紀伊半島Tour24#7
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今日は古座に向かう。でも、帰りの切符はもう少し先の太地から押さえてある。計画段階では、太地へ行ければ行こうと思っていたのだ。途中には山中谷底系の細道がうじゃうじゃある。昨日標高差を抑えた計画だったためか、あまり深刻に疲れてはいないものの、古座で行程終了だと楽なので嬉しいな、という気持ちはある。何にしても、今日もほぼ全区間、再訪する道だ。以前泡を食って通過したせいで、今日再訪するんだから、行程を焦って通り過ぎることだけは避けたい。積み上げでかかった時間なりに終着地を決めればいい。
宿の朝食は8時からなので、朝食はお願いせず、昨日カップ麺とパック野菜を買い込んである。しかし、歳のせいで年々早朝の食事が厳しくなっている。いろいろとささっと半分無理矢理腹に流し込み、5時半過ぎ、おもむろに荷積みを始めるとする。
外に出ると朝日が眩しい。辺りはきりっと冷えているものの、この3日間かけて海岸沿いまで降りてきて、やっとこれならポロシャツで過ごせる気温だ。
6:00、日置リヴァージュ・スパひきがわ発。海岸の自転車道から朝の海、赤みがかった青空を眺め、しばし立ち尽くす。GPS画面で狙い定めて国道42沿いのコンビニに立ち寄り、補給食のパンとバームクーヘンを仕入れ、缶コーヒーをいただいてからおもむろに県道37へ。
昨日通った日置川を遡ってゆく。相変わらずきりっと気品漂う下流域の景色は、昨日の夕陽と今朝の朝陽で、鉱泉の方向という以外に風景のニュアンスが少し変わっている。昨日路上で子供達が賑やかだった裏道も、今は静かに爽やかに朝を迎えている。6時台から7時台へ、川を遡ると共に次第に朝陽が昇ってゆくに連れ、景色の色は、赤みを帯びた光と青い影から次第に日中の色に変わっていった。長年訪れたいと思っていた日置川とこの道を、2回通る計画で良かった。
7:30、宇津木着。県道36に乗り換え、日置川の谷間から支流の城川へ。こちらでは谷間が狭くなり、山は低く、川幅も狭い。過度にくねくねした薄暗い森の細道は、至って平坦で走りやすいという感じでもないぐらいに少しづつ登っている。しかし、いつまで経っても目立って高度が上がるわけでもない。峠部分で急にきりきり登り始める細道を、紀伊半島南部ではよく見かける。
退屈かというと、全くそんなことは無い。森は深く涼しく、木漏れ日と木々の向こうの川面は対照的にきらきらと眩しい。車が殆どやってこない路上には、サナエトンボがすいすい、カワトンボや蝶がひらひら飛び回って可愛らしい。そしてこんな山奥に人が、という驚きと共に時々集落が現れる。小さい集落には、生活感溢れる民家と共に朝から田植えを始め農作業の方々がいる。朝の農村風景に、何だか嬉しくなる。
森、渓谷、農村を眺め、しょっちゅう脚を停めて写真を撮りながら進んでゆく。かなり長い間そういう時間が続いているように思えた。2007年、17時過ぎとかに驚く程速いペースでこの道を通過している。迫り来る夕暮れを前に詰め込み過ぎの行程をこなし、宿に着いたのは19:50。この辺の風景に魅せられてはいても、憶えているのは「長閑で美しい農村と森だった」という景色の表面だけになってしまっていた。6時から20時前までかけて196km走ったたっぷり感には満足できても、長い間ここは再訪したいと思っていたのだ。
今回毎度の反省をしながら、今日は大附の田圃の脇で脚を停めるとする。路上に伸びた梢が作る大きな影の下、草生す石垣に自転車を掛けて木漏れ日の斑を楽しみ、この道を最大級の晴天というタイミングでのんびり感と共に再訪できていることを、つくづく有り難いことだと思う。
石垣が美しい面谷を過ぎると、深いというより密な森の中、県道36は小さな峠を目指して高度を上げてゆく。森の中稜線を越えると、向こう側の斜度はきりきりとブレーキに手こずるほど、こりゃあ厳しい。こういうのも夕暮れの焦る気持ち以外さっぱり記憶が無い。
森から集落へ一下り、小河内で県道38に合流。合流点で行程は折り返しになっている。「佐田」の看板とGPSトラックが助けてくれた。ここまでの道よりは幅が広い県道38は、周参見からの道だ。2015年に通っていて、暑かったお昼の空気が記憶として残っている道だ。今日はその日より暑いんじゃあないかと思う。地球温暖化は確実に進んでいるのだ。
少し登ってすぐ獅子目トンネルを抜け、9:50下防己着。県道36が再び県道38と別れ、コカシ峠へ登り始めるこの地点で少し脚を停め、お10時の補給食に朝仕入れたおにぎりをむしゃむしゃいただく。
