妻良→(国道136)一町田→(町道・林道)天神原 参加各位による記録 山サイおやじのHP/子連れ狼さん |
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朝食は7時でお願いしていたので、8時には余裕で出発できるはずだった。ところが昨夜の夕食に引き続き、朝食が焼魚や何やらこれまたゴージャスでボリュームたっぷりなのだった。特に味噌汁は夕べの刺身の鯛のお頭入りと、やはり夕べの海老(通称ゴン太くん)入りの2種類付。両方とも出汁と磯の香りが濃厚で、食べるもの食べるものが幸福の極み。
結局食事それ自体と、みんなの腹が落ち着くのとで、時間が掛かった。そういう嬉しい誤算で、妻良出発は8:45。
青空には次第に雲が出ているが、相変わらず暖かく、何より伊豆へ来たらまず確実に悩まされるはずの風が全く無い。天気と同じく穏やかな海面の妻良の漁港を眺めてから、国道136へ。
海岸から岩の上の台地へ、昨日下ってきた標高差200m以上を一気にぐんぐん登る。小浦を迂回する大きなカーブからは、さっきまでいた妻良の漁港と静かな湾が見下ろせた。
一町田で国道136から脇道へ逸れると、少しの間広葉樹林に下りが続く。しかし、これから本日の最高地点、天神原への登りが待ち構えている。あまり下り続けるわけにもいかない、と気を揉む。
果たして、地図で読めるぐらいの地点で「天神原方面」の標識の分岐に入り込むと、民家数軒の向こうに激坂が登場。それもかなりの激坂である。まあ天神原まで標高差100m以上あって、南伊豆内陸部のこの細道登りなので、地図からでも十分予想された事態ではあった。
一同森の中の激坂をえっちらおっちら登って、斜度が一旦緩んだところで休憩。地図で現在位置を確認すると、島さんの地図だけは古く、他の人の5万図と経路が少し違う。どうやら目の前の急斜面の茂みを、かつてのルートは突っ切っているようだった。
再び出発し、もう少し登ったところで激坂は突然終わった。天神原から続く台地に乗り上げたのだろう。海抜は300mぐらい、台地の海側、見晴らしが良い縁に別荘が何軒か建っているが、すぐ向こうは急斜面で落ち込んでいるようで、台風の時などは吹き上げてくる風で恐ろしいことになりそうだ。
10:30、小ぢんまりと鄙びた中腹の集落、天神原着。
ちょっと色気を出して、脇道へ新展望ポイント開拓を目論んだが、地図でねらいを定めたと思った道は杉林の先細りに。結局行って戻ってになってしまった。
気を取り直し、山腹を順当に少し進んだ場所でしばらく休憩。
海側は下って行く開けた斜面で、近くの山々や太平洋が一望できる。しかし、せっかく見晴らしのいい場所に来たというのに、空の中に少しずつ雲が増え始め、気温も何と無く薄ら寒くなってきた。
気分があまりぱっとしないので、再び天神原の集落へ。そのまま反対側の蛇石へと下る。
森の中の標高差200m近い一気下りは、昨日島さんが登って「後悔した」とのこと。下っていても「登りじゃなくて良かった」と思うぐらい急だ。杉林が切れると谷間に畑が拡がり、11:00、蛇石着。
蛇石峠から下っても、ここで急に集落が拡がる。海岸沿いの国道136が昭和40年代前半に開通する前、県道121は松崎・南伊豆・下田を結ぶメインルートだった。それだけにこの蛇石では、下賀茂から登ってくるなだらかな谷が一段落するのである。
県道のすぐ脇、川沿いの旧道らしき細道から、地名にもなっている「蛇石」を見物する。岩の中から蛇の頭のような石が顔を出しているので、「蛇石」と名付けられているのだ。しかし、ここには実はもう一つ大きな見所がある。古い民家の壁に、忘れ去られたようにアース製薬の琺瑯看板が残っているのだ。それも、水原弘(通称おミズ)と由美かおるの揃い踏み。2人の間で記念写真を撮ることができる、かなり得難いシチュエーションなのだ。
普段南房総でこのアース製薬の琺瑯看板を探索するくずてつさんは、ここぞとばかりに、蛇石には見向きもせずこの2人と記念撮影していた。
蛇石から先は、前述のように、開けた谷間の農村に、あまり漕がずブレーキも掛けないでいいぐらいの下りが続く。断続する集落、農家の石垣、小さな田圃や畑の中をするする細道が抜けてゆく、何とも楽しい道だ。
空にはまだ雲は多いが、再び陽射しが復活し始めていた。そう広くない谷間を照らす陽射しは暖かで、11月下旬だというのに草の緑が輝くように明るく勢いがある。
記 2004.12/22