仁宇布→(道道49・国道40他)美深 25km ルートラボ
4時に起きて準備開始。天気予報をチェックすると、昨夜と変わらず雨はお昼以降。これなら問題無く自走で出発だ。お昼から雨だから、輪行ポイントをどうするかは検討が必要だ。或いは美深から名寄に出て、名寄盆地を士別か和寒辺りまで南下してもいいかもしれない。どこへ向かうにしろ、朝食をはお願いしてある。比較的のんびりと荷造りできる。
朝食が終わろうという6:10、雨が降ってきた。予報より早いぞ。まあ雨はお昼からのはず、すぐ止むだろう。少し出発を待てばいいのだ。しかし、期待に反して雨は止んでくれない。そしていつの間にか、スマホの天気予報がお昼から雨だったのが9時以降雨に変わっていた。しかもその雨が、けっこうな大雨のようだ。
この時点で今日の行程は、もう美深から輪行してしまうことにした。美深からは旭川に向かい、旭川ラーメンでも食べよう。列車の時刻は、と、大変上手い具合に9:28にスーパー宗谷がある。旭川着は10:39とかなり早い。さすがはスーパー宗谷、それなら2杯食べられる。どことどこにしようかな。駅に自転車が置ければ、少し離れた蜂屋に行ける。そうでなくても、駅近くに新規開拓してもいい。とにかくラーメンが食べたい。
しばらく待っても雨は止みそうな気配は無く、しとしと、というよりややしっかり降っている。ならばこの雨は、9時からの雨が山間で早まっていると考えるべきだろう。もう降り続けるなら、まだ急ぐような時間じゃないが出発してしまおう。でも、途中少しは晴れてくれるとうれしいな。美深まで25km下り一方なので、雨ではあるがなんだか気が軽い。
7:05、ファームイントント発。
仁宇布に降りても、高広PAを過ぎても、雨が弱まる気配は無い。のみならず、前方の空が霞んでいる。
もしかして美深まで1時間ぐらい雨の中なのか。デマンドバスにしとけばよかったな。まあ下るだけだし。
想像は当たっているようで、途中下りが一段落する辺りでも、相変わらず谷間と行く手の空は暗く霞んでいた。
ペンケニウプ川も雨に煙っている。あまり汗をかかないようにとぼとぼ徒然なるままに下ってゆくが、辺渓で美深盆地に降りても、雨はむしろ激しくなるばかりだった。
さすがの大雨予報、オホーツク側の天気の影響を受ける仁宇布より、道北内陸気候の美深の方がむしろ雨が厳しいのだ。もう地図も変えずに黙々と盆地の中央へ、道北自動車道を越えて盆地西側の国道40へ。
8:00、美深着。去年立ち寄った蕎麦屋さんに心魅かれつつも美深駅へ。待合室には学生さん数人が8:18の普通列車を待っていた。大急ぎで輪行すれば間に合わないわけじゃないが、予定通り9:21発のスーパー宗谷2を目指すとしよう。出発まで80分、のんびり輪行荷造りしてちょっと待つぐらい。輪行時間には何の問題も無い。
ならばまずは座席確保優先だ。旭川まで指定券を買おうとすると、美深は委託駅のため、名寄へ電話を掛けて指定券を問い合わせるらしい。名寄駅からの返事を待つ間、売店のトマトジュース「びふか太陽の水」をいただくとする。瓶入りで500円とやや高くて量が多いこのトマトジュース、ピューレーかと思うように濃厚で、最高に美味しい。これほど濃厚なトマトジュースは、他の場所では飲んだことが無い。特に濃縮加工などはしていないらしい。昨夜ファームイントントの宿主さんが仁宇布、美深にもっと人が来るような何かを探していると仰っていたが、このトマトジュースは美深の特産としてもっと売り出してもいいと思う。
少し待ってスーパー宗谷2の指定券は取れたものの、
「でも名寄で運転打ち切りになるかもしれないらしいんです。それでもいいですか」
とのこと。いまこの美深駅ではやや強い雨は降っているものの、まだそこまで深刻な雨でもないようにも思える。とりあえずここは、予定通り旭川まで指定を買っておくことにした。
