頸城の春01 第9回ランドナーOFF 2001.6/2 まつだい→田麦 #2


 直江津到着直前にタクシーの運ちゃん(みたいな通行人)に聞いていた鮨屋にみんなで入る。
 他のみんなは茶碗蒸しと天ぷらの付いたサービスランチ\880を注文した。それだけじゃ我慢できないすずさんとAKPさんは、2人で中トロ握りをオプションで付けていた。私はと言えば、せっかくここまで来て何もサービスランチでもないだろう、と思ったので、一人で「地魚握り」\2700を注文した。味の方は高かっただけのことはあり、あら汁まで付いた素晴らしい物だった。が、よくよく見ると、他の人のサービスランチも一般的なネタではあるものの、ネタのでかさと言い茶碗蒸し・天ぷらなどのオプションと言い、かなり充実した内容である。何もあんな高い物頼まなくても良かったかも。
 出発予定の12:45ごろにようやく鮨が来たので、一人で直江津で待っていた門岡さんにも来ていただいた。一方、単独行のできさんからの電話が入り、関田峠は大雨で足止めを食っていると言う。雨をにらみつけて、峠の登り道を爆走するできさんを想像した。

(2枚とものえっち撮影)

 町外れのコンビニで補給し、13:40、直江津発。
 KAIさんの超熱望により、頸城鉄道廃鉄ツアーということで、上越平野の真ん中の、元線路敷の開けた1本道で浦川原を目指した。当初予定の県道216は木立の集落の中の道なので、雰囲気はなかなか悪くないはずだった。が、普段は藤井隆顔のKAIさんの目つきが完全に鉄!鉄!鉄!という雰囲気に変わっていて、廃鉄ツアーを拒否できなかった。
 しかし、頸城鉄道跡の土手とか木造2階建ての旧本社屋を果てしなく際限なく見物しているうち、当初は30分弱で上越平野を抜けて東頚城丘陵に入るはずだったのに、気が付くともう14時半。鮨の遅れもあって、当初の予定からかなり遅れてしまっている。
 そこで、あまり収穫の無さそうな浦川原行きは止め、当初予定の大池・小池から東頚城丘陵に入ることにした。
 それまで完全に平坦だった道がややアップダウンを伴うものとなり、山間の谷間が広くなったり狭くなったり、農家が断続する田圃の中の道を進む。厚い雲に覆われていた空は、時折日が射すまでになっていた。

(2枚ともGAMIさん撮影)

 東田中から地図上では単線となっている米山へ向かう道を選んだ。KAIさんご希望のダートを経由し、山間の小さな集落を米山・山中と2つ小坂をこなし、結局、山海直着は15:30過ぎ。
 道ばたに適当な万屋を見つけ、小休止とした。
 万屋の前の道ばたで、宿への行程を確認するために地図を広げた。これから行く尾神、更にその先の林道の坂の雰囲気と最高地点の標高差をみんなで頭の中にたたき込む。予定の尾上の林道を登って下って、宿到着は集合時間の18:00ぎりぎりぐらいだろうと思われた。
 ところがその時、じんたんさんが何の気無しに一言。
「峠の下の、こっちの道を行っても行けるんだけどなあ」
地図を見ると、確かに名木山のそんなに高くなさそうな丘を経由して、県道241が吉川沿いに桜坂峠の下へ向かっている。と、空気が変わるというやつなのか、みんなの気持ちが一気に変わったのがわかった。こちらだと峠ほど坂は登らなくて済む。
「風景はどうなんですか、こっちの道」
「ああ、けっこういいよ。うん」
 結局、満場一致で尾神の林道は却下になった。

(2枚ともGAMIさん撮影)

