1999.5/22
柳沢峠・大菩薩嶺・大菩薩峠 #2

自宅→(都道5)青梅→(国道411)柳沢峠
→丸川峠→
(以上#1 以下#2)大菩薩嶺
→大菩薩峠→小菅
→(国道139)深山橋→(国道411)青梅→(都道5)自宅

赤は本日の経路 灰色は過去経路

 延々と苦しんだ後にようやくつづら折れが終わり、再び尾根の上に出た。多少は坂が緩くなり、程無く大菩薩嶺着、15:25。貧血・意識不明直前で、自転車にまたがったままハンドルに顔を埋めてしばらく息を整える。
 ここからは地図上では下りだ。もう後は乗れるだろうと思っていた。それを期待して、今まで登ってきたのだ。

 大菩薩嶺は周囲を木々に囲まれており、見通しはよくない。というか、疲れていて木の向こう側を見ようとする気が起きなかった。半径50mくらいの頂上部分は木の生えていない平地になっており、中心部の岩に腰掛けて煙草を吸っていた中年女性2名が、例によってこちらをもの珍しそうに見て声を掛けてきた。
 この先の道を聞くと、大菩薩峠まで下り基調ではあるが、同じような道が続くとの事。徒歩で50分、大々的な岩場は2箇所。にわかには信じがたい。こういう時、現実逃避したい気持ちと楽観がごっちゃになって、ついつい行程を甘く見てしまうのが私の悪いところだ。
 どっちにしても、あまりうだうだしてられない。落ち込まずにとにかく息を整え、少し食事を取ってから大菩薩峠へ出発した。

 大菩薩嶺を降り始める最初の下りから早くも押しとなる。石や木の根が多いので、ランドナーでは乗れないのだ。森の中、しばらく下りは続いた。やがて、大菩薩峠まで最初の峠へ向かい、また押し上げて登る。
 いいかげんうんざりしていた。悪魔の手足のように地面をのた打ち回る根や小さな岩を避けて自転車を押し、時には持ち上げながら、また休み休み森の中を進んでいった。
 やがて、唐突に森が終わって周囲が開け、はげ山の岩場みたいな頂上に着いた。最後の担ぎで目が霞み、頭の中は妙にまっ白くなっていた。頂上には何故か男女の登山客がいて、記念写真を撮っていた。ぼうっとした頭で「シャッター押してくれとか言われたら無視しよう」とか思いながら、フロントバッグに顔を埋めて下を向いて休んだ。実際、かなり疲れていた。
 休んでいると何とか頭もはっきりしてきた。その登山客に声を掛けられ、ふと顔を上げると、ようやく周囲がわかるようになっていた。

 と、思う間も無く、真正面の空中にまだ雪を被った富士山が、下界のもやの中から島のように浮き上がっているのが見えた。

 そしてその右の奥の方にはうっすら南アルプスが、やっぱり浮かんでいた。
 北岳、甲斐駒、鳳凰三山!

 目を見張った。
「うわーっ、すげーっ!富士山っすよ、富士山!」
と、登山客の問いかけも吹っ飛んで、逆に力説していた。もはや疲れなんてどうでもよくなった。というか、身体じゅうの疲れすら完全に消えてしまった。
 数字で考えると、富士山より高い場所にいる訳が無いのだが、高さ的にこんな横位置から富士山を見た事が無かったので、何か見下ろしているような印象すらある。
 今日は暑いのか、下界のもやはけっこう濃く、富士山やら南アルプスやら、妙にはっきりとした山々だけがまるでいきなり空中に浮いているみたいだ。はっきりとはしているのだが、現実とは思えない美しさだ。

 10分ぐらい大騒ぎして、おもむろに出発。道があるのか無いのかわからない小高い岩場を担ぎ上げると、眼前にはかなり急な下りの岩場と、その先、笹原の中に道が続く開放的な尾根が拡がっていた。
 ここからは周囲の樹木が完全に無くなり、笹原の尾根道を押したり担いだり持ち上げたりの行程となった。乗れる箇所はわずかしかなかったが、現実離れした周囲の景観と、やや突き放すような厳しさを感じさせる尾根の草原、時々現れる何十mかの落差を伴う、危険な岩場の担ぎなど、退屈さは感じなかった。
 退屈ではなかったが、何度か現れた足元の不安定な岩場の下りは危険で、緊張と疲労で身体がぼろぼろになり、本当に泣きそうになった。
 やがて16:00、荒涼とした賽の河原に到着。目の前の山を越えればいよいよ念願の大菩薩峠だ。押し上げては休み、担いでは休み、岩場を必死に足元を確かめながらゆっくりゆっくりと目の前の介山荘の屋根を目指す。

