2000.10/8
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(以上#1) |
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10:15、渋沢ダム着。太陽は再び雲の中でぼんやりとしていたが、標高1100mまで降りてくるともう寒くて仕方ないということはない。開けた風景の安心感もあり、少し休憩することにした。
野反湖方面からの沢と東からの渋沢が合流したところに、この渋沢ダムがある。今まで通ってきた山道の印象があり、この渋沢ダム周囲の広場、白い石の川原、鮮やかな水色の川は、突然現れた別世界の印象がある。いや、印象だけではなく、周囲の山の中でここだけがこんなに開けているのだ。吊り橋の向こう、ダム脇から1本の細い道が谷に沿って、ほぼ水平に右の森の奥へ続いているのが見えた。どうやらこれが魚野川水平歩道のようだ。
ここでウインドブレーカーをリュックにしまい、宿で作ってもらったおにぎりを食べることにした。本当は火器でインスタントラーメンでも作りたいところだが、渋川で2つも買っておいたラーメンはもう昨晩と今朝食べてしまっていた。
昭和31年に竣工したという渋沢ダムは補修工事中のようで、ダムの下の方に職人さんが何人か作業しているのが見えた。今渡ってきた向こう岸の広場には、セメント袋やらコンベヤやら、いろいろ所狭しと置いてある。静かでのどかな渋沢ダムを期待していたのだが、まあ仕方ない。
20分ほど休んで、2つあるおにぎりの1つを食べつつある時、谷間にコンクリートをはつる轟音が響き始めた。大きなおにぎりでちょうど腹が満足したところでもあり、出発することにした。
魚野川水平歩道に入ると、ガイドやツーレポで読んでいた通り、本当に1m位の細い道が、森の中やらやや開けた斜面に延々と続いた。
最初は鬱蒼とした広葉樹林。ブナなのか、まだ紅葉しない若々しい青みの強い葉が道を覆って黄緑色の屋根を作っており、葉っぱを透けた光で行く手は緑色の世界になっていた。
左の山側斜面はそのうち岩に変わり、垂直に切り立った岩場はやはり木々に覆われ、道の左側の木のすぐ向こうは深い谷になっていた。さっき渋沢ダムで越えた魚野川の谷底がだんだん深くなっているようで、木の間から見えていた河原は次第に見えなくなっていった。
突然岩山が目の前に立ちはだかると、大人のの身長ぎりぎり位のトンネルが現れた。白っぽいコンクリート壁の、上部が綺麗な半円を描いたぽっかりと真っ暗で小さな抗口は、向こう側に出口を期待するトンネルのイメージとは違う穴ぐらの感覚だ。
真っ暗な背の低いトンネルを抜けると、再び山の中に細く平らでどこか不思議な1本道が続いた。谷に張り付く道は、しばしば等高線なりにくるっと山肌を回り込み、小さな橋で沢を越える。こういう小さな沢の一つ一つに東京電力の施設の表示があるのには、さっきの山道から続きの道とはいえ、そして「巡視道」と知ってはいるが、ちょっと驚いた。
風が少し出てきた。谷全部の木々がざわーっと音を立てている。もう遙か下を流れる魚野川の谷の深さが100mを確実に越し、いくつ沢を越えたか忘れてしまったぐらいの所で、いよいよ通行止めになっているトンネルに着いた。なるほど、担ぎが必要なぐらいのかなり急な山道が目の前に立ちはだかっている。もうこれが最後の担ぎ登り、水平歩道自体もそろそろ3/2を過ぎて終わりに近づいているはずだった。
50m程登って下り終えると、下った先には小さな水場が作られていた。谷から流れる沢からビニール管で水を引いた水場の脇に、小さな磁器の湯飲み茶碗があった。何かこんな山奥で人の手の温かさに出会ったような気がした。せっかくなので水飲み休憩にする。こんな山奥、谷間の空中の静かな小径、小さな愛らしい水場、こんな場所に来れたことが何ともうれしい。
