頸城の秋01 #2
2001.11/4
荻ノ島→まつだい

荻ノ島→(県道12)まつだい

→坂下→(国道353)松之山

→(県道80)天水島

→(国道405)天水越

→(林道)大厳寺原牧場

→(林道)天水越

→(国道405)天水島

→(県道80)松之山

→(国道353)新山

→(町道)千年

→(国道253)まつだい

49km

坂下

鯖石川ダム

千年

大厳寺原牧場

天水島

松之山

松口

小屋丸

まつだい

荻ノ島

今日の経路(赤表示)と既済経路(灰色表示)


 目が覚めたのは普段より30分遅い6:00。紙障子が薄明るくなっている。東京の朝と較べるとかなり寒いが、とりあえず外に出る。
 何と雨が完全に上がっていた。のみならず、澄んだ青空まで見えている。今日は少なくとも予定通り出発できる。昨日よりも天気も良さそうだ。

 6人棟へ戻ってコーヒーを沸かして暖まる。着替えたり荷物を整えたり、宿の周囲をうろうろしているうちに、あっと言う間に朝食時間が近づいた。
 もう一度表へ出てみると、さっきよりも雲の中の青空が増え、天気は確実に回復しつつあるようだった。空はすっかり明るいが、低い山が朝陽を遮って、まだ周囲は何と無く薄暗い。気温の低さもあってか、雨上がりの濡れた田圃の空気が何とも瑞々しい。気が付くと、みんな朝の散歩か、宿の外に出てきて写真を撮ったりその辺をうろつき始めていた。
 灯りの点いた9人棟で朝食でも待つか、と思って中に入る。やはり外で眺めた感じ通り囲炉裏が暖かい。2人のおばさんはいそいそと朝食の用意中で、囲炉裏端には既に昨晩と同じように大皿でたくさんのおかずが色鮮やかに並んでいる。野菜が主体の昨夜の夕食より鯖、生卵と動物性が多い。食事が始まると新米が美味しく、みんな先を争ってお替わりしていた。

 予定通り8:00過ぎ、まだ寒い荻ノ島を出発。半レーパンに上フリース程度だとちょっと歯が鳴るくらい寒いが、すぐに短い登りがあり、身体の発熱と気温がうまくバランスしてくれた。
 谷間の棚田や川、辺りに拡がる紅葉の山々、集落の風格ある家並みが次から次へと現れ、何とも見応えがある。朝陽の強い光を浴びて、そういう風景が昨日とは全く違うコントラストの強い色になっていた。特に紅葉。棚田の水面も青空の色を写していた。こういう状況下、走り出してすぐに足を止めて、見る風景見る風景をデジカメで撮影する人がる人が続出していた。まだ松代を過ぎていないのにこの状態では、今日は見込みよりもかなり足止めを食うかもしれないと思った。とは言いつつ、私も時々便乗撮影していた。

 当日合流組をチェックがてら、まつだいで小休止。
 この先、大荒戸・新山経由の最短コースで松之山へ向かおうと思っていたが、じんたんさんが何か小屋丸経由の絶景コースで行きたそうな素振りを見せていた。どうせ通るなら道は楽しい方がいいので、多少登りも距離も増えるが、コースを 変えることにした。
 前回、6月にランドナーOFFで初日と帰りに通った小屋丸経由の道へ足を進める。
 松代の町外れ、駅裏山の坂をつづら折れで登って下ると、早くも辺りが山深く、松代の町の気配なんかどこにも無い。空には多少雲が増えていて、速く動く雲が切れると谷間に日差しが当たる、という具合だったが、曇りでも谷の紅葉はあでやかと言うか、かなり鮮やかだ。陽が射すと尚更である。
 谷間の棚田から山間の集落の小屋丸まで登り詰めると、例によって紅葉の谷を見渡す絶景が拡がった。もはや誰も走ろうと思っていないようで、また自転車を停めて撮影会が始まるが、今日のコースはこの先まだまだこんなもんではないのである。

 小屋丸から下ると、正面の谷間の向こうに松口の農村が拡がる。
 緩い小さな盆地のような松口の、田圃の静かな狭い道をのんびり進む。小割の田圃に張られた水に映える青空、周囲の低山や集落のの紅葉、落ち着いた午前の空気の中で、風景が何とも美しい。

  

 集落の外れで少し登って、国道353に合流。ここから松之山までしばらく登りになる。大分前を走っていたはずのみんなが、列になってゆっくりと坂を登っているのが見えた。
 と、急に強い冷たい風が吹いた。ススキの穂が散って風の中で舞っているのはいいが、気が付くと空はほとんど雲に覆われている。

 最後のコンビニ、松之山温泉入口のヤマザキデイリーストアでちょっと休憩。山間の松之山町に入ったからか、空気はかなり冷たくなっている。松之山の交差点まで登りが続いた後、少し下り基調だったこともあり、温かい飲み物で暖を取る人が多い。HiSさんはカップワンタンを食べていたが、なかなかいいアイデアだと思った。

 あまり落ち着かないうちに、再び出発。三方峠への登りの途中から大厳寺原牧場に向かう。ランドナーオフの時とは逆向きに深坂峠を目指すことになる。
 天水島、天水越と似たような名前の集落が続く。積雪時には2階中心の生活になるのか、2階建て・3階建ての家並みや、納屋らしい建物の入口が石垣の階段の上に設けてあったり、雪対策なのか1階の窓に板が張られている民家が目立つ。
 数年前まで細かった国道405の峠道は、ここ2年ぐらい集落から峠区間に入ったところから拡幅が始まっていたが、今回も工事が行われていた。静かなくねくね道が三方峠の良さだと思うのだが、冬季の除雪を考えると地元には拡幅のメリットは大きいのだとも思う。
 登り続けると、谷が終わって峠方面へ次第にせり上がる斜面の棚田、点在する杉の木、ススキの穂の中の畦道が見下ろせるようになる。等高線に沿ったイレギュラーな、エッジが丸く下草の多い棚田の眺めは、山村の棚田の原風景とでも呼びたくなる。と同時に、日本のシャープな水田の印象より、何か東南アジアのどこかの風景も連想させる。