宇津木から2時間以上かかってもう10時前だ。改めて2007年の記録を見ると、コカシ峠から1時間ちょっとで宇津木まで到達している。あまりに焦っていたせいか、確か途中でヒッチハイクしたはず(ツーレポでは書いてない)なので、到達時間はあまり比較にはならないかもしれない。またもやその時の自分が可哀想になってきた。
2007年に比べて時間が掛かっている一方、行程計画にはちゃんと乗っている。というより、この分だともしかしたら12時過ぎには太地への分岐に着いてしまうかもしれない。そうなると太地15時過ぎの線が見えてくる。それなら太地を目指してもいいかもしれない。
次はコカシ峠だ。やや深めの切り立つ谷底、最初は広い幅だった道はすぐ記憶通りの細道に変わった。例によって、坂がどんな具合だったか全く記憶に無い。さっきの小さい峠では、こちら側がかなり急な坂だった。森しか記憶に無いので、また結構な登り坂が現れるのかと構えていたら、峠までは意外に緩めの登りが続いた。しかも、谷底集落の上防己からつづら折れが細かいピッチで高度を上げるに連れ、杉の密林が意外と明るく開放的な雰囲気となり、登ってゆく感を盛り上げてくれるのであった。まあ私の登りが遅いことには変わらない。
稜線に乗り上げると、すさみ町の処分場がネットフェンスの向こうに現れた。そうだ、こういうのがあったんだと、やっと思い出すことができた。
コカシ峠では、江住方面へ向かう県道36から分岐し、これから向かう林道が山間の集落大鎌へと向かっている。コカシ峠が標高400mなので、海岸の江住へはまるまる400m下りとなる。地形図では屈曲した山肌に貼り付いて、一目散に海岸へ下って行くっぽく読める。多分森の中の坂道なんだろうと思う。いつかあっちにも訪れたい。ただ、江住発にしても終着にしても、コースは組みにくそうではある。紀勢本線の江住駅に特急くろしおは停まらないし、昨夜停まった日置と違い、国道42以外に江住に入る道は400mの下り上りを伴う県道36だけだからだ。標高はそう高くないものの、訪れようとすると意外に訪れにくい道かもしれない。
大鎌への下りはやはり森の中。上地で里の端に到達するまで、まあ普通に町道っぽく狭く急な斜度が続く。途中に現れた集落の上地から更にもう少し、開け始めた谷間を下ってゆく。
大鎌はまさに山に囲まれた里だ。集落の中心に南北に道が通り、その道に西側のコカシ峠から下ってくる道と、東側の比曽原から登ってくる道がクランク状に取り付いている。比曽原への道は、古座川へ向かう三尾川沿いではあるものの、途中何故か川沿いの山肌を無駄に登り、また川沿いまで下ってくる。更に下流側へ向かってゆく道だというのに、地形図では途中に黒線の道がある。つまり、大鎌へはどの方面からも細道を登ってこないと辿り着けない。そしてそれなのに大鎌はその中心の谷間、山間ではあっても意外な開けた印象の里なのだ。或いはここも、紀伊半島の隠し里なのかもしれないとも思わせられる。
2007年には大鎌のクランクで、道間違いで北側山中への行って戻ってがあり、20分ぐらいロスした。それなのに、古座川流域から日置川流域へは今回の半分ぐらいの時間で抜けている。まああんなに慌ただしく余裕の無い訪問はもうしたくないとも思う。
そんな思い出のある集落中央のクランクを、感慨深くそろそろと通過すると、南側の角の森に神社が建っているのを見つけた。有り難くお参りしておく。民家はまばらでも、神社は丁寧に手入れされていると思われる小綺麗な雰囲気だ。また来れますように。
次は東側の比曽原へ向かう林道比曽原線だ。
大鎌の外れの茂みから森の中へ、細道は続いてゆく。前述のように谷閧フ三尾川は行く手方面へ下ってゆくのに、こちらの道は杉の森の山腹にぐいぐい高度を上げてゆく。それが意外な位にすぐには終わらない。周囲は底知れない森ではあるものの梢が高く、森の中はそこそこ明るい。あまり根拠の無い開放感は、尚更道の不思議感を盛り上げている。これで行く手が知れないとちょっと不安だと思う。幸いこちらはこの道を一度通っているし、地形図である程度ボリュームも把握できているし、GPSで現在位置をばっちり追えている。
林道は再び谷底へ、三尾川の水面近くまで下っていった。小さなコンクリート橋で対岸へ渡る所が、黒線区間の始まりだったはず。2007年は、確か普通の細道記号の部分とは区別が付かず、あまり意識せずにいつの間にか通り過ぎてしまったことを憶えてはいる。しかし進んでゆく道が黒線区間であることを意識していると、その時より落ち葉や落石が増えているような気もしないでもない。
濃厚な森の渓谷に林道は続いてゆく。細道の上に新緑の広葉樹と濃い緑の杉が涼しい木陰を作り、木漏れ日と木々の間に見える三尾川の渓谷がきらきらと輝いている。淵は青く澄み、カワトンボや蝶が路上にやってきてひらひら飛び回る。
