリングのときにも便利だと思うが、こういう時は腹の防寒のため、短パンのほうがつぶしが効く。

 紋別から、交通量が増えた。道路のほこりっぽさは路面が濡れても変わらない。何故か今日も網走方面からの車のほうが紋別方面からよりも多かった。対向車線の車のウインドウを見る。ワイパーの動きで、これからの雨がわかるからだ。トラックも乗用車も、ワイパーは間欠作動だ。霧雨はいやらしい感じだが、そんなに強くならなさそうだ。
 昨日の紋別までの国道238号線はかなり海に近いところを走っていて、しぶきがかかるような場所もあったが、紋別からはかなり内陸部に入る。
 街を出ると、道路は軽いアップダウンを繰り返しながら、直線・カーブを描き、牧草地・湿地・原生林の間を抜けてゆく。出発後30分くらいはいつもそうだが、今日は特に前日の疲れが残っており、ももにしびれるような痛いような力の入らない感覚がある。

 今日も200km近い長距離なので、途中の通過ポイントには早く到着しておきたい。中湧別には9時過ぎに到着。すでに霧雨はあがっていた。10年前にちょっとお世話になった方のお店を探すが、鉄道が完全に廃止された中湧別の駅前にかつての面影は無く、さっぱりわからなかった。

 9:30、中湧別発。今度はサロマ湖を左にしながら走ることになる。鉛色のオホーツク海と鉛色の雲ばかりだった興部までの国道238号と比べ、変化に富んだ沿道風景となる。しかしながら、標高差50m程度のシフトダウンしなければ登れないようなアップダウンが続くようになる。
 サロマ湖というものにあまりいい印象がない。これは、サロマ湖脇のこの道路が交通量の多いほこりっぽい道だからだろう。サロマ湖に罪があるわけではない。
 道路はサロマ湖の分更に山側に入ることになる。山に貼りついている霧雨がまたやってきた。おまけに急に寒くなった。

 中湧別から網走までは、経験上では北海道の中でもかなりチャリダーが多い区間だ。チャリダーとは北海道の旅行者の間の言葉で、自転車で旅行する人を指す。JRerなんて凄い言葉も一時あったが、当然のように言葉は定着しなかった。
 札幌駅や函館でも思ったが、例年に比べ、今年はチャリダーが少ないように思う。7・8割というところだろうか。さらにライダーが少ない。いつもの半分くらいではないか。おとといの「なぎさ食堂」で聞いた話では最近10・20代のバイク離れが著しいそうだ。では、彼らは何で旅行してるのかというと、車だそうだ。しかし、実際にはそんなに車で旅行する若者が増えたとは思わない。

 2日目に泊った積丹YHがそうだというわけではなく全般的な傾向として、最近ユースホステルが結構雰囲気がいい。結論をいうと、それは宿泊者層の年齢が上がっていることにより、雰囲気とユースホステル自体が変わったからだろうと思う。泊っている人は30・40代が中心なのだ。全然ユースではないのだが、一時期の血走った個性主義は最近はすっかり影を潜め、そんなわけで再びユースホステルを時々利用するようになった。
 やはり、若者の旅行者は確実に減っているのだろうか。

 それまでも海側には青空が見えてはいたのだが、浜佐呂間を過ぎ、常呂の手前でようやく太陽が顔を見せた。
 手前で道路が向きを変えるため、常呂の周辺は道路が海岸に近接する。また、この周辺は何回か来たうちでも曇っていた試しがない。オホーツク海の空の色がここでは見える。それはもう青濃度(?)が非常に高い色で、確実に他の場所よりも青いと思われる。今日も見れたのだが、常呂の青い空・青い海はいつも楽しみなのだ。特に昨日「寒い・曇り・時々ガスっぽい」オホーツク海を見ながら走ったため、「この空と海は2日間の努力の賜物である」という変な所有意識が今日はあった。

 12:10、常呂発。時間は多少予定より遅れぎみである。
 廃止された湧網線の跡を整備したサイクリングロードを走ることにした。常呂の道の駅からサイクリングロードっぽい道を走りだす。と、すぐに道が終わり、脇の旧国道へ下る。下りきったらそこがものすごい落差の歩道段になっていて、あやうくパンクするところだった。「まだできてねえんじゃねえのかよ」とつぶやきながらしばらく国道を走ると、常呂の街はずれで今度は本当にサイクリングロードが始まった。
 93年はまだぶつ切れの部分開通で、全く走る気がしなかったこのサイクリングロードが、今やかなり走りやすい快適な道になっていた。もともと鉄道なので、国道よりも勾配が緩い。また、車の通行がないのでほこりっぽくない。

