1999.5/22
柳沢峠・大菩薩嶺・大菩薩峠 #1

自宅→(都道5)青梅→(国道411)柳沢峠
→丸川峠→(以上#1 以下#2)大菩薩嶺
→大菩薩峠→小菅
→(国道139)深山橋→(国道411)青梅→(都道5)自宅

赤は本日の経路 灰色は過去経路

 NC誌5月号はGW計画特集だった。
 この中の柳沢峠→大菩薩嶺→大菩薩峠のコースは、こんな所へ自転車で行ったらもう単純に楽しそうだと思える文章で、ひときわ心に残った。
 その「行ったら楽しそうだ」というイメージは私の中でどんどん大きくなっていった。高校生の頃読んだ小説の大菩薩峠の印象もあり、「大菩薩峠に行ってみたい」という気持ちが「行かなくてはならない」に変わるのに時間はかからなかった。

 大好きな柳沢峠を経由して大菩薩峠へ行くことにした。問題は、何しろ山サイというものをやったことが無いことだ。柳沢峠から先の山サイ区間のペースがわからないのだ。
 しかし、地図を見る限り、自宅出発さえ早ければ歩きでも消化可能な距離ではあるように思える。最悪、山小屋や、小菅やら塩山に宿がある。計画を下方修正して山小屋に泊るのも、それはそれで楽しそうだ。

 夜明けの空が、何となく白っぽくなって晴れている。今日の下界は暑くなりそうだ。これなら関東地方一円は天気の心配はないだろうと思われる。
 5:15、自宅出発。5時台の新青梅街道は初めて通る。普段と比べて圧倒的に交通量が少ない。早朝のひんやりした気持ちよい空気の中を、いかれた自動車の幅寄せや猛スピードでの通過を気にせずに走れる。
 6:20、青梅着。そのまま走り抜ける。いつも補給する街外れのセブンイレブンで、おにぎりを買いまくっておいた。
 普通なら大型トラックに脅えながら走る青梅街道は、早朝なので車が少なく、とても走りやすい。御岳・古里・鳩ノ巣と、谷の両側の山がどんどん近づいてくる。

 丹波山寄り奥多摩湖岸の留浦には8:00着。道路に沿って駐車場があり、ここで休憩するのもいつも通り。朝早くからワゴン車の釣り客やオートバイが何人かいる。これもいつもの通り、緑色に淀んだ湖面や道行く車などをぼんやり眺めながら、おにぎりを何個か食べる。
 留浦を過ぎると、唐突に登りとなる。ここまで来ると車も少なく、いかにも山奥の街道らしい雰囲気が濃厚になる。

 9:00、丹波発。谷も渓流も一段と狭くなり、更に山深い雰囲気となる。丹波付近の数箇所を除き、全て登り坂である。道路には大菩薩ラインと書かれた標識が立っている。
 この辺は柳沢峠までの青梅街道で一番好きな景色が続く。半年ぶりの大菩薩ラインは、新緑どころかもうすっかり深緑の広葉樹の葉が伸び放題で、道路を走っていても圧迫間を感じるほどだった。
 今日はオートバイがとても多い。5〜10台ぐらいのグループが、次々通りすぎる。時々わざと幅寄せする奴もいて、いい気分が壊れる。

 渓谷を覆う広葉樹林の上の方にカラマツが見えるようになった。目の前のカーブを曲がると、突然周囲の森と渓谷の両側が拡がり、10:10、落合キャンプ場着。
  この辺りから、登りはさらにしつこくなる。周囲の広葉樹林はすっかり新緑のカラマツに切り替わった。細い枝に無数に芽生えた鮮やかな黄緑の芽が、何とも春らしく、愛しい。さっきまでの渓谷よりも開けた感じの、いかにも高原っぽい山間の民家のまばらな集落を抜けると、いよいよ峠までのつづら折れとなる。
 練習中のロードレーサーがものすごい勢いで追い抜いて行く。やっぱりレーサーの人はものすごくパワフルな走りだ。
 カラマツ林の中を進むにつれ、多摩川の上流の丹波川は小川になり、渓流になり、そして流れの音も聞こえなくなる。道路の脇ではウグイスが鳴いている。ハルゼミの声も聞こえた。

 11:10、柳沢峠着。
 頂上の茶屋付近ではさっきのロードレーサーの方が休んでいた。どちらからともなくお互い挨拶を交わし、少し話した。その方は実は私の家に近い狭山市に住んでいるそうで、今朝は名栗方面から峠を一発越え、青梅街道に出てからこっちに来たそうなのだ。凄い。世の中にはこういう人がいる。実は峠の頂上でローディーが話しかけてくる事は多い。彼らも、練習ローディーではなくて気楽なツーリストと話すのが楽しそうだ。
 茶屋の狭い駐車場にはオートバイが25台も停まっている。天気は暑くもなく寒くもない薄日。風が全く無いのがありがたい。
 11:25、いよいよ柳沢峠を出発だ。青梅街道に面した狭い登り口を、自転車を担ぎ上げ登り始めた。

