池田→(県道5・国道32・町道)中西 |
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岡山駅前のカプセルホテルで目が覚めたのが4:30。
前回利用したサンライズ瀬戸の切符が取れなくて悩んでいたところ、20時台ののぞみで東京を出発すれば、日付は変わるものの一応1回の乗り換えだけで高松まで行けてしまうことがわかった。新幹線おそるべし。
そういう前提でコースを含めてアプローチを検討した結果、宿のつぶしが利きそうな岡山で1泊、翌早朝の快速で四国に入るプランを考えた。これだと岡山滞在は6時間強、いろいろ考えると睡眠時間は多分5時間弱しかないだろう。
となると宿は極力安い方がいい。そこで、今まで利用する機会が無かったカプセルサウナを使うことにしたのだった。初めてのカプセルは、鍵が無いタイプではあったが、寝てしまえば意外に熟睡できるものだった。
今回も、時間的にも精神的にも事前にコースを練る余裕が無かった。昨日の昼までは、岡山で夜を明かし、四国に入ってすぐの坂出から走り始めればいいと考えていた。ところがふと気が付けば、高松発で夜須のサイクリングターミナルに20時過ぎにしか着けなかった3年前と全く同じ発想をしているぞ。我ながら学習能力が無さ過ぎる。おまけに標高差1000m弱級の峠が3つと200〜300mが2つ。これでは私の脚力では絶対に無理だ。
そこで考え直した。もう少し中に入って池田発とし、前から通りたかった祖谷渓経由で直接あの細道国道の与作に出る。このルートで列車の時刻はと言えば、岡山からの始発電車で、坂出7分乗り換えで高知行きの特急が連絡している。この早朝にこれ以上無いタイミングの乗り継ぎだ。
更にラッキーなことに、一度買った切符を変更、坂出での乗り継ぎ自由席を買いに行くと、同時にキャンセルののぞみ指定席を捕まえることができたのだ。
カーブの内側に落ちそうで心配になる程車体を傾ける、振り子式高速特急のおかげで池田に着いたのは7:05だったが、朝食を食べたり用を足したりが例によって時間を食う。
7:50、池田発。通学途中の池田高校の学生さんたちと一緒の裏道で県道5に出ると、そこが池田高校前だった。町外れでその県道5が国道32と合流。幅の広い国道32では、乗用車やらトラックが高速でぶっ飛ばしていて恐怖を感じた。
しかし国道走行はそう長く続かず、国道32が吉野川の対岸に渡る橋の手前で旧道に分岐する。
旧道の両脇には黒ずんだ色の落ち着いた旧市街が伸びていた。自動車の騒音が無くなり、風切り音の向こうの自分の周囲が静かになったのが感じられた。そのまま進むと、旧市街は集落になり、森の中の道に変わった。
時々見渡せる吉野川の谷は新緑が生い茂り、山の陰の色まで青い。独特の水色の川面や川原の大きな岩もよく見える。相変わらず車が高速で通行する対岸の国道の辺りさえ見なければ、山も谷も集落も、静かで落ち着いた谷間である。
四国に再び来れたことが実感できた。
祖谷口から県道32で、今度は祖谷川の谷へ入る。
最初から深い谷間の急斜面に張り付いた1車線の細道は、じりじり高度を上げながら次第に狭くなる谷間を遡る。道を覆う新緑はやがて頭上まで生い茂り、緑のトンネルのような道になった。
緑のトンネルは時々途切れ、断続的に谷間も見渡せた。最初の方で見えていた対岸の急斜面に張り付いた集落はすぐに終わって緑の壁になっていた。見上げる山々は次第に高く斜面が急になり、そして岩のごろごろした祖谷渓が更に深く、谷間は狭くなっていった。
くねくね湾曲する谷間の道からは、時々今まで通ってきた道やこれから通るはずの道が見渡せる。ほぼ垂直に見下ろさないと川面が見えない、切り立った深い谷間との標高差は200mぐらいにまでなっていた。落ちると即死であることが確信できた。切り立った急斜面の谷間、生い茂る緑と岩に張り付いた細道。そこをのろのろとぼとぼ進む自転車1台を、客観的に想像した。
しばらくそういうど迫力の谷間が続き、やがて崖に張り付いた道に更に近代的な建物が一軒だけ張り付いているのが見えてきた。奥祖谷温泉だ。見下ろす大渓谷に見上げる山々、一度機会があったら泊まってみたい空中の温泉宿だ。
その先からしばらく下りになり、はるか下だった祖谷川の川面が近づき、そのうち道幅も片側1車線ずつになって一安心した頃、9:50かずら橋着。ここから前回バスで通った道である。前回バス待ちで時間をつぶしたバス停前の食堂を横目に、そのまま通過。
渓谷は相変わらず狭いが、その後は道は緩い登り基調で広くなったり狭くなったりした。前回バスで通った道ではあるが、奥祖谷温泉までの道があまりに強烈な印象で、今日はインパクトが少ない。
記 2004.5/8