高松→(県道280)岩崎
→(香東川自転車道・農道)来栖
→(国道193)塩江
→(県道7)芝坂
→(県道12)岩津
→(国道192)阿波山川
→(国道193)出会橋
→(国道195)神母ノ木
→(県道237・231・30)馬袋
→(国道55)夜須町サイクリングターミナル
222km
土州峠
夜須
土佐山田
物部
四ッ足峠
出会橋
上分
阿波山川
芝坂
塩江
高松
サンライズののびのびシートの窓の外が明るくなっている。何と無く目が覚めてしまい、しょうがないので窓の外をぼうっと眺めていた。以前にここを在来線で通ったのは17年ぐらい前だったが、丘と田圃の風景にはまだ見覚えがあった。17年前と変わらなかったのは岡山駅のホームもだった。
やがてうとうとしたりしているうちに、列車は瀬戸大橋を渡り始めた。瀬戸内海の表面には無数の細かいさざ波が朝日に輝いて、銀色に見える。その海とほんのりオレンジ色のかったもやっぽい空の間にぽこぽこ浮かぶ島々の、白っぽい岩と鮮やかな新緑が何とも美しい。これが有名な瀬戸内海だと思った。島々にはいくつもの魚農村というのか、小さな集落や公共施設、学校などが建っているのが見下ろせ、その中を瀬戸大橋が進行方向へと消えていた。
7:26、高松着。
改札脇に立っている人影が見える。ショルダーポーチがちらっと見え、もしやと思えば、案の定それは海援隊のオデムさんだった。高松に着く私を朝早くから出迎えに来てくださったのだ。準備の間お話ししながら、自転車組み立て完了。オデムさん、次回はぜひ一緒に走りましょう。
オデムさんに見送られ、7:45、高松発。
なるべく交通量が多いのを避けて選んだつもりだった、国道193号の1本西の県道280号だったが、意外と交通量が多い上、道が狭いのには閉口した。埼玉の外れ辺りの風景と何ら変わることの無い高松市の郊外部、何と無く町並みが落ち着き出す香川町を抜け、国道の両脇に丘が迫ってくると、ようやく風景がのどかになってきた。
それでもまだ交通量が減らない国道を避け、目に付いた「香東川自転車道」の看板に飛びついた。しかしそれらしい脇道に入ってもいつまでたっても自転車道は始まらず、農家の間の生活道か畦道のような細い舗装道路が続くだけだった。どうやら始めと終わりだけ「自転車道」と書いてあるだけの道のようだ。でも、こっちの方が通っていて楽しい。
田圃や農家の風景は谷が狭くなるに連れ次第に小ぢんまりとし、自転車道はそう長くは続かず、すぐに国道193号に合流。
だんだん坂を感じるようになり、間もなく塩江温泉の看板が目立ちだしたところで、内場ダム・相栗峠への分岐があった。
9:05、内場ダム着。とにかく細い静かな道を走りたかったので、ダムを渡ったところに見えた反対側の湖畔の道へ足を進めた。新緑の木々にすっぽり覆われ、光まで黄緑色になっている静かな道は何とも気持ちが良い。ダム湖の先の小さな集落の向こうで、再び相栗峠への道と合流した。狭い谷間、新緑が溢れ返るような集落の中の坂が次第に急になり、9:55、相栗峠通過。
峠を越えると、何かゆったりとおおらかな山の姿が拡がっていた。それは話に聞く四国の風景のイメージと合致しているような気がした。
下りきって着いた吉野川の谷を、県道12号で東へ向かう。徳島へと続く市街地は途切れ無く比較的均等に栄えている印象がある。
10:55、山川着。交差点のローソンで休憩の後、いよいよ193号の山の区間へ突入。
しばらくは広い道路が続いた。のみならず、時々かなり大型のトラックが通る。ナンバーを見ると徳島が多いが、高知とか愛媛とかもある。山の中の細い道を通ってきたのだろうかと、ちょっと不思議になった。
道路自体は広いままだが、山川トンネルを抜けると、脇の集落の中を通っている旧道が目立つようになった。思いつくままにそちらへ足を進めると、集落の生活空間と一体化した、表情豊かな細い道があった。道の両側に軒を接して建つ農家、道路の上に新緑の枝を広げる木々が少し続き、すぐにまた新しく広い車道に合流する。
田圃にはすでに水が張られ、蛙が鳴いていた。周囲の山々は鮮やかな黄緑色の新緑で覆われている。山の花の季節は過ぎているようだが、ところどころに藤の淡い紫色の花が見える。何より山鳥の声がよく聞こえる。畑にも花を付けているいくつかの作物があり、いい気分で春の農村風景の中をゆっくりと進んだ。
何か郷愁と言うだけではなく、風景そのものに妙に懐かしさを感じる理由がふとわかった。昔走った、20年ぐらい前の奥武蔵の国道299号にそっくりなのだ。今の国道299号は正丸トンネルが開通し、拡幅され、大型トラックがひっきり無しに通るいち幹線道路となってしまい、昔ののどかな面影は全く無い。
山の間の狭い谷に途切れることなく集落が続くうち、突然坂が急になった。ちょっと木々の間を登り切るとまた小集落が。木々と小集落・畑が交互に現れる中を登り詰め、11:50、経の坂峠通過。一気に下りきり、国道439号、通称「与作」と合流した。ここから川又までのほんの1kmの間、国道193号と439号の重複区間となる。
与作は本当に細い道だ。のみならず農家や商店が軒を接して道の際に続いている。何かいかにも田舎っぽい万屋で、ちょっと自販機休憩をした。と、トンボを見つけた。巨大なイトトンボのようなカワトンボだ。小川のほとりの道には、新緑やら鳥の声やら、春の風物詩がもはやてんこもりだった。穏やかな薄曇りの日差しがまた心地よい。こういう細いのどかな道が大好きだ。
