四国Tour01 #3 2001.4/30 東祖谷山→窪川

菅生→(国道439)豊永
→(県道113)穴内
→(県道262)本山
→(国道439)矢筈峠
→(四万十林道・県道378)船戸
→(国道197・県道19)下永野
197km

吾川

米奥

下永野

大野見

船戸

矢筈峠

太郎田

大渡

池川

大峠トンネル

黒瀬

上八川

郷ノ峰トンネル

白石

本山

穴内

豊永

京柱峠

若林

菅生
(東祖谷山
青少年旅行村)


 5:00過ぎに目が覚めてしまった。また寝て起きると5:30。今日は6時台に出発しようと考えていたので、荷造りを始めた。天気は曇りだが、一瞬青空も見えたような気がした。いけるかもしれないと思ったが、これが間違いの始まりだった。
 今日も長丁場だろう。チェーンオイルは大丈夫、ブレーキも空気圧も大丈夫。と、インフレータが無いことに気が付いた。どうやら昨日の後免駅での輪行時があやしい。インフレータが無いと、とたんに空気圧が不十分なような気になりだした。が、何とも手の付けようがない。

 6:15、東祖谷山青少年旅行村発。念のため、昨日バス輪行で自転車を組み立てたバス停を覗いたが、やはりインフレータは無かった。
 旅行村が標高800m近くで、谷底を流れる祖谷川と向こうからやってくる谷道川の合流点が標高490mぐらい。そこから与作は祖谷川から離れて今度は谷道川を遡り、標高1130mの京柱峠まで登り、反対側の南小川に沿って、吉野川に合流するまで下り続ける。今日の与作は、最後の矢筈峠まで、この下り・合流・分岐・遡上・峠というパターンの繰り返しだ。
 曇天の常で、そう気温は低くない。今日はおそらく一日中曇りなのだろうと思った。天気予報では徳島は曇り後雨とのことだったが、何とか持つかなと思っていた。

 昨日バスで登ってきた道をしばらく逆走する。
 100mまではないが、50m以上はありそうな深い谷に張り付いた集落や木々の中を、与作は通り抜けてゆく。何度このフレーズを目にしたかわからないが、本当に「国道とは思えない」細さで、自動車交通のための道と言うより人間のスケール、ずっとこの山の中で暮らしてきた人々の生活道そのままである。
 谷の斜面はかなり切り立っており、集落のない場所では片側が岩肌や擁壁、片側が谷底、道は木々のトンネルをくぐり抜けると言う具合だ。若葉を通過した柔らかい緑色の光に、岩肌や擁壁の苔が濃い緑色に輝いているようで、濡れた路面や雨上がりの空気も山深い雰囲気に一役買っていた。
 集落に出ると、家並みが文字通り軒を接して与作に張り付いていた。数軒だけの集落もあれば、急斜面に段々畑を作り見上げる相当上の方まで民家が建っているような集落もある。道は複雑な等高線の曲線をそのままトレースするので、山肌の入り組んだ場所では今まで通ってきた道が横に見えるという場所もあるが、下り斜度が比較的一定しているので、今まで通ってきた道をすぐに少しずつ見上げるようになる。

 京柱峠への道には、それまでと同じように集落が続く。やがて道は集落の中を何度かのつづら折れで登りだした。棚田の蛙や、濡れた路面の上を歩くサワガニが愛らしい。私に向かってハサミを振り上げるのは、威嚇しているのか。
 最後の樫尾の集落を抜け山の中に入ると、やや勾配は緩くなったがまだしばらく登りが続いた。標高が上がると、やはり一昨日と同じく、新緑というより新芽が目立つようになった。濃いピンクの山ツツジや桜なども咲いている。
 8:30、京柱峠発。登りはだらだらだったが、下りは急に見える。というよりも、峠までの最後の平坦な箇所が結構な下りに見えたので、視覚が坂に麻痺しているのかもしれない。
 ここから高知県だ。

 峠のすぐ下から、反対側の入り組んだ山肌の間に雲が溜まって、入り組んだ山肌を遡っているのが見えた。山々の杉の濃い緑に広葉樹の新緑、濃い雲の白のコントラストが何とも素晴らしい。
 深さ100m以上はあろうかと思われる底の見えない深い谷の森の斜面を、そのままどんどん下り続けると、突然森が開けた開けた沖の集落辺りで、ぽつぽつと雨が降ってきた。お構い無しに下り続けると、やがて雨はどこかへ行ってしまった。思えばこれが危険信号だった。
 谷があまりに見事なので、少し自転車を停めると、道の脇の農家のおじさんが声を掛けてきた。
 こちら側の与作は所々で拡幅が進んでいた。ほとんど完成している谷底を渡る大きな橋にバリケードが立てられ、旧道へ道が誘導されているなどと言う場所もあった。谷は基本的に徳島側寄りも少し拡がり、ほとんど連続している集落の一つ一つも徳島県側より大きいように思えた。

