2005.11/3
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小出→(国道352)枝折峠 |
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新幹線始発で到着した浦佐。ホームに降りてみると、まず寒い。昨日まで晴れだった天気予報とは裏腹に、空もどんよりした曇りである。
魚沼丘陵の山々は黄色や赤の紅葉で彩られ始めていた。11月にしちゃその進行の度合いは遅いような気もするが、とりあえず心から来て良かったと思えるぐらいには鮮やかだ。しかし、麓でこの気温だと、この先標高が上がって山奥の奥只見湖の先ではどういうことになってしまうのか。
ちょっと心配して到着した小出では、しかしながら意外にもそんなに寒くない。安心しつつ、2002年秋から3年振りの駅前で自転車組立開始。
8:15、小出発。
国道352は、新潟独特の雁木が連なった商店街を抜け、旧湯ノ谷へと進んでゆく。刈り取りが終わって主のいなくなった田圃や、断続する集落の民家が過ぎてゆく間に、両側の低山は近づいてきて、谷間は次第に狭くなっていた。
その低山も、見事な鮮やかさで紅葉している。空は次第に薄暗くなりつつあったが、曇りの下の紅葉もまた独特の鮮やかさがある。これだけでも来て良かった。
それにこれから向かう枝折峠方面、その向こう側の空が何となく明るくなっている。雲も高いみたいだし、気軽に行こう。
8:50、シルバーラインとの分岐、みみずく広場発。
シルバーラインとは、奥只見湖建設道路をそのまま有料自動車道にした、長い直線と所々でかくっと曲がる急角度ターンの長大トンネルと、コンクリート舗装のがたがた路面が延々奥只見湖畔まで標高差約500にm続く、恐怖の道だ。もちろん自動車専用、自転車には全く関係無い。
大湯温泉の外れから周囲は急に人気が無くなり、茂みや紅葉の木々の間に細々と道が続く。周囲が開けているうちは、周囲の険しい山々が見渡せて見事な眺めだ。やがて鬱蒼とした杉林が始まると、「これがほんとに国道?」というぐらいに道は細くなる。
しばらく薄暗い杉林の中を進むと山裾に突き当たり、短いつづら折れで離陸が始まった。
開けたススキの道が山肌に張り付いて、トラバースで高度を上げてゆく。道の外側は開けっぱなし、黄色や赤に色付いた周囲の山々が一望だ。
毎度のことだが、やはり何度来ても迫力の展望である。特に、奥にそびえる駒ガ岳の荒々しい山肌が、大きくはっきり見えるのは圧巻だ。
その山肌の荒々しく崩れた岩場以外の場所が、他の山々と同じく黄色や赤の紅葉で彩られている。
こういう状況だと、紅葉目当ての車も多い。時間別一方通行、本来自動車にとってはあまり有り難くないこの道に、次々車がやってくるのである。特に午前中は登り一方通行のはずなのに、明らかに地元の車っぽい老人が乗った車が、しょっちゅう下ってくるのにはあきれた。
道は彫りの深い山肌に張り付いて、次第に高度を上げて行く。
山肌の向きが南向きから西向きに急角度でくるっと曲がる辺りから、いよいよ枝折峠も後半に入る。
気が付くと、すでに9:50。目標時刻の枝折峠10時は確実にオーバーしそうな事態に陥っているではないか。
まあ今回はほんとにしょっちゅう写真を撮るのに立ち止まっているので、それは当たり前のことだろうと思い直す。
標高が上がると気温が下がるのか、辺りの木々もススキも次第に黄昏てきた。
小出の町も遠くに見えている。こうなるともう枝折峠は近いはずだが、この辺りが体感上一番しつこい坂が続く。木々の葉が無くなって枝だけのすかすかになってきた辺りで、ようやく正面に枝折峠が登場した。
10:35、枝折峠着。
まず何よりも寒いが、まあフリースで何とかなるレベルだ。それにまだ雨具兼用ウインドブレーカーもあるでよ。
それより、既に銀山平通過目標時刻だが、この時間にまだ枝折峠。1999年の初回訪問時に近いペースである。出発の段階では、会津高原到着時で1999年より1時間以上早着だった、2001年のペースを上回る自信はあったのだが。
主な原因は写真の撮りすぎだろう。しかしどうあれ、もはや多少あがいても取り戻しにくいレベルの遅れだ。それに、せっかくこの紅葉と、迫力の秘境奥只見湖を前にしているのだ。写真は撮らないと。
要は会津高原での最終、18:31浅草行き東武快速に間に合えばいいのである。悩み込んでも仕方無い。
記 2005.11/9