塩山→(国道411)裂石 |
5:17、通称「できさんの中央線」で高尾発。出発時刻も早い列車だが、中央線方面に恐ろしく早く着けるので、ツーリングの時には重宝する列車だ。つい最近まで青梅に住んでいたできさんは、愛用のこの列車に乗って山梨・松本・木曾(!)方面へ向かうため、毎回朝の4時青梅発5時高尾着で暗闇を激走したとのこと。
大月で乗り換え、笹子トンネルを抜けると、甲府盆地は雲に覆われていた。雲自体はそう低い物ではなく、所々で青空も見えたので、昨夜の天気予報のように今日はこれから晴れるのかもしれないと思った。
6:22、塩山着。何と6時代前半に塩山に着いてしまうのがこの列車のすごい所だ。自転車を組み立てコンビニに寄り、6:50、塩山発。
コンビニからの道をまっすぐ行くとそのまま国道411に合流。農村の中の静かな道が、駅から裂石まで国道411にほぼ平行しているが、わざわざ駅まで引き返すこともないような気がして、そのまま国道を登り続ける。途中で適当に分岐して、そちらに入り込めばいいと考えていた。
小さな脇道は何本もあって、先の静かな道に移るチャンスは何度もあったはずが、何となくだらだらと裂石の手前まで国道411で登ってしまっていた。狭い旧道の直登激坂が脇の集落へ入り、2段つづら折れの後で再び合流している。柳沢峠の向こうもこっちも自動車がすれ違うのに冷や冷やした、もう15年以上昔のこの道を思い出す。
裂石のすぐ下には公営の「大菩薩の湯」なんていうのが新しくできていた。そう言えば前回2年前の訪問では、まだ建設中だったように思う。
7:50、裂石着。塩山からずっと遡ってきた谷間が始まる裂石には、小さな温泉旅館が何軒かかたまっている。その温泉旅館の一角に小さなバス折り返し所がある。裂石のすぐ手前で追い越された塩山からのバスがちょうど着いたところで、何人かの登山客が降りていた。登山客があらかた出発し終わるまで、少し休憩。
裂石から県道取付部の激坂を過ぎ、まだ青々とした広葉樹林のつづら折れでしばらくぐいぐい標高が上がる。千石山荘を過ぎると、多少周囲が開け、ブナやカラマツが目立つようになる。
つづら折れが一段落しても、斜面を巻きながら更に登りが続く。山の中の道だが、自動車の通行は多い。ハイカーを乗せたタクシーがひっきりなしにやって来るのだ。タクシーだけではなく、ワゴン車も多い。どっちにしても後ろのブラインドコーナーから急に現れるので、気の抜けない登りである。
高度が上がったためか、雲のような霧の中に突入した。木々の中に、まだ冴えない黄色の葉が時々現れるようになった頃、最後の3段のつづら折れを過ぎ、ようやく斜度が緩くなった。が、今までの坂で目が狂わされていて、緩い登りが平地か下りにしか見えない。間もなく周囲が開けて9:15、長兵衛小屋着。晴れさえすれば近くの山やダム湖を見下ろす眺めが素晴らしいはずだが、あいにく今日は視界が雲のようなガスに遮られている。
長兵衛小屋は大きなログハウスの山小屋で、前庭には屋根付のベンチがある。大菩薩峠へ訪れる人々はここで一休みするというのが通例のようだ。私も少し休憩。
9:35、長兵衛小屋発。県道はここから甲斐大和方面へ下って行く。大菩薩峠方面へは森の中の舗装が再び続くが、道幅はぐっと狭くなる。激坂を少しきりきりっと登ったり、平坦に近いような斜度の部分が現れたり、脇には登山道が続き、今までの県道よりにぎやかで楽しい道だ。
福ちゃん荘を過ぎ、勝縁荘を過ぎるといよいよ山道。ここから押しが始まる。とはいえこの山道も介山荘への物資運搬車が通るぐらいで、やや急ではあるが山道にしては安定した道だ。
下草が笹に変わり、時々木立が切れて、雲が被さった稜線らしいが間近に見えてきた。周囲が開けてまとまった笹原に出たところで、斜面の上に赤いトタン屋根が間近に現れた。10:50、大菩薩峠着。
峠はいつものようにハイキング客でごった返していた。
介山荘では確認しなければいけないことがある。この先向かう牛の寝尾根が、自転車通行禁止になったという噂の真偽である。この介山荘の売店には以前から自転車での訪問者のために「サイクリストノート」という入山帳のようなノートが置かれていて、自転車には好意的であるといえる。そのため、もし事態が思わしくない展開だとすると、ことの真相を介山荘で聞くのが良さそうに思えた。
「すいません、サイクリストノートお願いします」
「はいよっ。最近自転車少ないねえ」
あれれ、意外とあっけない。大菩薩峠自体や牛の寝は走行禁止ではないのかもしれない。ちょっと突っ込んで聞いてみよう。
「うーん、何だか小菅に通行禁止の札が立っているみたいなんですよ」
「ああ、あれは転落事故が起こっちゃったからねえ。牛の寝は行けるよ」
とのことで、今日の訪問の目的は果たせそうだ。
とりあえず記帳のためにノートを開いたところで、前回2001年5月に訪問した時の自分の書き込みが現れた。何だか懐かしく嬉しい。
しばらく休憩後、11:20、介山荘発。
霧がますます濃くなってきていた。ここからは標高差約100m、25分程度の担ぎで、標高2000m強の熊沢山を越える。霧は木々の間にも入ってきて、もともと薄暗く岩の多い森の幽玄とした雰囲気を更に盛り上げる。
稜線付近では、頭上が開けたり木々の中だったりする鞍部分が少し続き、最後に木々が切れていきなり周囲が開けた。眼前から笹原が急斜面で雲の中へ下って行く。真っ白な空の高速で動く雲の中に、笹原斜面から続く稜線が見えたり隠れたりしていた。
笹原の急斜面を下りきって11:50、石丸峠着。早出が効いて石丸峠に午前中に着くことができた。これでこの後はのんびりできる。
記 2003.10/2
Last Update 2003.10/7