まさかこんな日が来るとは思わなかった。北斗星で北海道へ行くのに、何と上野から北斗星に乗れてしまうのである。
北斗星・カシオペア系統が、ダイヤ改正と北海道新幹線工事の関係で、1本減便になって2往復になったのは知っていた。だが、更に北斗星は出発時刻が大幅に繰り下がり、19時3分上野発になっていたのだった。つまり、上野から乗るのにはとても都合が良くなったということである。しかし一方で道南着も遅くなり、函館着ですでに6時半。今までなら洞爺辺りの到着時刻、自転車出発地点の自由度はかなり減ったと言える。2年前、2005年の大雨で遅れた時程ではないが、まあそんなことも思い出す。
という具合に、今年の北斗星アプローチのイメージは、かつてとはがらっと変わってしまっていたのだった。
休暇は2週間で調整していたものの、まさかそんなに取れるだろうとは自分では思っていないし、そもそも土曜日を含めると8月2日から休みだという感覚が無い。例によって切符を買いに行かないと、と気付くのは出発1ヶ月前を過ぎてから。まあ当然のようにその段階で空席は無い。でもこれは例年と同じだ、出発前になったらきっと取れるだろう。と、たかをくくっていた。
結局10日前ぐらいにようやくB寝台が、出発前日になってようやくソロに変更できた。実感としては明らかに今年は北斗星が取りにくい。しかもこれ、お盆1週間前なのだ。北斗星の減便は、何だか需要減少じゃなく、単純にJRに北斗星を続ける気が無いだけのように思う。まあそんなものかもしれない。
川崎発は17:20。こういう日に限って終業前の駆け込み発注があるように思えたので、大事を取って時間休を取って早出することにしたのだ。時間休なんて超裏技がができる年もあるのである。例年よりかなりゆったり安心の出発だ。やはり寝台列車の出発にはゆとりが必要である。その早出が効いて、上野のゴージャス系駅蕎麦「なごみ亭」で蕎麦など食べることもできた。
北斗星の乗車ホームは、いわゆる地平ホームの一番奥、13番線だ。常磐快速ホームの下、何と無く地下みたいな雰囲気の13番線で北斗星の入線を待つ間、急行八甲田を思い出していた。
1983年の初北海道は行きも帰りも急行八甲田で、確か発車は同じく13番線かそこらだったように思う。隣や向こうのホームから、各停や特急が次々入れ替わったり、ホームががらんと開くのをぼうっと眺めて、周遊券で乗れる自由席に座るためにお昼から6時間ぐらい待ったのだった。
その後急行八甲田は18時頃発で青森着は6時過ぎか何か、乗り換えの青函連絡船が8時前で函館着はもうお昼。函館では東室蘭・千歳経由の特急北斗と倶知安・小樽経由の特急北海が12時半前後に続行で接続し、ほぼ18時間掛けてようやく道内の旅が始まったのであった。今なら新幹線で八戸まで3時間掛からないんだもんね。飛行機ならたったの1時間半。いや、当時も良家のご子息は飛行機を使っていたのだが。
まあ当時それはそれで楽しかった。帰路、お昼の青函連絡船から眺めた下北半島の絶壁、陸奥半頭のシルエットなど、未だに忘れられない。
出発後は早速シャワー券を買いに食堂車へ。まだ営業開始前どころか発車前、そもそも係員がいるのか不安だったが、実態は気の早い一癖ありそうな乗客どもがシャワー券やら何やら買いに押し寄せて食堂車から隣の待合い室兼用のロビーカーに溢れていたのだった。おれもこいつらの一員か。ううむ。
しかし乗客どもは押し寄せていた割にはシャワーはあまり早い時間でなくても良いようで、一番早い19:00からの時間帯が余っていたのは好都合だった。うん、おれは純粋に迅速にシャワーを浴びる必要に迫られて素早く来たんだからな。
お湯が出る時間で6分というと短いようだが、いやいや必要十分な時間である。シャワーを終えるともうすっかり快適くつろぎ気分で、再びB個室へ。思えばこのくつろぎこそ、上野発特急北斗星に求めるものなのだ。