 カラマツやらの細かい落ち葉に覆われた森の中の柔らかい山道を、山腹を回り込み尾根へ向かって登り続ける。グリップの悪さと坂で32×26で目一杯だ。ぬかるんでいないのは助かるが、すぐに倒木や石が多くなり、自転車を押してでないと前に進めないようになった。
 低血圧気味の私は、標高のせいか、この状態ですぐにスタミナ切れする。立ち眩み状態というか貧血というか、とにかくふわっと意識が遠くなる。少し休んでまた少し進む状態が続く。
 自転車を停めて休んでいると、静かな山の中、音にならないそよ風の音というのか、意識外ノイズのような雰囲気に包まれているのがわかる。森の音とでもいうのか。時々小鳥やもう少し大きそうな鳥のような声も、キツツキが幹をつつく軽い音やらも聞こえる。
 ふと向こうから人間の話し声がしたかと思うと、ややあって登山客が現れる。
「うわー、自転車ですか。大変ですねえ」
「我ながらけっこう大変ですねえ。気を付けて」
「気を付けて」
などと会話を交わす。

 木漏れ陽の射し込む深い森の中、時々こけの生えた岩の飛び石のような足場を長い間担ぐ危険箇所や、周囲の山が木々の向こうに見え隠れする尾根の道を、自転車を押しながら、時々担いだり、たまに乗ったりしながら進む。地図を見ても、等高線や周囲の山の見え方からしか大体の位置はわからないが、歩き基準でも信じがたいほど遅いペースのようだ。信じたくないのであまり深く考えずにいるのだが、当然のように丸川峠には着かず、延々と山道が続く。

 ふと、道の先が明るくなり、突然笹原が開け、丸川峠に到着。13:20。確実に歩きより遅いペースだ。目論見より2倍くらいかかっている。丸川峠の笹原を反対側へ抜け、丸川小屋前で地図交換を兼ね、少し立ち止まる。登山客がもの珍しそうに、声を掛けてくる。
「大変だねえ。若くていいねえ。」
 全く大変だ。しかも、そんなに若くない。
「まあ、大菩薩嶺まで行っちゃえば、あとは下りですから」
「…そうかな?まあ、頑張ってください。気を付けて。」
 そう、この時点では、まだ大菩薩嶺から先は、自転車で乗って下れるものとばかり思っていたのだ。
 柳沢峠で標高1472m、この丸川峠で標高約1670m。苦しみつつもけっこう標高を稼いだことになるが、この先標高2056mの大菩薩嶺へはまだまだだ。息を整え、おにぎりを食べ、すぐに大菩薩嶺へ出発だ。何しろ大幅に遅れている。

 丸川峠で大菩薩嶺方面の分岐が見えたが、念のため、丸川小屋でそれっぽい登山客に聞いたところ、大菩薩嶺へは、丸川小屋の向こう側の笹原の垂直に近い急斜面の道だと言う。しかたないので笹原を息を切らして休み休み担ぎ上げた。5・6回ぐらい休憩を取りながら数10m担ぎ上げ、ようやく再び森の中に入る。坂はやや緩くなるが石やら根っこの多い山道で、ほとんど自転車を押したり時々担いだりになる。
 しばらくしてやはり丸川峠からの道と合流する。あっちは押しで登れそうな道だ。やはり、峠からの道を行ったほうがよかったと思われる。

 大菩薩嶺への道は、森の中の尾根道を3・40mぐらい乗って進める箇所があった他、急坂・岩場・根っこの複合攻撃で、もはやほとんど全て担ぎか押しの行程となった。1/25000地形図では尾根道が続いてから2度のつづら折れで頂上へ到着するはずなのだが、なかなかそうならない。深い森の中、数10m担いでは1・2分休み、また担いでは休むくり返しが延々と続いた。尾根付近を通っているので、時々周囲の森が切れると遠くもやの向こうに塩山の街が見渡せる。

 尾根の道から大菩薩嶺の側面へ回り込む。山の斜面の上のほうに空が見えなくなっている。坂はいよいよ激しさを増し、遂に担ぎだけで進まなくてはならなくなった。足元も大きな岩やらで、かなり危うい。
 担ぎの途中で休んでいると、なんか蚊とアブを足して2で割ったような貧弱でずるくてしつこそうな虫が大量に寄ってくる。水も飲んでいられない。相変わらず静かな森の中、一人であせっていた。すでに、丹波で補給し直したペットボトルの残りはあとわずかになっていた。

記 1999.6/1

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Last Update 2003.1/19
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