修善寺→(県道349)市山→(国道414・市道)湯ヶ島 |
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急に押し寄せた寒波の影響で、前日の東京は最低気温-5℃。3月というのにこの冬一番の冷え込みでした。びくびくしながら迎えた翌朝、夜明けの空は雲一つ無い激晴れ。やれやれとひと安心して熟睡した新幹線でしたが、熱海手前で目覚めると、何と青空の下、一面のまぶしい銀世界。
一瞬何が起きたか理解するまで、少し時間がかかりました。窓の外には、上越新幹線の越後湯沢あたりで見慣れた、山の木々の枝に雪が張り付いて見事に真っ白になった風景があったからです。あれ、どこに来たんだっけ…。
雪国(笑)熱海から新丹那トンネルで三島まで10分かかりませんが、それでもかなり雪が少ない三島側の風景には少し安心。でも、修善寺で合流予定のできさんとのえっちは今頃函南から自走を始めているはずです。南伊豆へ行くのにルート変更の可能性を相談しようと思って電話しますが、生憎電話はつながりません。
結局そのまま三島で同じ列車のayakoさんと合流。青空の中、純白の富士山が何だか恨めしいですが、とりあえず様子を見ながら修善寺まで向かうことになりました。
伊豆箱根鉄道の車窓から眺める行く手は、何だかどんより曇っています。山の上なんてもう雲で灰色。周囲の道も、何だか雨が降ったばかりのように濡れています。微妙な温度差で、この辺は雪じゃなくて雨なのでしょう。
修善寺に着いて自転車を組み立てていると、すぐにできさんとのえっちが到着。2人とも寒くて泣きそうになっています。一時は「このまま温泉にでも入るか」ぐらいの話も出ましたが、駅前にいるうちに急に気温が上がってきました。空も何だか明るくなり、とりあえず行けるところまで行ってみようという話に。登っているうちに晴れればしめたものです。
9:05、修善寺発。まずは湯ヶ島へ、狩野川の谷間の旧国道、県道349を南下します。最初は途中で船原峠(土肥峠)へ登り、そこから尾根道の県道411へ向かうはずだったのですが、雲の中にすっぽり覆われた山々に、満場一致で「なるべく下を行く方がいい」ということになったのでした。
県道349は谷間の静かな農村をつないで、多少のアップダウンとともに狩野川の谷を遡ります。農家の庭先や畑には紅白の梅、蝋梅に川津桜、色とりどりの花が。これで晴れていたら…。
湯ヶ島の温泉街を横目に、県道59でいよいよ仁科峠へ向かいます。ぐっと道が狭くなって車は更に少なく、断続する集落に土手のきれいな棚田が何とものどかな雰囲気。
しかし、湯ヶ島の手前あたりから次第にどんより雲はますます濃くなって、県道59を遡るとともに辺りが段々暗くなってきました。先行きの不安な行程で、のどかな農村風景も心から楽しいというわけにはいきません。
案の定、金山の外れで顔に感じた冷たいものは、すぐに路面をしっとり濡らす程に降り始めました。雪です。思えば朝あれだけの雪は見ているし、修善寺からは確かに標高は上がっているし、まあ予想された事態ではありました。
持越の鉱業所脇で、軒を借りて少し休憩。気が付くと結構な量の雪が降っています。もはや仁科峠に登れるとは誰も思っていませんでしたが、せっかく日程を合わせて早起きしてここまで来たので、せめてとりあえずもう少し登ろうと言うことになりました、
鉱業所を過ぎると道は更に細くなり、坂はぐっと厳しくなります。雲に突入したのか、降る雪はますます増し、しっとり濡れていた路面もシャーベットのようにじょりじょりになってきました。持越まで2℃ぐらいで安定していた気温も、急に下がってこの時点で0℃6分に。
この辺が潮時でしょう。これ以上登ってもあまり得る物は無さそうです。というわけで、撤収決定。
県道標識の脇で記念写真を撮って、再び今まで来た道を戻ります。
撤退を決めてから戻り始めるまで1、2分でしたが、その短い間に身体はかなり冷えてしまっていました。外気の冷たさに今まで登りの発熱をほとんど感じていませんでしたが、その登りは下りとなって、進むのに体力を使わない状態で身体に当たる風が体温を奪う一方。
ちょっと厚着したかなと思っていた今まででしたが、つくづく厚着して良かったと思いました。
身体が冷えるので、時々休みながら下ります。今まで意外と登っていたようで、しばらく下りが続きます。次第に少なくなる雪にも、持越から先の雪の多さに改めて気づかされます。
南伊豆に行けないのは残念ですが、まあ今日は間が悪かったのでしょう。
身体が冷えたのとそろそろお昼なので、どこか食事処を物色しながら下りますが、まあ当然のように湯ヶ島の町中まで下らないと、適当な店はありませんでした。
結局、国道414まで出てようやく見つけた蕎麦屋に入ることにしました。この時点で11:45。
この蕎麦屋「鈴木屋」では、天城名物として猪の肉を食べることができました。できさん、のえっち、ayakoさんは山あらし丼、私は山あらし南蛮大盛りを注文しましたが、食事が出てくるまで予想外に時間がかかり、結局店を出たのは12:50になってしまいました。
記 2005.3/6