7月17日の梅雨明けと共に、最高気温35℃の日々が始まった。
個人的に過去一番暑いと思ったのは2001年。2007年も相当なものだったと思う。その暑かった年でも、暑さのピークは7月下旬一杯のせいぜい2週間弱。8月に入ったら、日中最高気温が上がっても、夜はまあクーラー無しで寝られるぐらいには下がったものだった。ところが今年は、昼は35℃あたりまえでくらくらのぺしゃんこ、夜も汗だらだらの日が際限なく続いていた。夕立があると少しは気温も下がるのだが、7月中旬まで時々あった夕立は、7月下旬からぱたっと無くなってしまっていた。
それでも東京はまだましだった。西日本は東京より更に最高気温が2〜3℃高い状態が、やはり際限無く続いていた。毎日夜のニュースは全国の暑さの話ばかり。しかしそんなニュースをやっている時間がそもそも暑く、汗をだらだら流しながら「ああそうですか、でも今もまだ暑いんだもんね」などとつぶやいている始末。
北海道もご多分に漏れず暑い日が続いていた。さすがに東京より少しは気温は低いようだったが、いや、毎日最高31〜32℃で、低いという程でもない。暑さに慣れない道民の皆さんは大変なことだろうと思っていた。しかしそもそも、今年の北海道は早くから暑かった。6月26日に道内各地で35℃以上を記録、全国最初の猛暑日となったののは記憶に新しい。ちなみに足寄で37.1℃、他にも北見で37.0℃、上士幌で36.6℃と、その日日本で一番暑かったのが北海道なのだった。
さて、8月に入り、出発までにどうするかを決めなければならなくなってきた。今年も往復とも飛行機利用、出発は休暇初日の早朝便でとかち帯広空港スタートある。去年は前日から出発し、空港近くで宿を取った。今年は何と母が都内に引っ越してきたので、前の晩は母の家に泊まれば良い。となると、出発前日に4サイド通勤で自転車+荷物ごと回送、そのまま母の家に帰って、翌朝そのまま出発、浜松町か京急のどこかで輪行すればいい。
心配なのは暑さだった。毎日早朝から29℃とか30℃、これだけ朝が暑いと、会社に着くまでに熱中症にかかってしまう心配がある。しかし、悩んでいても結局当日朝は自力回送しかないのである。今まで小雨ぐらいだったらなんとかこれで出発していたのだ。
というわけで、その日の朝は普段の自転車通勤時よりだいぶ早めに出発。なるべく出力を上げない超経済運転で、普段よりも坂と車が極力少ない経路へ。
それでも出発段階の6時前でで気温は既に29℃。会社に着いたときには汗だらだらで、1日中何かからだが疲れたような落ち着かないような、いやな気分が抜けなかった。
しかしこれも北海道に行けば、少しは涼しくなるに違いない。
今年は金曜日休暇を取ったので、出発前日は木曜日。追い込みで何か突発事件が起こらない可能性はあったが、まあ無事に業務時間が終われば、もうあとは毎年の如くダッシュでとんずらだ。しかし、それにしてもかつての北斗星仙台捕縛時代のように1分を急ぐという切実さは無く、会社から外に出さえすれば完全にこっちのもの。「こら、そこのロードレーサー、とっぽい走りしてんじゃないよ」などとつぶやきつつ、いい気分でゆったりのんびり、真っ赤に染まりつつある夕方の都心を抜けてゆけばいいのであった。
しかし、夜の天気予報で全国の気温を見ていると、明日の北海道はかなり暑くなるとのこと。特に帯広では最高気温35℃の予報である。
そんなはずはない。川崎某機構強制労働時代、冬に2度訪れたとかち帯広空港の、木立に囲まれた草原を思い出す。あの寒かったとかち帯広空港がそんなに暑い訳無いだろう。35℃だって、ばっかじゃないの。それじゃあ東京と同じじゃん。
と、真面目に暑さのことを考えたくなかった。
翌早朝はいよいよ出発だ。早朝だろうが何だろうが暑いものは暑く、浜松町に着くまでに汗だくになってしまった。
手続きを終え、手荷物預かりで毎年増えている輪行袋の数にびっくりしつつ、飛行機に乗り込む。飛行機が空港を動き回る約10分間、退屈でつい寝てしまうのが私のいつものパターン。今回も特に何か用事は無く、このままだと早々に寝ちゃうんだろうなあ、等と思っていた。
と、機内放送が始まった。帯広地方は晴れ、気温はすでに29℃とのこと。29℃なら何とかいける。このままの気温でいてくれ。等という願いがばからしくなるぐらい、まだ朝なのである。
最高気温35℃の天気予報は、確実に現実となりつつあったのであった。
記 2010/11/4