 はいかいさんの定宿、定福寺YHのある定福寺の脇を通過し、間もなく9:10、豊永通過。ここからしばらくJR土讃本線に沿って国道32号を走ることになる。交通量が多いが、しばらく辛抱だ。と、国道32号と反対側を走るJRに沿って、細い道路が延びているのが見えた。再び谷から分かれて県道262号で郷ノ峰峠までの遡上を開始する穴内まで、ずっとこの道で行けるな、と地図で見ていたことも思い出した。
 迷わず、国道32号の高速大型通行を全く気にせずに走れるこっちの道を行くことにした。

 赤錆で今にも落ちそうな橋を渡り、吉野川に沿った県道262号へ入ると、今までの与作と同じような、集落の生活道のような道が続いた。拡幅されて大型車のばんばん通行している吉野川対岸の与作だが、あれの開通前はこっちが与作だったのだろうと思った。あっち側はあんなの与作じゃないよ、と知ったようなことをも考えた。
 わずかに登ってるような気もするが、基本的に平坦な道を行くうちに、奈路辺りから再び雨が。空は相変わらず明るく、すぐに止みそうな気がした。が、実はこれが最後の引き返すチャンスだった。
 10:40、本山着。コンビニ休憩中、雨が本降りになってきた。が、まだ空は明るい。

 それから先、雨は止むことはなかった。今にして思えば、いきなりではなくて何と無く連続して雨の勢いが強くなったせいか、だらだら走ってしまったと言う感はある。

 12:10、郷ノ峰トンネル通過。下りきった上八川で交差点前の商店でたむろする、休日の練習帰りのような野球のユニフォームの中学生達に天気を聞くと、どうも午後はますます雨が強くなるとのこと。
 14:00、大峠トンネル通過。
 基本的に蛇行する谷と峠の登り下り、小さな集落と美しい農村風景、立派な拡幅区間と「国道とは思えない」未拡幅区間が雨の中続いた。未拡幅区間の農村の繊細な美しさは素晴らしい。峠道から雨やガスに遮られた眺めに「これがお天気だったら」と何度考えたかわからない。「国道とは思えない」という修飾語は、道路の広さや規模の単純な比較ではない。むしろ、大型車が高速でぶっ飛ばす幹線道路への恐怖や、石垣や棚田や段々畑、生活空間として集落と一体化した狭道の、人の手や工夫を感じさせる親しげな愛らしさへの気持ちなのだ、と実感した。
 しかし、昨日の運転者さんと地元のおじいさんを思い出しながら、対向車両をいちいち道路際で避けないといけない狭小道よりも、大型車の通行できる新与作の方が、過疎の集落に人が戻ってくる手がかり、手がかりだけでもとりあえず見えやすいのかな、とも思った。

 途中で雨合羽姿に荷物満載のMTBチャリダーを発見した。呼び止めて(すいません)、少し気になっていたタイヤの空気圧を入れようとした。英式バルブの彼はわざわざ荷物を解いてフロアポンプ(すげー)を取り出してくれ(すいません)、仏式でも行けるかどうか試みさせてくれたのだが、やはりダメだった。のみならず、作業中に少し空気が抜け、前タイヤの空気圧が減ってしまった。これが後で致命傷となる。

 14:50、川口着。「松山」の文字が道路標識に見えるようになり、まあ午後も時間が進んだが、ついにここまで来たか、とちょっと感慨が深い。やはり6:15の早出が相当効いている。一方雨足はますます強くなり、土砂降りまではないが、もはやためらわずに大雨と言えるくらいにはなっていた。
 大型車のばんばん通行する、2度と通りたくない国道33号との重複区間の仁淀川の谷を過ぎ、大渡の分岐を過ぎ、いよいよ今日最後のまとまった登りの矢筈峠へ向かう。地図上ではこの矢筈峠は恐ろしい勢いで等高線が詰まっており、トンネル手前の標高差400m程は今日最大の難所のはずだった。

 大雨の中の激坂登りを覚悟しながら長者川に沿ってのろのろ進むと、最後の集落の太郎田で拡幅区間が終わり、本格的な登りが始まった。と、矢筈トンネルまでの登りは、インナーローまで使い切ったものの、決して登って登れない登りではなかった。それどころか太郎田の集落は、相変わらず与作の風景らしく可愛らしい集落であり、ちょっと拍子抜けした。しかしすでに16:30になろうとしており、大雨でもあり、なかなか気が抜けない状況であるのは変わらない。
 矢筈トンネルの手前からは、今度はトンネル入口脇から出ている四万十林道へ進むことになる。今日1日ずっと通ってきた与作といよいよお別れだ。ぜひ晴れの日に再訪したい。