ところが、BGMみたいに半分聞き流していた車内アナウンスによると、7月24日の岩手県北部地震の影響で徐行運転のため、函館到着は1時間遅れの7時41分ぐらいとのこと。
えええ〜!?それじゃ出発は早くて8時半、ちょっとだらだらしているとすぐ9時になってしまう。予定がこなせないではないか。いっそ予定を変えるか。でも出だしからいきなり下方修正、何だかあまり気分は良くない。しかし、うじうじ考え直しても、8時半出発で遅くとも夕食前の18時過ぎまでに島牧まで辿り着くのは、私のペースだとどう考えても不可能なのであった。
となるともう腹を決めて、函館の先で降りて島牧までどう辿り着くかを前向きに考える必要がある。森からはかなり大回り、八雲からは多少大回りと最短コースの2種類がある。最短コースは初北海道ツーリングの86年以来の道だが、多少大回りコースは過去通ったことはない。問題は午後から道南で雨という明日の天気予報だ。雨なら明日は最短コースしかない。
21時過ぎから、食堂車は予約不要のパブタイムとなる。実はせっかくの上野発、\7800の予約フランス料理コースでもいいかなという気もしていた。いや、それにしても高い。でもおフランス料理だからな。それに食堂車ファンとしては、NREが意地で守っている食堂車、積極的に利用しないと。いや、それにしても高い。行ってみたらマニアばっかりだったらどうしよう。でもネットでは好評だしな。等と例によってうじうじ迷っているうち時は過ぎ、そう言えば予約期限があったと思って調べてみたら、すでに期限の出発3日前を過ぎていたのだった。
というわけでパブタイムの食堂へ。念のためパブタイム開始の15分前に食堂車へ向かうが、例によってすでにロビーカーの食堂車側扉に列が出来始めていた。
食堂車ではまずは生クラシック、そして\2500のビーフシチューセットを所望。やや高めだが、一度はフランス料理予約を検討した身、もはやパブタイムのメニュー風情に何も怖い物は無い。生クラシックは当然美味しいのだが、ビーフシチューセットは価格だけあってなかなか美味しい。欲を言えばもう少しご飯が硬めの方が好みだが、いや、でも量はたっぷりで、満足度が高い。NRE、なかなかいい仕事をしているね。
さて、明日はどうするか。とりあえず函館発は無くなった。結論から言えば、何かと潰しの利く八雲発がベストだろう。となると、八雲から最短で直接北檜山、瀬棚へ抜けるか、大回りで落部まで戻って大成へ出るか。前者は最短すぎて時間が余り気味だし、後者はやや時間厳しめのように思えた。こういう時は結論先送りで、とりあえず八雲で降りて、天気の様子を見ることにしよう。
ビーフシチューセットを食べ追えると、もうすっかりお腹が一杯だ。今年から加わった新メニュー、「食堂車のビーフカレー」を返す刀で片づける目論見は外れ、仕方なく生クラシックもう1杯で撤収、そのまま個室で意識を失ったのだった。まあいい、カレーはレトルトで売っている。
翌朝、目が覚めると6時前。外の風景によると、北斗星はまだ青森の町外れをのろのろ移動中のようだった。1時間遅れは伊達じゃないね。空はグレー、というか辺りは霞っぽく、路面は乾いているものの窓には水滴が見える。うーん、天気も芳しくない。
青函トンネルを抜けると、というよりその間寝て起きると、不安が当たって路面がしっとり濡れている。更に食堂車で朝食を取る間にも、状況は明らかに悪化し、函館着は1時間半遅れの7:50過ぎ。
この状況ではほぼ自動的に最短コースで北檜山、瀬棚へ出ることに決まりである。
地震と天気のダブルパンチ、少なくとも今年の函館発はあり得ない運命だったんだ、と思った。
記 2008/8/30