輪行作業を進めるうち、待合室には乗客が意外に集まってきた。こういう状況でよくいる、いかにも話しかけたそうな雰囲気満々の、永遠の北海道旅人みたいな親父の視線や動線をかわしていたら、案の状別の人が狙い撃ちされた。耳をそばだてなくても耳に入ってくる語りの、美深での濃厚そうな思い出に、多分私は応えられないだろうと思えた。
スーパー宗谷2は7分遅れで到着、9:28、美深発。乗り込んだ車内では、乗客は何事もないかのように落ち着いていた。途中打ち切りなんて無いんだろうと思っていると、名寄到着直前に、既報の通り名寄で運転打ち切りになること、名寄から旭川までは代行バスに乗り換えるという車内アナウンスが。やっぱりそうなのか。まあ、わかってたんだけどね。
9:45、名寄着。ドアが開いて、民族大移動で代行バスへ。思えば久々の民族大移動だ。1990年代中頃、北海道への往復に昼間1日掛けていた頃以来かもしれない。しかし今日は改札から遠い車両だったこと、荷物が大きかったこともあって、やや出遅れてしまっていた。結果的に最前列の片方へ収まることができたのは、ラッキーな出来事だった。どこかの親父が、我が儘で2人分を一人で占領していたのだ。親父はなんだか不満そうに席を空けた、すぐ後ろの同行者らしき人をちらっと眺めて方をすぼめるようなそぶりを見せていたが、その後すぐに補助席まで埋まるほどバスは乗り継ぎ乗客で一杯になった。
代行バスは一昨昨日乗ったばかりの名士バスだ。この緊急時に、4〜5台も名士バスの大型代行バスが出動できている。旭川到着予定は12時とのこと。そんなにかかるのか。一体旭川でラーメンを食べる余裕はあるだろうか。まああの速い(たとえ110km/hにスピードダウンしていようとも)スーパー宗谷と所詮バスだしな。それぐらい差は出るだろう。何しろ偉いぞ、名士バスとJR北海道。
などと落ち着いて駅の方を眺めて驚いた。名寄駅の決して広くない軒下が、雨宿りの人で一杯なのだ。輪行中らしい学生ツーリストの集団もずらっと並んでいる。普通列車には代行バスが出ていないのだった。普通列車も運転打ち切り、つまり宗谷本線自体全面運休なのだ。私は美深から僅か一駅特急に乗ったから、旭川には運んでもらえるのである。仁宇布から考え直すと、もし早朝に美深から輪行一拓が決まっていたら、仁宇布出発そのものををもう少し遅くしていたかもしれない。美瑛には十分早く着くことができるからだ。しかし列車がもう1本遅かったら間違い無く美深で足止めだし、スーパー宗谷2より1本早く普通列車に乗っていた場合も、名寄で足止めだったはずだ。
つまり私の旅程は首の皮一枚で旭川まで繋がっていたということに、今気が付いたのだった。
10:08、名寄発。
最初は国道40を比較的順調に進んでいったが、雨は相変わらずというより次第に大雨に変わっていった。途中で何度か乗客の携帯が一斉に鳴り始めた。自分のを見ると、この近くの山間で集団避難勧告が出ているのだった。最初は他の乗客も一様に驚いていたものの、2度目からはもう何も言わなくなった。
士別の市街地が遠くに見えてきたところで、国道が渋滞し始めた。20分ほどのろのろ進んでから、バスは道道へ迂回。ちょうど用を足したくなっていたので、大変に助かった。田んぼの直交グリッドをくねくねと、過去通ったことがある道道も経由。なんだか妙な懐かしさと、まさか代行バスで再訪すると思わなかったという感慨が入り交じる、名寄盆地の再訪だった。
運転手さんの車内案内によると、士別到着は予定の20分遅れとのことだった。駅到着直前、士別の市街地でも乗客の携帯が一斉に鳴り始めた。市街地で床上浸水らしい。ええっと思ってきょろきょろすると、確かに町中裏手の道がまるごと冠水している。恐らく普通ならあまり意識しない数10cmの高低差に、水が溜まっているようだ。市街地だからか雨は弱まってはいたものの、目の前で進行を続ける非常事態にもはやただ唖然とするばかり。名寄出発時点での「スーパー宗谷の時刻から何分遅れで旭川に着くのか、旭川でラーメンを食べられるのか」という心配は、さっきの渋滞や目の前の床上浸水の事態を経て「果たして旭川に無事着けるのか、付いてくれれば何の文句も無いのだが」という祈りの気持ちに変わっていた。
