四国Tour01 #2
2001.4/29 夜須→東祖谷山

夜須町サイクリングターミナル→(国道55)後免
15km

青少年旅行村入口(バス停)→東祖谷山青少年旅行村
1km

東祖谷山青少年旅行村

後免

夜須町サイクリングターミナル


 目が覚めるとまだ薄暗かったが、空は明らかにかなり濃い灰色で、路面はしっとり濡れていた。この時点で今日の走りは止めだと思った。そもそも、結構疲れが残っている。
 宿の近くから8時台に何本か高知方面行きのバスがあったが、宿の管理人さんがバス停に屋根は無いと言う。雨の中の輪行作業はちょっとつらい。朝食を食べた時点で何と無く雨が弱くなったように見えたので、高知まで距離的に半分とちょっとという話の後免まで自走することにした。

 走り出すと、実際には雨がそう弱まったということはなく、国道を走っているうちに雨具兼防寒具のウインドブレーカーはびしょぬれになってしまった。決して強い雨ではないが、しつこそうな雨だ。何と言っても降水確率午前中50%、午後80%だ。私に言わせると、降水確率80%というのは8割ではなく「ほぼ100%」ということである。

 土佐電鉄の踏切を渡ると、そこが後免の商店街の入り口だった。そのまま商店街を抜け、ちょっと行ったところにJRの駅はあった。
 着いてすぐに9:07の特急南風6号が出てしまった。駅の時刻表を見ると、阿波池田から東祖谷山行きの11時ちょうどのバスは、これでないと乗れない。間が悪いが、まあ今日は輪行を決めた時点で最初から間が悪い。これぐらい何とも思わなかった。
 おとなしく10:10の特急南風8号で池田へ向かう。途中の大歩危・小歩危で長年一目見たかった渓谷を眺め、11:12、阿波池田着。到着直前に「池田球場」というのが見え、「おお、池田高校は専用の球場を持っているのか」と一瞬勘違いしたが、単に池田にある野球場に違いなかった。

 池田の駅前で時間をつぶしてもしょうがないので、東祖谷山までの途中の「かずら橋」行きの12:15のバスに乗った。バスは小歩危・大歩危と国道をJR沿いに逆走し、祖谷渓有料道路の峠を登り、途中のトンネルではなく律儀に旧道を越えて祖谷渓谷へと向かった。
 もしかしたら走れるかもしれない、等と思って向かった祖谷渓谷だったが、雨がいきなり止む訳も無かった。バス停近くの食堂で、次第に冷える気温に時々缶コーヒーで暖を取ったり、雨が弱まったときにちょっと外に出て、渓谷対岸の急斜面を駆け登るように拡がる集落を眺めながら、次のバスまでの3時間を過ごした。

 16:21、次のバスで東祖谷山青少年旅行村へと向かった。深い谷の急斜面に張り付いた細い道路を、バスは信じがたいほどの遅さで進む。対向車と交換できる場所で交換しないといけないので、速度を出せないのだ。
 細い道は岩の山肌に沿って、新緑のトンネルと薄暗い緑の光の中をくねくね進む。こういう道はもう絶対走りたい。「降ろしてくれ〜っ」という気持ちで一杯になったが、この雨の中ではやはり走行はつらい。走れなくて何か焦っていた。

 やがて道は山の中から突如現れた与作と合流した。走れないので乗客が降りた最前座席を速攻キープして、かじりついて風景を眺める私に、運転手さんが、
「あれが20日に開通したばかりのトンネルですよ」
と教えてくれた。与作の新しく広い立派なトンネルが、旧道の対岸にできているのが見えた。バスは路線バスなので、旧道を今まで通り行くらしい。大型車との対向が無くなって一安心だと言っていた。
 与作の狭い谷間には、新緑や遅咲きの山の花に彩られた集落が、断続しつつずっと続いていた。これでも東祖谷山村の人口は、最盛期の1万人から2600人に減ったという。乗客ののおじいさんが
「そのうち70歳以上が500人もいる」
と教えてくれた。
「10年後の人口はもっと減っているだろう」
とも言っていた。

 「青少年旅行村」バス停の屋根の下で再び自転車を組み立て、ちょろっと登り、17:40、旅行村に到着。与作から少し離れた宿の周りは、一晩中静かな雨音と軽やかな蛙の合唱が響いていた。

記 2001.4/30

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Last Update 2003.3/15
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