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A地点からC経由でB地点へ 赤は本日の経路

区間1 (以上#-1)
(以下#-2) 区間2 (以上#-2)
(以下#-3) 区間3 (以上#-3)
(以下#-4) 区間4 (以上#-4)
(以下#-5) 区間5  km 
RIDE WITH GPS

ニューサイ写真 RICOH GR GR18.3mm1:2.8

文書タイトル

赤は本日の経路 濃い灰色は既済経路と航路
RYDE WITH GPS
------------------------------------------------------------ --> 北海道Tour24 #0 海の日3連休で北海道

 北海道Tour23の3日目、天気不調により根釧台地202kmコースを諦めて開陽台を訪問した日に、「いっそ、7月海の日3連休で中標津に来る手もあるな」などと考えていた。
 さて、2024年3月。ソラチカカード(とカード浪費)のお陰でマイルが順調どころか溜まりに溜まって、3月の段階で道東か道北2往復分弱(もちろん早割で)。一方、年明け少しして年間予定をイメージするためカレンダーをチェックすると、海の日3連休は7/13(土)〜15(月)。この日程だと例年に比べて早めのため、東北や頸城どころか西日本でもまだ梅雨明けしていない可能性が高い。どこかに行っても3日間雨だったなどという事態が、十分予想される。梅雨明けしてないなら梅雨が無ければいいんじゃない?それなら北海道しか無い。
 という具合に、受動的ながら話がはっきりしてきた。海の日3連休の北海道。考えてみればこの時期に北海道ツーリングに行ったのは北海道Tour86、21歳の時以来だ。出張で7月に北海道に行ったことはあるが、それも1991年。
 北海道Tour86は、当時「こんなの今しかできないから」と思って行ったツーリングだった。しかしその後現在まで夏の行動が決まってしまったほど、強烈にステキな体験だった。その好印象は、毎日晴れてどこに行っても夏らしいツーリングが毎日のようにできたことが大きく影響している。暑くはあっても干上がりそうでも。そして、今気が付いた。その後会社員になってから8月お盆時期に北海道に通い始めたが、北海道の印象は7月に訪れた1986年と少し違っている。1986年ほど爽やかな日が続いた年が、その後は少ないのだ。じゃ、7月に行ってみたらどうなんだろう。
 或いはそういうのは思い込みかもしれない。しかし高額耐久消費財を買ってしまうときのように、私の妄想はブレーキの利かないダンプカーのように「7月海の日北海道」へと進んでいったのだった。

 出発1ヶ月前、出発する週の月火の広島出張が決まった。その後物事は平和に穏当に推移していたので、そんなことは些細なことであり、無事万善を期して出発できると思っていた。
 ところがその出張中、出発前日金曜日の大阪出張が決まってしまった。旅立ちのハードルがぐんと高くなっちゃったような気がし始めた。
 運命に流されつつある59歳の夏。しかし可能な限り運命に抗うことにし、火曜帰宅後から私は着々と出発の準備を始めていった。2泊ならフロントバッグだけでもいいんだが、いや、やっぱりサドルバッグを追加してK-1は持って行こう。もし202kmコースに行くことができれば、余裕ある食料携行にサドルバッグは役立つだろう。でもノートPCとK-1の望遠レンズは持って行かないことにした。2018年、天気が悪くて中日がまる1日籠城だったことが印象に残っている。今回天気予報は概ね曇り、雨は14日の中標津で夕方だけ。それなら2年振りに根釧台地202kmに向かうことができる。そして、全体的に開陽台には行っても、曇りならあまり長居はしない。これが今年1回の開陽台訪問なら、それでも望遠レンズは持って行くと思うが、何しろ8月に本来の北海道Tourが控えている。

 金曜日の大阪出張は、結局帰りがちょっと遅くなった。仕方無い、残っていた出発準備の多くを当日の朝に回すことにした。今回はお昼発の中標津便。自宅を9時に出発すれば余裕で羽田空港に着ける。という以上に、平日の疲れが溜まっている場合は、この緩い行程が有り難い。
 それに、自分で判っていても、私の出発準備には時間が掛かる。ちゃんと自分で書いているとおり、旅行中の衣食住を考えてやれば良いだけなのだが、何となく怠けてしまうのだ。思い出がステキすぎるからなの、などと自分で思いつつ、やはり準備には時間を掛ける必要があるのが私の実態だ。

 西武線と京急で辿りついた羽田空港は、驚く程混雑している。たかだか海の日3連休だというのに。
 中標津便のゲートは500番台、ということはバス搭乗だ。待合室は出発ロビーに輪を掛けた、昭和の海水浴場みたいな混雑だった。こんなに混雑した待合室は初めて見る。

 何とか空いた座席を速攻で押さえて縮こまって待機するうち、混雑の理由に気が付いた。高松便が1時間遅れているのだ。それは混雑してるわけだ。待合室だけじゃなく、それだと滑走路全体が混乱しているはず。今のところ中標津便は15分遅れで収まっていて、むしろそのことはラッキーと言える。しかし、その変更出発時刻30分ぐらい前、遅れは55分に拡大したのであった。
 高松便が去った後、いったん人が少なくなったバス待合室だったが、またすぐ混雑し始めた。中標津便も満員なのだ。全体的にかなり混雑して混乱している羽田空港なのだった。

