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9:10、再び国道139に合流。少し下って樹海から放り出されるように開けた斜面に出たところで、山側の集落、富士裾野方面へ分岐。村道でもあり、一気に交通量が少なくなる。
もう9時も過ぎ、開けた斜面の坂道で、汗が面白いように吹き出し始めた。予想以上にというかやはりというか、暑いのだ。それもそのはず、だいぶ下ったので、この辺り標高は800mを切っているのである。
畑や牧場、開けた緑の中、村道クラスの細道をつなぎながら南へ進む。この静かな景色の中で、もう10年以上前オウム真理教の騒ぎが起こったのだ、と思う。遠景は暑さのためかすっかりもやに覆われていて、見上げる富士山裾野ももう近い雲の中。
複雑な道かい道の連続と、斜面集落のイレギュラーな坂。GPSを確認しながら注意深く進んだ集落の外れ、目を付けていた破線に辿り着けたようだ。
しかし目の前のそれらしい道は、見るからに単なる砂利敷き畦道なのである。いかにも行き止まりっぽいあやしい雰囲気もぷんぷん漂っている。再びGPSと地図を見比べても、道の各方角に周囲の地形、どうも間違っていないようだ。
まあ今日はまだ時間がある。初心完徹で行ってみよう。
道は畑の外れを過ぎてススキの茂みの中に入り、そのまま富士山麓の森に突入した。この時点で道はあやしさ満点のほぼシングルトラック。少し先で凸凹と石が増え、撤退は時間の問題かという気になってきた。
まあこういう場合、とりあえず一度行けるところまで行かないと引っ込みが付かないのである。そんなことを考えていると、唐突に森の中に林道ゲートが登場。その向こうで道は拡がっていた。
そのまま進むと、道幅は更に拡がって路面も安定した。時々一本木林道等という看板も見ることができる。
針葉樹や広葉樹の森に安定した下り基調の道が続いた。林道の周囲は時には鬱蒼とした薄暗い道になったり、急に開けて暑さでもやっぽい空が見えたりもした。
ただ、開けた周囲のススキ原の向こうはまた森になっていて、そこから吹いてくる風のためか、一定した下り基調のためか、体感上の気温はぎりぎりで何とか爽やかの範囲内である。
10:35、下り基調の一本木林道から上井出林道に合流、登りとなる。約100m程開けた急斜面の深砂利つづら折れ、暑さ・激坂・グリップ悪というトリプルパンチで、押したり乗ったりの登りが続く。森の中で気付かなかったが、かなり気温は上がってしまっていて、厳しい登りがつらくて仕方が無い。
しかし、100m程の登りの後、再び森に入って涼しい道が復活。斜度も次第に少しずつ緩くなり、300m程度登った辺りでほぼ平坦に近いぐらいまで緩くなった。
森に入ってからはほぼ安定した路面の道が続いた。周囲は比較的明るい森ではあるが、延々続いているという以外はどこかにありがちな森で、いかんせん周囲の視界は全く無く、地図だけでは自分の位置がわかるものは全く無い。
そうかと思うと、何度か途中で渡る開けた岩場は、そこだけが鉄砲水の通り道になっているようだ。
全く木の生えない荒々しい岩場、ごろごろ転がる巨大な火山弾、物々しい風景は開けた富士山の斜面をまっしぐらに下ってゆく奔流を想像させ、今自分は富士山の山腹にいるのだということを意識させてくれた。
2つ目のゲートを抜けると地図通りの分岐が登場、ここで地図交換を行う。今まで「富士山」の範囲だったのが、今度は「富士宮」に。富士宮という地名のかなり下ってきた印象には、ちょっとした驚きがあるが、辺りは依然として静かな薄暗い富士裾野の森の中なのである。
もう少し先で北山林道に合流、それまでの緩い登り基調は約300m一気に標高を下げる下りとなる。
下るうちに砂利が深くなったり電柱が登場したり、途中から舗装も復活。何だかどんどんこっちの世界に帰って来る気分だ。
記 2006/10/14