 道ばたで用を足す間にみんなには先に行ってもらった。地図では楽そうに見えたその小さな丘は、10%程度の坂が名木山・石谷とだらだら続き、標高差は100mも無いのに妙に疲れた。狭い山間の斜面を登る道は、去年の秋に来た尾神への登り道とよく似ていた。そのため、途中まで、てっきり先行するみんなが道を間違って尾上の峠道へ向かったものと勘違いして、GAMIさんと
「みんな、気付かないんですかねえ」
とか言って笑っていた。しかし、やがて丘の頂上に到着し、やはりこの道で正しかったことがわかった。ちょっと残念。
 吉川添いの道は、丘の頂上からほんの少し下ってから、名木山・石谷と断続する集落の中を、再び緩やかな登り基調のアップダウンで抜けて行く。見上げると雲の間に青空が見え、辺りは柔らかい午後の太陽光線に照らされていた。陽が出ると、山々の広葉樹林は輝くばかりの濃い緑色となり、石垣の上の小さな農家に小さな畑、山間の狭い道添いの農村がまた何ともおだやかな表情で美しい。木陰にヤギがおとなしくつながれていた。

(GAMIさん撮影)

 最後に少しぐいぐいっと登り、桜坂峠から来る峠道の県道13と合流。16:30ぐらいだったろうか。到着するなり、すずさんとKAIさんは桜坂峠を目指して更に登って行ってしまった。
 そろそろ夕方の赤みがかった斜光線に照らされ、峠道の広葉樹林が本当に美しい。2人が戻ってくるのと後の人がやってくるのを待つ間、AKPさんは私の自転車のクランクを外して遊んでいた。遊んでないで早く返して欲しい。走れないではないか。やっと取り付けると思ったら、今度はみんなで左右を同じ向きにしたり、90度ずらしたりとか言っている。
「みんなもう宿で休んでるかな」
「風呂入ってもう飯食ってんじゃないの」
などと誰とも無く話し始める。すでに到着しているだろうHiSさんの声色をまね、
「遅れる奴が悪い」
とすかさず言ったら、KAIさんが
「天の声かと思った」
とやたらと受けていた。HiSさんの真似って、兎亀必修科目なんだけどなあ。

(GAMIさん撮影&製作)

 宿まではけっこう下って少し登り。もう何をやっても先が見えるので、ほんの少しの登りを追加して、板山の萱葺農家が多いという集落へ向かった。
 いくら日が長いとは言え、17時も過ぎて夕方の雰囲気が色濃い山間に、萱葺屋根の農家が集まった板山は、しかしながら過疎が進んでいるようで、農家のいくつかは廃屋となっていた。人気のない家屋が集まっている様は何かもの寂しく、もの悲しい。
 最後にせっかくなので板山不動尊を見物し、「庄屋の家」へは17:50前に到着。

 庄屋の家の萱葺「体験棟」の前には既にたくさんのランドナーが停まっていた。以前に第7回の岐阜で見た光景である。ランドナーOFFを実感する一瞬だ。
 体験棟には自転車の数ほどは人気が無い。風呂に入っているのか、もしや…と思って宿泊棟1階の食堂を除くと、やはり早く着いた人々がすでに盛り上がっている。うらやましく思って話しかけたが、皆さん既に出来上がってまったりしてしまっていた。

(島 犬人さん撮影)

 何はともあれ荷物を下ろし、中に入る。白熱灯に照らされた板張りの大広間に、ずらっと並んだ夕食準備中のお膳が、滅茶苦茶に雰囲気がいい。今晩はきっと楽しくなるだろうと確信した。
 果たして夕食は、特に何も演出しなかったのに、ぴー助さん・美好さんのご親戚からの差し入れの日本酒やおかき、おいしい料理、地図や自転車修理やら、それぞれ好き勝手にみんなで盛り上がった。宴会は10時頃まで続いたが、誰とも無く寝始めると、昼間の疲れからか、みんな一気に眠ってしまったのが妙におかしい。
 ほんわか酔っぱらったままで、寝る前に宿の外に出てみた。ちょっと霞っぽいが、空には星が煌めいていた。欲を言えばもうすこしはっきりと見えるといいのだが、いや、湿度の高いこの地でこれだけ星が見えれば上出来だろう。

(右はGAMIさん撮影
下3枚はのえっち撮影)

記 2001.6/10

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Last Update 2003.2/16
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