 バスで向かった飛行機では、以前の様に屋外タラップじゃなく、タラップとしての建屋が設けられていたので驚いた。搭乗時には階段を登る必要があり、そういう実態は以前と変わらないとも言える。しかし、雨の日や今日みたいにくそ暑い日には、屋内搭乗がとても有り難い。しかしよくこんなの造ったな。単に上屋だけじゃなくて、基礎を設けて設備配管を持ってきたり、当然既存建物にも追加する物が一杯あるはずだし、いろいろ大変なはずなのだ。
 機内アナウンスでは、中標津の天気は曇り、気温は21℃とのこと。ああ、ウレシイ。それが本当だといいな。

記 2024/7/30

北海道Tour24 #1 2024/7/13(土)根室中標津空港→開陽  根室中標津空港で飛行機からタラップを出た途端、涼しいというより嘘、と思った。暑いとか寒いとかじゃなく、想像以上に快適なのだ。これ、ほんとに外の気温?冷やしてないか?と思ったが、どうやら本当らしい。この段階で2泊の中標津、来れて良かったとつくづく思った。
 飛行機は満員でも、荷物受け取りはすぐに終了。こういう所が小さい空港は本当に良い。
 空港の外ポーチ隅にはサイクリングステーションと名付けられた大型Aバリ(しかも単管)と所在無げに放置されたインフレータが置かれている。サイクリングステーションと名乗るからには給水栓があればいいんだが、と思うのは毎度の事ではあっても、観光客と空港が補助予算で結ばれた例の一つでもあり、やや生暖かく見守ることにするのも毎度の事。むしろ皮肉っぽい自分の物の見方を反省すべきかもしれない。
 とにかく、走れるように走る3日間、いや、2日間、いや、実質1日半にしよう。空は薄曇りではあっても、曇りの中は比較的明るい。3日間、ほんのちょっとだけ雨っぽかった天気予報は、幸いにして明日終日曇り、最高気温は大体24℃。明後日午前中晴れか曇りでお昼以降が雨。私の中標津滞在時間がぴったり全く問題無い状態になっている。
 ならば目論見通り、明日は2年振りの根釧台地202kmコースに行かせていただこう。

 とは言いつつ今日はもう15時半前。この時間になったらもう民宿地平線直行だ。早く石川さんにお風呂と食事に連れて行っていただき、今日はゆっくり休んで、明日の根釧台地202kmに備えねば。

根室中標津空港→開陽 8km  15:45、根室中標津空港発。何故か各社同じ形のログハウス風レンタカー事務所が並んでいる。こういうのも空港関連予算か何かによる施設のなんだろうな。

 製材所を過ぎ、清掃工場を過ぎ、牧場と防風林の中を北上してゆく。以前悩まされたように感じていたアップダウンも、涼しいとあまり苦にならない。あまり苦にならない原因として、今日は風が無いことに気が付いた。風が無いとこんなに楽なのだ。

 意外にあっという間に開陽の交差点に到着。
 逆に交差点から山裾の民宿地平線までは、意外に長く感じられた。実際の距離は短いにも拘わらず、である。これは開陽から登り斜度が上がっている事が理由かもしれない。道の周囲は知床山脈山裾の牧草地が広がり始め、風景にもどことなく広々とした開放感が感じられる。根釧台地でも特徴のある風景であり、何度通ってもこの辺の風景は退屈しないと思う。

 この道に来ると、いつも1986年の民宿地平線初訪問時が毎回思い出される。1/5万地形図の等高線の間隔が、内地より間延びしているので地形は平坦だと思い込み、根室から開陽に向かうというのに14時過ぎに出発してしまった。実際に走ってみると、丘陵の際限無い直登アップダウンのみならず、根室→厚床では国道40の強向かい風にも悩まされた。19時が夕食だというのに、中標津発市街発は確か18時過ぎ。次第に辺りが暮れ始めているのに、ますます増えるアップダウンで泣きそうにへろへろになった。
 しかし開陽から先のこの区間では、民宿地平線到着を前にし、広々と清々しい夕暮れの牧草地が出迎えてくれたのだ。その時の印象が、この道で毎回強烈に思い出されるのだ。まあその時は、緩い登りで何だか身体が重いから早く到着したいなとも思っていた。

 16:10、民宿地平線着。荷物を降ろし、すぐ保養所温泉と夕食へ。例によって石川さんが計根別・中春別・中標津南部のオプションコースを付けてくださった  いつも行く保養所温泉は、この連休中食堂営業が中止とのこと。え、それは困るぞ。この温泉の食堂はしっかりしたボリュームと確かな素材で、近年私は、ここでの食事をとても楽しみにしているのだ。

 と思っていたら、石川さんが代わりに蕎麦屋の富貴庵に連れて行ってくださった。ここがまたとても美味しい。しっかりと美味しい天ざる大盛りをいただきつつ、202kmコース途中、中標津町俵橋や標茶町萩野のソバ畑が思い出される。蕎麦っていいなあ。石川さん、夕食の間1時間もお待たせして恐縮でした。

記 2024/9/5

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Last Update 2025/2/3
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