  峠道から大厳寺方面へ曲がると、また冷たい風が急に吹き出した。朝はあれほど希望が持てそうな天気だったのに、最早周囲は何だか薄暗い。雲が次から次へと信越国境の稜線の向こうから高速でやってきて、いつの間にか空全体を覆い尽くしている。曇天のせいか標高が上がったためか、何か風景も紅葉と言うより幹や枯草の色が目立ち、晩秋ではなく初冬を感じさせる。
 棚田の風景が見渡せる開けた道が終わって、木の葉の落ちかけた広葉樹林の激坂を登り切ると、大厳寺原牧場へ続く寒々しい笹原が拡がった。
 大厳寺原のレストハウスへ向かう分岐で、じんたんさんの教えに従ってレストハウス前経由ではなく、手前から信越国境の尾根道へ向かうことにした。冷たそうな冴えない色の池を眺めて小休止。防寒着を着込み出す人が目立つ。

(2枚ともできさん撮影)

 あまり気持ちがだらっとしないうちにいよいよ深坂峠への登りへ向かう。正面のそう遠くない信越国境の山々は、木々もだいぶ落葉して見るからに寒々しい。林と言うよりも茂みのような木々の間の道をほんの少し進んだところで、勢い良く特大の雨粒がフロントバッグに大きな音を立てて落ちた。おお、ついに雨だ。
 ばらっときた雨は粒は大きいが、まだぱらついたという程度だった。まあ念のためウインドブレーカーを着込み、近くにいたヤギちゃんが雨具を装着するのを待つうちに、ざーっという大きな音と共に大雨が。いや、落ちてきたのは雨でなく、雹だった。

 ありがたいことに雹は小粒で、音の原因の大半はみぞれ混じりの雨のようではあった。しかし、何か一気に走る気が失せた。
 と同時に、「撤収〜」と叫びながら、向こうのカーブを曲がって、先に行っていたできさんが下ってきた。

 大厳寺のレストハウスへとりあえず待避し、軒下というか床下というか、建物の半地下部で雨宿り。全員待避する直前、降り始めぐらいだった勢いの雨が大雨に。もはや今日はここから里へ下りるしかないと思った。気が付くと、みぞれが原因なのか寒気がやってきたのか、辺りがすごく寒くなっていた。着込んでもまだ寒い。
 レストハウスもちょうど営業中だったので、何か火器か反省ネタを持っている人はその場で、持っていない大部分の人は上の食堂で昼食にした。

 昼食後、雨を警戒して、もう松之山温泉には寄らずに松代まで一気に下ることになった。雨はほとんど止んだが、気温はまだ低い。
 下る途中で再び雨がぱらついてきた。下りの途中、あちこちでみんな雨具を着込む。さっきずっと登った分を下るわけで、下りが続く。手袋を持ってきてなかったので、ブレーキを握る指がかじかむ。それでも濡れた路面でのスリップが怖いので、ブレーキは緩めるわけにはいかない。
 寒さに凍えながらさっきのヤマザキデイリーストアで再び休憩、というか、雨宿り。だいぶ下ってきたというのに雨はむしろ勢いを増していたが、それでもちょっと待つ内に、雨は弱くなった。もう今日は1日中こんなのの繰り替えしなのだろう。空の雲も動きが速い。早めに撤収して正解だったと思う。
 こうなるとあまりだらだらしてもしょうがない。もう13時を過ぎていた。

 

 弱くなった雨の中を出発すると、雲の切れ間から時々陽が差し、山の端から虹も登った。
 天気雨の中を再び松代へ向かう途中、松之山の国道の交差点でくずてつさんがもっと走りたい、と離脱。6月のランドナーオフの時から東頸城を気に入ってもらえたようで、「超ドイナカ」「あまりにも平和」「日本にこんな所があったのか」などの名フレーズの数々がそれを物語る。結局くずてつさんは峠を越えて津南方面へ抜け、越後湯沢まで自走したとのこと。

 松之山の外れ、新山から再び静かな細い道、松代までの最短コースへ向かう。前回96年から通っていなかったこのコースは、比較的坂も少なくどちらかと言えば閉鎖的な、穏当な道という印象があった。しかし、実際には尾根から時々見える丘陵の展望は東頸城ならではのもので、坂は少ないと思っていたのに松代直前でけっこうしつこい登りが続いた。
 思えば東頸城で坂が無い訳が無いのだが、事前にみんなの前で気軽に「坂は無い」などと口走ってしまった。私だって全部のコースを覚えているわけではないが、当然みんなの視線は冷たい。HiSさんは私が着くなり己の普段の悪行を忘れて、「これのどこが坂が無いんだ」などと叫んでいた。しかしみんなのその不満は、松代までの最後の下り道、鬱蒼とした紅葉のつづら折れ下りで十二分に解消されたようだった。

(できさん撮影)

 ほくほく線で着いた越後湯沢で、HiSさん、bycyclaさん、すずさんが離脱。残ったメンバーで駅の温泉で暖まり、17:08、宴会列車たにがわで帰路に就いた。

記 2001.11/15

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