先へ進むと、道はかなり垂直に切り立った岩場の側面に張り付いていた。行く手のむき出しの岩に水平歩道の手すりが続いているのが、遠くからよく見える。すぐ下はもう200m以上の谷にほぼ垂直のような感覚で落ちている。ここもあらかじめどなたかの文章で読んではいたが、戦慄を覚えた。まさかこれ程とは。実際に行ってみると、まあ道自体は広くはないもののしっかり安定した道で、おかしなことをしない限り転落する気遣いは無い。すごくシンプルだが、ワイヤー1本の手すりも一応付いてはいる。だが、ブラインドコーナーから自転車か何かが急に飛び出して、衝突してはね飛ばされたらまず命は無いだろう。高くて見晴らしが良くいい気分だが、用心してゆっくりと進んだ。もう谷の先の方には切明らしい車道の橋がちらちら見えている。
ここを過ぎると再び森の中の道になり、沢を渡った所に小さなベンチが置いてあり、山道が右へ下っていた。
約200mの標高差を押しや担ぎ、本当にたまに乗ったりして下り、木立の中から突然現れた河原を吊り橋で渡ると、すぐにダートの車道が見えた。
12:00、切明着。小さい温泉施設に食堂があり、河原には宿泊もできる施設が建っているようだった。お昼までに切明に着けた。今まではいてきた冬用レーパンを夏用短パンに履き替える。ほっとしながら、さっき渋沢ダムで残しておいたもう1個のおにぎりを腹に入れた。
リュックにくくりつけていた後ろガードを再び取り付け、フロントバッグにいくらか荷物を移し、フレームにボトルケージを取り付けて、再びランドナー仕様で麓まで下るのだ。一息ついて温泉にでも入りたい気分だが、まだまだ先は長い。
ここから先、魚野川から名前が変わった中津川に沿って、津南方面へ抜けるということになるのだが、中津川沿いの国道405号を行こうか、中津川を挟んで国道とは対岸の地図上では細い道で記載されている秋山林道を行こうか迷っていた。でも、国道沿いには民宿が多い。今後いつか秋山郷辺りで1泊するコースを立てるとすると、あっちの国道405号はまた来る可能性が無いとは言えない。今日は秋山林道で、2年前に野々海峠・深坂峠から降りてくるときに見えた河岸段丘を訪れようと思った。
12:30、切明発。橋を渡って中津川西岸の森林を100mくらい登る。林道はすぐに水平になって、集落の外れやら広葉樹林・杉林の中やらを北上する。中津川を挟んだ谷の両斜面を国道405号とこの林道が通っていて、集落が時々あるのはあっち側だ。その上には苗場山やらの連山を眺めることができる。
時々木々が切れて落ち込んだ谷が見える。谷は次第にかなり深くなっていった。最初はそれでも標高差100m以上だったのが、林道が中津川の谷を抜ける手前辺りでは、標高差300mにもなった。特にこちらの道路が標高を上げているわけではない。中津川と国道405号がどんどん下っているのだ。森林が切れて中津川を見下ろせる場所では、直接見下ろす標高差300mの渓谷の風景は、恐怖を感じる程ダイナミックだった。
栄村のHPで見た、民宿のある大赤沢・小赤沢などの集落も、はるか上から見下ろすことができた。眺めるだけよりもやはり泊まってのんびり過ごすと楽しそうな山間の集落が、眼下の谷の森の中に張り付いていた。
中津川峡の稜線に登り、しばらく森林を抜けて結東の分岐を過ぎたころからようやく下りが始まった。いくつかの開けた牧場の中を過ぎ、河岸段丘なりに畑作地帯・水田地帯と下り続けた。中子の集落へと降りる頃には、まだ2時過ぎだというのに農村風景はもうどうしようもなく赤っぽい光に包まれていた。時間は早いが、何か疲れている。気持ち的にも十分満足していたせいか、漠然と考えていた頸城方面の深坂峠・野々海峠再訪はどうでもいい気分になっていた。
更に河岸段丘を下り、朴木沢・宮野原とのどかな集落の風景の中を抜け、谷底の国道117号へ。
14:30、森宮野原駅着。2年前に逃がした越後湯沢行きのバスを、今回は捕まえることができた。
新幹線から埼京線ホームへ向かう大宮駅の雑踏は、朝のあの冷んやりした静かな山道やわずか数時間前の大渓谷の愛らしい魚野川水平歩道と、やはりかなりのギャップが感じられてならない。
記 2000.10/12