 途中で荷物を満載したMTBを抜いたあたりから、なんとなく空腹が始まった。水でごまかして先に進む。しかし、網走まではまだ20km以上あった。
 しばらくすると、道路が内陸に入るにつれ、また曇りになった。

 結局それはいわゆるハンガーノックだったのか、単なる空腹だったのか、今日までの疲労が一気に出たのかわからない。しかし、そのあたりからペースが見る見る落ち始めた。ちょっと油断すると後ろからMTBが近づいてくる。実際の疲れとプレッシャーで気持ちがあせり出した。
 サイクリングロード自体は素晴らしい。能取湖を左に眺めながら、それが終わると今度は右に網走湖が登場する。景色は抜群だし、細くても凹凸が極端に少ない、とても走りやすい道だ。

 14:00、網走着。
 寒い。とにかく寒い。風はない。しかし腹が減った。こういう状態ではまともに自転車に乗れない。下ばかり向きながら自転車を漕いでいた。
 網走の街はずれのセブンイレブンにかけ込む。寒いので、目についた「あれ食べよ!」を食べる。普段はちょっと高めのインスタントカレーだが、こういう時には何よりの回復剤だ。思えば、製造販売元の大塚食品はポカリスエット・カロリーメイトとアウトドアスポーツに役に立つ食品ばかり作ってくれている。「あれ食べよ!」がスポーツに役立つのは意外だが、実はけっこうツーリング中には愛用しているのだ。
 まだ寒い。紋別市にはモスバーガーがあった。紋別にあるんだから網走だったら当然あるだろうと思って、カシオペアに入っている「モスバーガーデータベース」を開けてみた。そしたら、ない。網走市にはモスバーガーがない。名寄や根室にだってあるのに…(上記3市のみなさん、失礼)
 結局、網走まできてケンタッキーフライドチキンで3ピースを食べた。店で食べている間、気がついたら居眠りしていた。

 14:30、網走発。これはいつものことだが、休憩後の足には力が入らない。しばらく慣らしペースの走行である。
 網走から斜里まではアップダウンが少ない。その代わり、海岸に近づくため、風が強くなる。今回は行く先と直角方向の風だ。ほんの少し方向は向かい風だが、追い風以外の風は基本的に辛いのだ。時間はかなり遅れ気味である。

 小清水の原生花園の駐車場は、この季節にしては信じられないほど空いていた。寒いからだろうか。咲いている花も異常に少ない。
 浜小清水駅到着16:00。ちょっと悩んだが、この時点でまだ宿泊予定地の岩尾別YHまで60km以上ある。予定の下方修正を決めた。斜里に泊ることにする。
 皮肉なことに、ようやく晴天になっていた。遠景の知床半島は、晴になっていた。

 来るたびに思うのだが、斜里は常呂に比べ、何だか少しだけ空の色が薄いような気がする。原生花園が終わり、防風林とジャガイモ・ソバ・麦・トウモロコシなどの畑が続く。国道238〜244号線のオホーツク海沿岸の中で、このあたりが一番とっつきやすい風景であるように思う。
 異常気象のせいか、ソバは6分咲き、いつもなら真っ白に咲き乱れているはずのジャガイモの花はほとんど咲いていない。農家の方には、今年の異常気象は相当こたえるのではないか。

 斜里まであと10kmくらいになると、日本一長い12km(だったかな?)の直線区間が始まる。確かに長い。直線が消えて、先の方が全くわからない。大体、見えているのはせいぜい2・3km位までなのだが(経験則)。

 17:10、斜里着。
 下方修正は心残りだが、それでも紋別→斜里は165km。疲れているのだからしょうがないかもしれない。元々の無茶な計画を自戒しよう。
 斜里のグリーン温泉(風呂屋みたいな街中の温泉)には5・6台くらいランドナーが止まっていた。2・3グループに分けられるようなのだが、申し合わせたようにみんなブリヂストンのランドナーだった。

記 1998.8/11

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Last Update 2003.2/4
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