四国Tour01 #7
2001.5/4 足摺岬→大洲

足摺岬→(県道27)以布利
→(国道321)四万十大橋
→(農道・県道20)下田分岐
→(国道56・439)四万十川橋
→(県道340)川登
→(国道441・農道)松丸
→(県道280)清水
→(国道441)桜が峠
→(林道・町道)野村
→(県道44)大洲
182km

足摺岬

土佐清水

下浦

中村

口屋内

江川崎

松丸

土屋トンネル

野村

八河

大洲


 一昨日の大洲YHで、4日は何とか四国カルストへ行きたいと思い、それらしい宿に片っ端から電話を掛けまくった。しかしどの宿も、直前の、しかもGWの掻き入れ時の一人旅など受け入れてくれるわけがないようだった。困ったあげく、やかましい宿泊者に文句はあったが、宿の雰囲気自体はとても気に入った大洲YHに戻ることにした。
 とは言え、3日の大洲→足摺岬はまだ寄り道で距離調整が利きそうだったが、今日の予定の足摺岬→四国カルスト→大洲のコースは、もう無茶苦茶にキツそうだとは思っていた。

 朝起きると、一昨日の天気予報ではあれほど晴れ後曇りとのことだったのに、見るからに不安げなどす黒い雲が頭上を覆っている。足摺岬へ朝日を見に、お客さんが何人かがやがやと出ていった。朝日を見に行ったようだったが、やがてぶつぶつ言いながら帰ってきた。

 6:15、あしずりYH発。と同時に、大きめの粒の雨がおもむろに降ってきた。
 気を取り直して走り出すと、すぐに右手にまだ6時台だと言うのに開いている食堂「あしずり市場」を見つけた。カツオのたたきが食べられるかもしれないと思った瞬間、自転車を降りて中に入っていた。一時は中村までカロリーメイトだけで我慢しようと思っていたのに、うれしい誤算だ。
 結局、早出効果をあきらめた代わりに、朝食にカツオのたたき定食を食べることができた。この時点で半分以上四国カルストは止めようと思っていたような気がする。

 6:50、あしずり市場発。
 昨日は足摺半島の西側から入ったので、今日は東側から出ることにする。西側は、どちらかというと熱帯林の中のぐねぐね道という印象が強かったが、こちら側は、いかにも南国らしい雰囲気の集落の石垣や、生け垣の中を走る箇所が多い。ちょっとしたアップダウン等の変化もある。強くなってきた雨の中を走りながら、四国カルストは無理かなと思い始めていた。

 以布利からは昨日通った国道321号に合流する。ほんの少しのアップダウンはあるが、昨日疲れた足でも気合いだけで乗り切れるぐらいの緩い坂なので、助かる。雨はこの時点で止んでいた。
 国道321号は「足摺サニーロード」と言うらしい。どうもそれは「321」の語呂合わせのようで、国道脇にもそんな看板が出ていた。与作もそんなのを誰かが捏造したのだろうか。与作、与作と吹聴していた自分がちょっと恥ずかしくなった。
 国道にはお遍路さんが多く、何人もすれ違った。初老の夫婦のような方も20台ぐらいの若者もいた。あとで聞いた話では足摺岬の金剛福寺へ向かうコースになっているようだ。中村から足摺岬までは2日ぐらいはかかるだろう。

 国道が海岸からちょっと内陸部に入り、長い伊豆田トンネルを抜けると、間もなく四万十川の河口だ。一昨日の大雨の泥水はもう消えていたが、広い河口は一目でわかる満水だった。

 9:00、中村着。四国入りして以来、毎日チェックしていたサンライズの指定券が、ようやくここで取れた。ところがあとで番号をよく見ると、9号車の13番。まあそれでもとりあえず帰りの列車ははっきりした。
 足摺岬を早朝に出発して中村にも着き、何と無く今日の目鼻も付いてきたので、今後の行程を考えることにした。
 空は明るい部分もあり、どす黒い部分もある。今すぐ雨が降っても、まあおかしくない天気ではある。四国カルストへ行っても、ガスの中を走るだけになるだろう。たとえ行くとしても、今の時点で見込みよりも1時間ほど遅れている。自業自得だが、カツオ定食の足止めが効いた。今後この遅れがどう拡がるかはわからない。今日までの行程を見ると、まあ拡がる方向かなと思う。何より、昨日の疲れもある。何とも残念だが、一方でいろいろ正当化する理由ができたので、今日の四国カルストは断念することにした。
 とすると、コースをどうするかが問題だ。四国へ来る前からずっと思っていたのは、単なる田舎道を延々と走りたい、と言うことである。私は四国カルストという「名所」に目がくらんでいただけではなかったか。それと、中村からはあの与作が始まっているが、せっかく四万十川が目の前にある。全国からこの「最後の清流」を目指して人が訪れるというのに、与作へ行くという手はない。
 コンビニの前で集中的にエネルギー補給をしながら、結局国道441ベースの、田舎道大洲直行コースを行くことに決めた。

