北海道Tour98 #4 1998.5/5 小樽→余市

小樽→南小樽→(道道393号)都
→(道道1022号)銀山
→(道道1022号)都
→(道道36号)余市
   約90km

余市

赤井川

銀山

小樽峠

毛無峠

小樽

今日の経路 拡大表示今日の経路(赤表示)と今日までの経路(灰色表示)


 朝4時に起きると、すでに周囲が明るい。さすが北海道だと思った。
 宿の脇の静かな裏道で、輪行袋から自転車を取り出して組み立て始めた。前の大通りを時々思い出したように車やオートバイが通り過ぎ、また静かになる。そんな繰り返しが何度かあり、1時間後くらいに自転車が組み上がった。

 市場の近くでまあ定番のいくら親子丼を食べ、宿へ戻ってサイドバッグを装着し、おもむろに町中の裏道の坂を上ったり下ったりして朝里へ向かう。せっかくの静かな朝の雰囲気、わざわざうるさい国道5号線なんか通ってぶちこわしにしたくなかった。
 これが大失敗で、小樽の裏道をくねくね迷っている間に、朝里の交差点まで1時間近くかかってしまった。5号線だったら10分くらいだったろう。

 8:00、朝里の交差点から道道393号に入ると、いきなりけっこうな激坂が始まっていた。山のすそ野の住宅地を過ぎ、麓部分を何度かの大きなつづら折れで通り抜け、200mくらい登ると坂は一旦一段落する。気温はけっこう寒いのに、すでに汗だくだった。
 短い平坦区間が終わると再び坂が始まる。ほとんどの区間は、浅い林の中の坂道と言う感じだが、時々カーブの林が切れる場所では、眼下に日本海やら朝里の住宅地その向こうに小樽の町が見事に広がっていた。

 今日の空には雲が多く、太陽の姿が見えない。
 標高500mを越えると、道路の脇には雪が目立ち始めた。さっきの遅れに加え、重い荷物で目一杯ギヤを軽くしていたため、予定よりもかなり時間がかかっている。ちょっと焦るが、まあ焦っても早く登れる訳じゃない。しかし、目標の積丹半島までの行程は、ちょっと厳しいかもしれないという気がしてきた。
 見下ろす小樽の街の展望がとても素晴らしい毛無山展望台を過ぎると、坂が緩くなって尾根を回り込む。しかし、尾根の向こう側には、なんと強力な向かい風が吹きつけていた。今まで山が壁になっていたようで、全くその気配はなかったのだ。
 折角坂が緩くなった分が相殺され、今までと変わらないのろのろペースで進む。それでも、尾根に出たためどこまでも山々の姿が続く展望が拡がり、空も雲が厚いものの何とはなしに明るくなってきて、気分が変わる。

 まもなく毛無峠を通過し、道は下り始めた。が、すぐに登りになってしまった。
 あわてて地図をよく見ると、まだあと100m強くらい登って、小樽峠というのを越えなければならないようだ。しょうがないので強風の中をえっちらおっちら登り続ける。一度峠が終わったという気持ちになっており、精神的にダメージが大きいような気もするが、とりあえず登らないと峠は終わらない。
 とは言え、それ以前の登りよりははるかに緩い道が続く。所々下りもあり、登りと言うより尾根上を進むというイメージがある広い道だ。

 周囲は山々の頂上が視界の奥の方へ続く開けた展望が拡がっており、どちらかというとまだ木の葉の落ちた冬の風景ではあるものの、澄んだ空気の中どこまでも続く山の姿は見事だ。遠く雷電岳や、羊蹄山の裾野も望むことができる。山の頂上を水平に見渡すため、空の中を走っているようで、向かい風の中ではあるが、最高に気分がいい。
 何となく青空も見え始めていた。

 やがて道路が下り出した。いつの間にか周囲に新緑が目立つようになった。道路は下りだが、向かい風は相変わらずキツく、速度が一向に上がらない。
 小樽峠から続く尾根から山の斜面を下り始めたところに、観光牧場「ホピの丘」があった。見ると自家製ソーセージやらレストランやら、いろいろ食べられるようではある。ちょうど腹が減り出していたので、立ち寄って休んだ。
 さらに下ると空はますます晴れ、太陽が現れて周囲の気温はどんどん上がっていった。谷が狭くなって、青空の下、若々しい新緑の林の中を下るといった雰囲気の道になると、またもや観光牧場の「山中牧場」というのがあり、ソフトクリームが売られていた。
 赤井川の山中牧場と言えば、私が初めて渡道した1983年、すでに札幌の狸小路の土産屋に、「モーモーソフト」と言うのが「山中牧場」の名前とともに出ていたものだ。今でも出ている。あれから15年、町中の木造建築が建て替わり、札幌圏の山林は全て新興住宅地となり、サッポロファクトリーができ、札幌駅まで高架になってしまった今、山中牧場のソフトクリームは私には何かもうたまらないほど懐かしく思えた。休憩したばかりだが、ふらふらと山中牧場の売店に入っていった。