 16:25、遂に大菩薩峠に到着。

 介山荘には登山客がたむろしており、多少混雑していた。
 早速サイクリストノートを見せてもらう。今まで興味の無かったこの分野だが、会議室でもおなじみのメンバーの名前をあちこちで見つけることができた。そうか。この人たち、ずっとこんな事やってたんだな。
 ノートの最後は、今日の日付で終わっていた。名前を見ると、skyさんである!
「今日ここに来る予定の高地さんへ」
という書き出しで、その文章は始まっていた。なんだかちょっと人郷へ戻ってきた気分だ。時刻を見たら、昼ごろだった。順当に塩山から登るとしたら、まあ順当に着きそうな時間である。会議室への私の書き込みをあてにして、来てくれたのだ。何だか申し訳ない。

 塩山から登ったわけじゃないので当たり前なのだが、仕入れた水を飲んで落ち着いて考えてみると、予定よりかなりの時間オーバーである。牛の寝尾根を松姫峠まで下ると、この先徒歩で4時間かかると言う。一方、小菅までは2時間くらいで降りられるだろうとのこと。
「探しに行くの、やだからね」
という小屋のおばさんの一言が効いた。直接小菅へ降りることにした。
 もう一息着こう。カップラーメンを買って食べる。塩分がありがたい。暖かいのも、いかにも身体にエネルギーを補給している感じがする。

 16:50、小菅に向けて下山を開始した。
 下りの山道は、今までにも増して山深い中を結構な急坂で降りて行く。MTBならブレーキを掛けるだけで下れそうだが、さすがにランドナーではフレーム・ホイールが華奢すぎて、降りてブレーキを掛けながら坂を下る。こういう場所では、もう圧倒的にMTBの方が有利なのだと実感。
 幅50cm未満の山道は、地形なりに細かい曲線を描き、山腹をひたすら下る。鬱蒼とした森の中、一歩足を踏み外すと崖下まで真っ逆さまという危険な場所も時々ある。こんな所をMTBの皆さんは走っているのだ、と思った。道自体は、最初の辺に石や根が多くて担ぎや持ち上げを強いられたが、それらは次第に少なくなり、乗車時間は増えていった。しかし、坂が急すぎて降りて押さなければならない場所も多かった。

 山の中を下ってはいるのだが、一体どのくらい下ったのか、さっぱりわからない。切り立った斜面の木々の間から見える周囲の稜線はいつの間にか山腹となっており、やがて沢の音が遠くに聞こえるようになり、さらに山道は森の中の急な下り道という風情の小径になった。時々道が消えていたり、半ば崩れかけていたり、それでも「小菅中」と書いてある標識に助けられたり、沢を2回渡ったり、下りは延々と続いた。
 1/25000地形図が全く出鱈目なので、どこを進んでいるのかさっぱりわからない。

 2時間弱後、唐突に下り道の先が開け、ダートが現れた。ようやく県道大菩薩線に着いたのだ。

 小菅の町には19:05着。すでに薄暗くなっており、何はともあれ改造分割ガードの隠し止めのボルトを絞めないといけない。変な振動音がさっきから耳に付く。うだうだしているうち、完全に暗くなった。
 19:20、小菅発。最近、ナイトランが多いぞと思いながら走った。これから先は青梅まで、いや、自宅までほとんど下りと言っていい。あとは舗装道路を下るだけでいいという安心感はあった。

 奥多摩湖畔の旅館やらダム施設の明り、更に下って多摩川の谷の民家の明りが何か懐かしい。今夜の青梅街道は、交通が少なくて静かに走れる。御岳を過ぎて拡がった谷の明りを眺めながら、ここまで降りてきた安心もあり、ほっとしながらこういうのも悪くないな、等と思いながら青梅へ下りを急いだ。

 21:15、羽村外れのファミレスで夕食を取る事にした。とにかく、何か肉が食いたくてしょうがなかった。

 22:50、自宅着。
 柳沢峠の単純往復で184kmぐらいなので、多分180kmは走って(?)いるだろうと思う。

 あれから1週間以上経ったが、あんなに大変でしょうがなかったはずの山道や尾根を思い出すたび、何か無性に狂おしいような再訪への気持ちに駆られている。
 みんなこうして山サイにはまってゆくのか、と納得。


追記

 実はこの後、私がこのツーリングに行くきっかけになった文章を書かれた方が、調査不足、山道に合った装備、山道を軽視した無謀な計画を、FCYCLEで諭して下さいました。自分としても、反省点の多いツーリングでした。
 しかし、この時の反省が、この年10月の大菩薩峠再訪に反映されたと思います。

 もうひとつ。本編で出てくる大菩薩峠→県道508大菩薩線の山道は、現在は自転車通行禁止となっています。

記 1999.6/1 追記 2004.1/20

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Last Update 2003.1/20
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