 標高は高くなったというのにますます激しくなる大雨の中、やや疲れ気味の足には厳しい坂が続いたが、17:05、峠を通過。間髪を入れずにダートに変わった林道を下り始める。
 できさんのツーレポにも出ていた四万十源流の看板を脇目に、ダート激下りが続いた。もともとダート下りは苦手な上に、この雨でダートは川になっていた。空気圧が低くなったタイヤのパンクが怖い。道路が舗装路に変わったときは嬉しかった。それでも1日中雨の中峠を下ったり降りたりしていたので、ブレーキシュー辺りが何かずるずるになっていた。時々スリップもするような気がする。あまり調子に乗って速度を出せない。

 細い道は山を抜け、棚田や農村、晴れていたら素晴らしい風景なのだろう、と思わせる風景の中を、相変わらずいつまでも下ってゆく。水が張られた棚田では蛙が大合唱しており、路面には相変わらずサワガニが戯れ、憂鬱で陰惨な雨天走行を少しは慰めてくれた。
 源流から流れ出し、山の中から里の端に出たばかりの四万十川は、まだ単なる普通の田舎の川のように小さい。

 18:00、船戸で今夜の宿「四万十の宿」に到着は19時過ぎになるだろうと電話を入れ、とりあえずそれでも先を急いだ。もうこれから宿までは基本的にだらだら下りだ。走り始めると、何か妙に凍えるように寒い。レーパンに溜まった水が、ウインドブレーカーの中のシャツに染みて、上の方に上がっているようだった。相変わらず強い雨の中、これでは死にそうなので、回転数を上げ気味にして、そろそろ薄暗くなってきた県道を突っ走った。とはいえ、もはやツーリング経済速度しか出ない。山の間の平地をゆったりと流れる四万十川流域の風景は楽しみだったのだが、天気も時間も気持ちもいかんせんそう言う感じではなかった。

 大野見から窪川までは一気に道が細くなった。もう夜になるのも時間の問題で、森の中の登り返しが心細い。小さな登り返しを降りると、再び集落があったので、灯りのついた家の前に立っている人を見つけ、方向を確認して宿のある「米奥」を目指した。
 なおも進むと、もう一つ小さな登り返しがあった。川岸の森の中の道は、もはや真っ暗だ。ライトをつけて注意深く進む。登り切って下り始めたところでガン!と何かを踏んづけた。続いてシューシューと前輪から周期的な音が。
 何か挟んだか、とすぐに思ったが、そんなに甘いものではなかった。リム打ちパンクだ。

 換えチューブはあるが、インフレータがない!こんな真っ暗なところで店開きするわけにもいかない。
 やばい!絶対にやばい!今回のツーリングの、いや、ここ数年のツーリングで最悪の局面を迎えたと思っていた。

 しかし頭を抱えていても何ともならない。強引に走ると、前輪のパンクは後輪パンクよりも負担が軽いのか、その気になれば宿までは何とか走れそうにも思えた。
 雨の中、前輪をずるずる言わせながらのろのろと走った。舗装の段差や橋のジョイント鉄板部で時々ずるっと来るのがまた怖い。明日のこと、どこで空気を入れるか、宿着は何時になるのか、等々いろいろと考えが浮かんでは消えた。とにかくあと少し。あと少し。

 四万十川を渡る細い橋の向こうに集落があり、そこでもう一度道を聞こうと思った。橋を渡ると、おお、何とこの雨の中、畑の脇の街灯の下に人が立っているようだった。
 早速道を聞くと、宿まではもうあと3kmぐらいとのこと。ほっとしていると、どこから来たの、と言ういつもの質疑応答が始まった。
「いやー、パンクしちゃいましてねー」
「え、パンク?大変でしょう」
「大変です。でもあとすぐですし」
「いや…うちの軽トラ乗ってく?」
結局、お言葉に甘えることにした。19:30、四万十の宿着。

(写真は翌日撮影)

 「四万十の宿」はおよそシステムとかサービスとかいう言葉とは無縁(いい意味で)の宿のようで、おじちゃんおばちゃんの2人とも本当に知人の家に来たように接してくれるのが何ともうれしい。到着してすぐ、まずお風呂に入れていただいた。温かいお湯に身体を漬けると、1日中の雨天走行でいかに身体が冷えていたかよくわかった。その後、おばちゃんとお話ししながら、ようやく灯りの下で夕食を食べることができた。その間、おじちゃんはTVの水戸黄門に熱中していた。

記 2001.4/30

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Last Update 2003.3/16
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