出始めの新芽 常磐の外れぐらいから谷が開ける

 ソフトクリームを食べながら、今後の予定を考えていた。
 11:30前になっていた。相変わらず向かい風はキツく、下り道なのに登りみたいなペースだ。しかし、5月初旬にしては暑すぎるくらいの威勢のいい陽差しが照りつけており、見上げると空の青はどこまでも濃い。新緑の気持ちのいい道を今まで降りてきて、不満なのは向かい風だけという状態だった。いや、実際けっこう満足していた。
 このまま余市へ急いで、急ぎ通せるだろうか。余市からの積丹半島の道を行くだけ行って、夜に札幌に帰ってこれるのだろうか。急ぐだけの余裕のない行程になってしまわないか。そもそもそんなストーリーが今日のこの向かい風の中で可能なのだろうか。
 そんな葛藤にほんの少しの間さいなまれたが、今回は積丹半島まで行かず、余市で行程を終わることにした。そのかわり、地図を見ていて見るからに楽しそうなカルデラの中の赤井川村中心部と、その前に1983年初渡道時に初めての朝を迎えた銀山駅を再訪することにした。

都 県道分岐の橋の脇 白樺の脇にランドナーを停める 都 河原の緑が瑞々しい

 途中の赤井川村への分岐の都橋の脇にまた雰囲気のいい木立があり、ちょっと休憩したりしながらのんびりと進み、12:20、銀山駅着。15年ぶりの再訪だった。手前の激坂は記憶通りだったが、木々が大きくなっていたり、建て替わった建物もあったりで、程良い年月のギャップが感じられた。
 1983年8月、急行八甲田で青森に着き青函連絡船で函館へ向かい、駒ヶ岳周辺で列車の写真を撮ってから、夜行の普通列車で銀山に着いた。仮眠の後、朝日に照らされて目覚めた銀山駅で、特急北海やら急行ニセコやら写真を撮ったのだ。
 待合室の外に自転車を止め、砂利敷きのプラットホームに出て朝小樽で仕入れた最後のおにぎりを食べた。プラットホームから見える線形にあの朝の記憶が蘇るが、銀山駅は今はもう無人駅になってしまい、信号要員小屋なども撤去され、すっかり寂れてしまっている。
 プラットホームでちょっとたたずんだ。線路の延びる方向や、見下ろす銀山の集落の方向、川を挟んだ遠くの山の姿をしばらくの間眺めた。今日は本当に暖かいので、山が近くなって穏やかになった風の温度が心地よい(この後、7月上旬の陽気だったという話を聞いた)。

銀山駅から 記憶と変わらない風景 銀山駅から こっちは民家が新しくなってた

 金髪の少年が2人待合室を抜けて現れた。たった今下から登ってきたばかりのようだ。私の自転車を眺めて 「自転車で旅してるんですかあ」 と声をかけてきた。格好に似合わず、素朴な少年のようではある。
 しばらく少年と会話しながら、少年の言葉が頭に残った。「そうか、旅か…うん、こいつはけっこういいぞ」等と自分で満足していたのである。思えば、旅行をするようになってからこの方「旅」という言葉を自分自身で使うことがなんかものすごく仰々しい気がして、あえてこの言葉を避けていたのだ。その妙な拘りが、ちょっとしたきっかけだったが、崩れたような気がした。それは自分が旅行へ感じていた遠くへ行くことの憧れと、この少年が使った「旅」という言葉のニュアンスが、重なったからだ。

 もういいだろうと思って12:40、銀山発。

銀山の外れ

 今度は追い風の中の道のりだ。ほんの少しの微妙な登りを快調に飛ばし、さっきの都橋から赤井川のカルデラへ向かう。
 上り坂をゆっくりと登って行くと、谷間の道だったのがすぐに両側の山の間が拡がって、カルデラの中に入った。緩やかに傾斜する丘にまぶしいくらいの新緑の畑、牧草地が拡がっている。程良く狭いカルデラの周囲の山々が何とも美しい。
 村の中心部はまとまりの良い集落になっていた。商店が数軒、温泉施設や民宿やペンションもあった。この盆地で迎える朝は爽やかだろう。いつか泊まるぞ、と思った。
 今回は余市へ急ごう。

 赤井川を通過し、余市への冷水峠の坂道を登る途中、もう一度振り返って赤井川のカルデラの盆地を眺めた。もう斜めになった太陽光線は早くも弱々しくなっており、霞の中の、まだ黒い土の目立つ田園風景は、早くも赤く染まり始めていた。

赤井川 冷水峠の登りっぱな

 14:50、余市着。駅前広場の片隅で自転車をばらしている途中、またもやいまどき風のスケボー少年から声をかけられた。

記 2000.1/6

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Last Update 2003.2/2
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