12:30、川又発。小さな橋を渡って続く193号が、また国道と思えないほど細く、何ともいい気分だった。
分岐してからしばらく集落の中の緩い坂が続いたが、やがて坂が急になり、道はぐいぐい標高を上げていった。あっというまに谷を見下ろすようになったが、山の中、坂はしばらく続いた。
標高が上がって木々の新緑の色がかなり薄くなり、何と無く風が肌寒くなってきたところで、峠のトンネルが見えてきた。14:05、土州峠通過。
新緑の鮮やかな黄緑色に染まった渓谷の中の急下りがしばらく続いた後、「大釜の滝」辺りから谷が一気に深くなった。谷底の川が再びだんだん近づいたと思っていると、またいきなり「大轟の滝」で100mはあろうかという大渓谷が、まるで投げ出されたように行く手に拡がった。高い山、深い谷間はもう新緑一色だ。
つづら折れで谷底近くへ降りると、再び新緑の黄緑色に染まった急下りが続いた。標高差700m以上ともなると、下りもなかなか下りでがある。明日はこれを登るのだ、と、その時は思った。
ふと眠気を感じた。休暇の長期ツーリングでは初日・2日目辺りにいつも悩まされるのだが、普段職場で取っているはずのお昼寝が、今日は取れないからだ。しばらくあくびを出してごまかしていたが、気が付くと自転車が振れだしたので、危険を感じて道ばたに座り込んで少しうとうとした。何と無く夢を見たような気がしたが、午後の日差しは相変わらず柔らかくまぶしく、ふと気が付くと5分くらい経っていただけだった。
木沢辺りで下りは一段落し、少し拡がった谷の中、大きなカーブを描く広めの板州木津川沿いに集落が続くようになった。国道195まではあと少しである。
やがて川の川面が広くなり、板州木津川は那賀川と合流する。まるで湖のように広くなっている那賀川沿いの道から、川にかかっている黄色くペイントされた細い出会橋を渡り、今度は高知方面の国道195号へと足を進めた。
渡った先の国道195号は、いかにも静かそうな細い道が、山の中日本離れした大きなカーブを描く那賀川の脇を進む。地図を見ると少し下流で川を堰き止めているようだが、それにしても悠然とダイナミックな流れだ。水量は少な目になっているのか、水面の脇に貯まった段を描く砂地がまた異様ですらある。
ふと走りながら見上げた青い標識に、「高知 109km」とあった。
何!
今日の宿がある夜須までは大体高知と同じぐらいの道のりのはずだが、これから109kmぐらい走るのか!見込みでは今日の全体の行程は160kmぐらいのはずだったのに…
次第に日が傾く国道195号を西へ急いだ。急いだつもりだが、いや、そう急にペースが上がるわけがない。ましてやもう110kmも山の中を走ってきたのだ。
普通はツーリングマップルで区間距離を合計して大体の目安を出しておくのだが、今回は何か出発前に仕事が忙しく、気持ち的に余裕がなかったようだった。気持ちを落ち着かせるのがツーリングの効用だと思っていたが、ツーリングの準備は落ち着かないと、と何か自分で自分がおかしかった。
太陽が傾くに連れて空の雲は厚くなり、少しづつ涼しくというより気温が下がり始めていた。気持ちも焦り、足はすでに売り切れ、という、もはやぼろぼろの状態である。時々分岐する旧道を選ぶ余裕など全く残っていなかったが、山間の新緑や小さな集落、渓谷、こよなく美しい風景が続くのが救いだった。こんなになっても、とりあえずツーリングを楽しむ気持ちは残っていた。
17:50、四ツ足峠通過。地図上で延々続いているだらだら下りに備えて、サドルバッグのウインドブレーカーを着ると、日中サドルバッグが照らされたためか、布地の中の空気が暖かい。妙に心強かった。
途中、物部のGSで今晩の宿に遅れる旨電話を入れ、とりあえず一安心。とはいえ、まだまだ先は長いことはわかっていた。何故かGSの中でたむろしていた地元農家のおじさんたちと話し、コース情報を仕入れたが、まあ当然のように地図で見た以上に夜須町まで早く楽に着ける道の情報はあるわけが無い。
19:20、道の駅美良布辺りで、完全に日が暮れた。予定ではここから再び山に入り、マイナー県道や林道っぽい道を伝ってのんびり夜須を目指すはずだったが、周囲は真っ暗で今となっては危険すぎるチョイスだろう。そこで土佐山田の手前から平地を回り込んで夜須町へ行くコースに決めた。ほんの少し遠回りなような気もするが、いや、山間のぐねぐねマイナー県道を考えると、これが最短なのだろう。というより、他に選択肢はなかった。
道の両脇の田圃や畑からは、蛙の合唱や春の鳴く虫の声が中りに響いていて、焦る気持ちが少しは和らいだ。もう焦ってもしょうがない、と自分に言い聞かせていた。
20:40、夜須町サイクリングターミナル着。
メーターを見たら、222km。標高差の概算は2500m。よく走ったと言えばよく走った。しかしそれどころではない。大幅な見込み違いは大失敗と言えた。ショックですらあった。今日は150kmぐらいしか走らないはずだったのに。
明日の予定は完全に組み替えだ。これだけの見込み違いを考慮すると、予定の夜須町→海南→与作は絶対無理だと思った。どっちにしろ、この空に降水確率80%では明日は雨なのだろう。それでも宿を予約してしまった東祖谷山村へは行かなければならない。
コース設定ミス、雨と悪条件が重なった。「輪行」という単語が思い浮かび、一気に頭の中がそれ一色になった。
記 2001.4/29
Last Update 2003.3/16