 9:30、中村発。
 中村市からはあくまで四万十川沿いに、県道340号と国道441号、更に対岸の細い道へ時々スイッチして江川崎まで向かった。ゆっくりと力強く、大きなカーブを描いて流れる四万十川の川岸の森の中、細い道は延々と続く。連休中だからか、県外ナンバーの車も多く、交換待ちでしょっちゅう何台もの車が溜まっていた。特筆しなければいけないのは、自転車の多さである。宿のママチャリみたいなのから荷物満載MTBチャリダーまで、これだけ多くの自転車とすれ違う道は、他に見たことが無い。
 昨日宇和島の駅で出会った2人組のフルサスチャリダーにも再会した。田圃の拡がる道ばたの木陰で休んでいた2人は、昨夜は江川崎のライダーハウスに泊まったと言っていた。

 四国カルストまで行くのを断念した要因の天気は何と回復してきており、時々薄日が射すまでになっていた。
 道は位置としては河原の脇を通っているのだが、木々がびっしりと生えているので、河原への見通しはあまりない。それでも、四万十川の川面は眺めることはできた。清流と言うと何か無色透明のたおやかな川のように思うが、実際は一昨日の豪雨の影響もあったのか、青緑色の緩やかなどっしりとした流れが続いていた。
 石ころの河原の外側には、森や竹林、笹や芦が生えている。これが「手つかず」の所以だと思った。芦が田圃の間に生えているような場所もあり、「川の大増水の時には田圃が水浸しになります」
と言っていた「四万十の宿」のおじちゃんを思い出した。自分の中で、四万十の宿のお2人のイメージが、四万十川流域の人々のイメージになっていることに気が付いた。

 国道から対岸の国道と同じく川に沿った細い道があったので、幅4〜6m位なのに柵がない沈下橋をおそるおそる渡ってそちらに行ってみた。ちょうど対岸の国道は拡幅されている箇所で、集落・森・集落のパターンは今までと変わらない。

 いつの間にか川の両側には山がすぐに迫ってきていた。江川崎カヌーハウスで昼食を終え、13:00、江川崎発。
 四万十川と分かれて、今度は吉野川を遡る。国道381号と合流して広くなった国道441号は、決して雰囲気は悪くないが、やはり中村→江川崎の楽しい狭い道、木々や山肌、川が身体に近い今までの道よりも、どうしてもただ走る感覚になってしまう。

 14:30、松野発。
 いい加減にしんどいので、地図で見て閉鎖的そうなちょい峠を避けるのと、なるべく車の多い道を避けたかったので、大宿川に沿って県道280号を経由してから、再び清水で国道441号に合流することにした。
 風景も雰囲気も落ち着いていたが、県道は拡幅済で、狭い道の雰囲気を期待していると何とも気持ち的にすっきりしない。国道441号に合流し、ようやく道が細くなった。
 民家の軒先や段々畑・田圃の脇、生活空間と完全に一体化した狭い道路を通っていると、こんなに細い道がずうっと通って里から峠を越え、また里へと下ってゆくことが、何か不思議なことのように思えてきた。自分とつながっているこの道が、どんどん先へと続いてゆく不思議さ、「移動する」と言うことへの不思議さ、人々の暮らしの中を昔からつなげている細い1本の道の空間の不思議さ…普通の広い道では他の車などに紛れてしまい、移動する自分の軌跡や道路と周囲の関係が見えにくいのだが、四国で通った延々とつながって行く細い道は、そういう気持ちにさせてくれた。 

 棚田の中の細い道が山の中に入り、峠を越え、16:20、野村通過。ここから再び国道441号と別れ、県道44号で大洲へと向かった。今までと同じような集落の中の峠道、肱川沿いの川岸の道に、そろそろ夕方の赤みが差していた。いつまでもこの風景、この道が続いて欲しいと思いながら田舎道をのんびり走ったが、やがて山の間に大洲の町らしいアンテナやら現代建築が見えだした。

 18:05、大洲着。大洲郷土館YHの今日の客は、静かで穏やかな人ばかりだ。

記 2001.5/6

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Last Update 2003.3/16
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