素敵な空間が、くねくねと続く谷間にしばし続いた。またもや、こんな良い道を2007年にはあっという間に通り過ぎてしまったのだことを悔やむ。いや、あの時通れたから今日再訪できているとも言えるとまた思う。結局は、その時その時できる計画をこなすしかない。そして目の前に現れた風景を、その時に有り難く楽しませていただくしかないのだ。
黒線区間の終わりで森は切れ、高い草の茂みが始まった。地形図ではその辺に比曽原の地名があり、少し先で民家が2〜3軒現れた後、辺りは再び森の渓谷になった。もう道幅は普通の細道程度に拡がり、路面に落ち葉も亀裂も無い。
もう少しの間道が谷底の渓谷沿いに続いた後、おもむろに県道39に突き当たった。GPSトラックを見ていないと逆に進みそうなT字路交差点を過ぎ、再び辺りは拡がった。というより谷間自体が拡がって、斜面地ながら田圃と畑が登場。三尾川の集落だ。普通の県道が田圃の中を進んでゆくと道端には自販機も現れ、もうすっかり人里に戻って来たと実感できた。
12:10、田野野で国道371に合流。太地への分岐はもう少し先、あと10kmぐらいか。これだと12時過ぎの大地への分岐到着はおろか、古座到着13時は絶対不可能だ。つまり、ここまで滞りなく進んではいても、想定を超える快調ペースという感じでもない。そしてこの先、国道371に点在する古座川沿い旧道のローラー作戦を目論んではいたものの、目の前の国道371はやはりどう見ても国道だ。さっきあれだけ素敵な森の渓谷に身を置いた後だと、あまりせこく旧道細道を潰してゆく気にもならない。
いっそのこと、もう国道371はさくさく全部通過しちゃって早めに古座に着き、乗れれば1本早いくろしおに乗ろう、と思いついた。確か14時台に1本あったはず。直前なので指定が取れなきゃあ自由席でいいじゃん、この辺だったらまだ自由席でも乗れるよ。と思っていた。この思いつきに、後でちょっと後悔することになる。
田野野から先の国道371は、基本的に拡幅済みの道だ。途中所々で古座川の渓谷へ細道旧道が分岐し、新道は岩山をトンネルでばんばん抜けてゆく。2003年に通った時の印象に比べると、少しトンネルが増えているような気はする。
途中に天然記念物「一枚岩」が現れるのは判っていた。巨大な一つの岩が山になっていて河岸に聳えている、他で見たことがない風景だ。しかしそういうものがあると知って国道を走っていると、この古座川下流域、他にもそういう大岩の山が一杯あるではないか。驚いたことに、大岩は一枚岩だけじゃないのだ。
そして清流で名高い古座川。下流までゆったり堂々と、日置川とはまた少し違う気品と風格に溢れ、拡幅済新道であっても、道からの眺めには退屈しない。古座まで16km、今回の最後を締める楽しい区間となった。
13:40、古座着。捕らぬ狸の皮算用で14時台の特急をあてにしてはいたものの、時刻表を確認していたわけじゃなかった。距離感の無い道なので、いつ古座に着くかわからなかったからだ。
そのため、駅到着後にすぐ駅の時刻表を確認。もともと確保していたのは、太地発15:28のくろしお30の指定だった。それを1本早い列車で帰るために、指定が取れなかったときの安全策込みで、古座発14:05の特急で逆方向の紀伊勝浦に向かい、紀伊勝浦14:46発、予定より1本早いくろしお26に乗るという作戦を立てた。その段階では、紀伊勝浦へは自由席なら料金は500円、いや今時300円ぐらいかもしれない、と思っていた。
結論から言えば、紀伊勝浦では若い駅員さんに大変お世話になり、くろしお26の指定が何とか首の皮1枚で確保できた。そして新幹線も、首の皮1枚で予定より20分早い列車に変更でき、自宅到着は23時半過ぎ、予定より20分早く帰ることができた。20分とは言え、この時間の20分は血の20分である。
しかし、この変更は半分失敗でもあったと言えなくもない。
まず、くろしおは自由席が無い指定席だけの列車になっていた。こういう列車に指定券無しで飛び乗ったために、指定席料金(しかも繁忙期)の1680円を、指定無しで払う必要があった。古座から紀伊勝浦まで30分足らずの乗車のためだけに。
紀伊勝浦では首の皮1枚でくろしお30の指定券が取れたし、くろしおの車内でずっと新幹線エクスプレス予約をいじったら和歌山の手前でのぞみの20分早い変更ができたのは、くろしおや紀勢本線各駅、そして新幹線の新大阪の混雑を眺めるにつけ、幸運だったとしか言いようが無い。それでも結果としては、くろしおで1時間早まった分の40分が無駄だったとも言えなくもない。大人しくそのままくろしお32だったらどうなっていたかというと、国道371の旧道ローラー作戦は可能だったかもしれない。
これが失敗だとすると、最大の原因は、国道371合流時点で列車の時刻と特急くろしおに自由席が無いことを把握していなかったことだ。まあ、古座川沿いの細道への再訪も含め、この経験は次回に活かそう。
記 2024/6/8