10:49、士別着。
士別は意外に、というかかなり小さい駅だった。昔はデパートもある街だったのに。私はと言えばいい加減そろそろ我慢の限界に近づいていて、停車と同時に速攻ダッシュでWCへ。結論から言えば何とか助かった。そして私が出るときには、速くも長蛇の列ができていて、5分の予定だったWC休憩は15分に延長された。それでも女性の方は大変だったろう。
11:05、士別発。
バスの中から市街地の床上浸水を眺めつつ、渋滞の国道40へ戻る。再び始まるのろのろ進行に、いつの間にか眠っていた。
バスが揺れて気が付くと、バスは国道から分岐して、順調に和寒ICに入るところだった。ゲートをくぐれば、もう道北自動車道。高規格道路の路面は平滑に安定し、大型バスはエンジンに物を言わせて登りも雨も物ともせず、静かにすいすいぐんぐん進んでゆく。誰も何も言わない車内はますます静かだった。
せめて塩狩峠はこの目で見届けたいと思っていたものの、またもやうとうと眠ってしまっていた。もう道は下り始めていて、再びバス全体にかかった大きな横圧で気が付くと旭川鷹番IC、一般道に降りるところ。鷹番と言えば旭川のすぐ手前、もう鷹番まで来てしまったのか。
高速ではかなり順調な行程だったが、旭川市内の一般道では水たまりで水を跳ね上げたり、信号で停まりながら着実に進んでゆく。雨は更に強まっていた。予報通り、これから雨の本番だということが理解できた。
12:30、旭川着。またもやトイレに行きたくてしょーがない。かなり大雨のバスターミナルを横切ってから、フロントバッグをバス停に置き忘れたことに気が付き、泡を食ってもう一度バスターミナルまで一往復。輪行袋も荷物も自分もびしょ濡れになってしまった。
WCへ行って身体と気持ちを平常に戻し、次は列車時刻のチェックだ。次の次の列車ぐらいに乗れて、何とか旭川で1時間以上確保できれば、ラーメンにも行きやすいはずだ。今なら蜂屋を狙える。狙っていきたい。ちょっと遠いけどね。
この段階になって、ようやく駅コンコースに漂うやや緊張した雰囲気に気が付いた。というより、構内放送が耳に入ってきた。それほどWCに行きたかったのだ。その放送によると、既に宗谷本線、石北本線は全面運休、午前中は函館本線だけが動いていたが、それも13時から全面運休が決まったとのこと。何!?富良野線はどうだ…ああ、同じく13時から全面運休だ。やばい。かなりやばいぞ。今日は本当に美瑛ポテトの丘YHまで着けるのか。
富良野まであと30km強ぐらい。そしてここは北海道2番目の大都市旭川。時間さえあれば何でもできるだろう。飛行機なら東京にだって問題無く帰れるだろう、飛行機が飛びさえすれば。ならばここはタクシー投入か。いや、YHをキャンセルして駅から近い東横インに行くか。例えキャンセル料を払っても、宿の直前キャンセルは倫理上心が痛むものの、この非常時なら致し方ないだろう。そして東横インなら会員カードがある。事前に頼めば14時にチェックインが可能だ。今この大雨の中ホテルまで歩くと、ずぶ濡れにはなるな。ならばあと1時間ちょっと、駅で時間を潰せばいい。問題は部屋があるかだが、調べてみる価値はある。
しかしここでもう一つ思いついて調べると、何と旭川から美瑛まで、路線バスがあった! 有り難い!便は1日3本、次がちょうど13:00。あと5分だ。この際旭川ラーメンは諦めるしかない。その代わり、美瑛でラーメンが食べられるかもしれない。美瑛には1990年代中まで美味しいラーメン屋さんがあった。忘れもしないだるまや食堂、そのDNAが少しは街の中に残っているかもしれない。
13:00、旭川発。乗車時には、やや厳しい顔のバスの運転手さんに厳しいことを言われた。或いは態度の悪い自転車乗りが輪行したのかもしれないと思った。大雨じゃなくて普通の雨なら乗車拒否されたかもしれない。一般交通機関の輪行状況は、ここまで進んでしまっているのだ。
旭川市外から先、国道237主体にバスは大雨の中を進んでいった。次第に乗客が減っていくバスの車内では、座ったままで相変わらずすぐ居眠りしてすぐに時間が過ぎた。
気が付くと、バスが上げ続ける白煙で窓の外が全く見えない。それ程の大雨なのだった。美瑛でラーメンを食べることなど、甘い妄想だったかもしれないと思った。しかし再び気が付いた、そろそろ美瑛が近づく西神楽辺りでは、一応窓の外の白煙は収まっていた。国道237で特徴的(という印象がある)な道の轍を思い出し、道の水たまりが無ければ白煙も上がらないことが、よく理解できた。後で知ったが、お昼頃に美瑛町では1時間42mm降ったようだった。
13:50、美瑛駅前着。到着直前に車内放送があり、今日は盆踊りのためバス停が駅前ロータリーから2ブロック向こうに移動しているとのこと。
何とか首の皮一枚の幸運が続いて、やっと美瑛まで来れた。まずはとにかく美瑛駅に向かって体勢を立て直したい。2ブロック、自転車と荷物を抱えて移動するのは、ただでさえ一苦労だ。ましてやこの雨。雨は一向に弱まっていなかったが、いや、それでも旭川より大分改善はされていたものの、やはりとりあえず駅に向かうまでにびしょ濡れになってしまった。でもそんなのへっちゃらだ。もう美瑛なんだから。
とりあえず駅前でタクシー乗り場を確認しておく。駅に輪行袋を置かせてもらい、その後落ち着いて駅前のどこかで昼食を摂り、タクシーに乗ればいいと思っていたのだ。しかし、今日はタクシー乗り場も盆踊りのために本来の駅ロータリーから1ブロック手前になっているらしい。というより、さっき荷物を担いてびしょびしょに濡れながら可能な限りの速歩で通過した美瑛ハイヤー社屋がそうなのだった。一体何なんだよー。でもそんなのもへっちゃらだ。もう美瑛なんだから。
それよりも駅の待合室は輪行袋を置くどころではなかった。駅一杯に外国人とお年寄りが、全面運休になった富良野線を前に途方に暮れていた。外国人観光客の何人かは、窓口のJRの職員さんに札幌へどうやったら行けるか詰問している。そもそも床のほぼ全面がびしょ濡れ。かなり阿鼻叫喚の巷となっていて、あまり長居したいような雰囲気ではない。
仕方無く再び雨の中、さっき見かけたラーメン屋「八海」へ。この非常時、ラーメンの美味しさが染み入るように有り難い。その後は美瑛ハイヤーへ。美瑛ポテトの丘YHまでお願いして、ついでにこの際明朝の旭川空港まで予約してしまう。
14:35、美瑛発。運転手さんによると、何でもここ美瑛でも集団避難勧告や、路上に倒木もあったらしい。
14:45、美瑛「ポテトの丘YH」着。
輪行袋はヘルパーさんの詰め所のような小屋に、勝手知ったるで置かせていただく。軒下で雨を眺めながら15時のチェックインまで15分待機。その間、雨が弱いときに到着できてつくづく良かったと思うほどの大雨が再び降り始めていた。
風呂から上がってビールとする。もう明日はタクシーで旭川空港へ向かうだけ、と思いながら美瑛の丘を眺めて酔っ払う。完全に一息付いて思えば、かなり危機一髪の事態をラッキーだけで乗り切れた1日だった。そしてこのYH毎度の美味しい夕食は、北海道最後の夜に相応しい。
翌朝は霧の中を美瑛空港へ。タクシー\3500はもはや何とも思わない。
空港には7時過ぎ到着。オープンの7時半までしばらく外で待つ。こういうのが地方空港の面白さだと思った。かといって土産物屋で買える物は千歳空港と比べて何の遜色も無い。最終日、美瑛から旭川空港に向かうこのパターンはなかなかいい。難点は旭川空港から羽田の便がやや少ないこと。
この間、みるみるうちに霧と雲が消え、飛行機が離陸する頃には爽やかな青空の夏の朝、と呼べるくらいの天気に変わってしまっていた。昨日から続いた道北からの帰還は、意外に爽やかな印象と共に幕切れとなったのがなんだか可笑しい。しかしその日の午後から道内の天気は再び大荒れの大荒れに。道内、特に道東の水害は大きく、既知の地名と共に胸の痛むようなニュースが報じられていた。
最後まで首の皮一枚だった北海道Tour16なのであった。
記 2016/2/22