頸城の秋01 #1
2001.11/3
十日町→荻ノ島

十日町→(国道253)吉田中

→(県道49)高島

→(県道528)名ヶ山

→(県道427)五十子平

→(国道353)東川

→藤倉→(林道)天水島

→(国道405)三方峠

→(林道)湯之島

→(県道243)福島

→(林道福島浦田線)浦田

→竹所→濁→峠

→木和田原→(林道)儀明

→(林道)寺田

→(林道)田之倉

→仙納→(林道)田代

→(県道12)荻ノ島

92km

福島

湯之島

三方峠

天水島

東川

五十子平

赤倉

海老

中手

藤倉

田之倉

田代

荻ノ島

儀明

寺田

高島

吉田中

十日町

浦田

今日の経路(赤表示)と既済経路(灰色表示)>


 6:00、シャッターが開くのを待って大宮のホームで列の先頭を取った。などと意気込むほどの話でもなかったが、20分も経つとホーム上は行楽客で一杯になった。ハイキング・登山など様々な姿の行楽客が、東北・上越・信越、各方面の始発新幹線で行楽地に向かうのである。
 川越からのさんぽさんと上越新幹線の始発あさひ301に乗り込むと、車内はほぼ満席だ。しかし、そういうシチュエーションで東京から乗車ののえっちとヤギちゃんが席を取ってくれていた。ヤギちゃんなんか2人分も確保して、さぞかし肩身が狭かったろう。
 結局私は2号車、さんぽさんは1号車に。うろうろしていると、同じ2号車のくずてつさんに声を掛けられた。指定席にはHiSさんも乗っているはずだ。けっこうみんな朝が早い。座席に座れたのは良かったが、結局越後湯沢まで約1時間続いたのえっちのマシンガントークで、寝ることはできなかった。

 高碕からはできさんが乗ってきた。ちょっと考えると、青梅に住んでいるできさんが上越新幹線始発のあさひ301に高碕で乗るのは不思議だ。ところが何と、八高線の始発で5:08に青梅市内の金子を出発すると、高麗川乗り継ぎで6:40に高崎に到着することができるのである。この始発列車がどれぐらい画期的というと、高碕のいくつか手前から自走すれば、下仁田には朝8:00前に到着できるのだ。
 新幹線の始発で上信電鉄乗り継ぎで、下仁田で自転車を組んでさあ出発、というのより1時間弱も早いのだ。上野発5:06の上越線始発にも高碕で楽勝で合流でき、沼田に8時前に着いて尾瀬登山口の大清水に10時前に到着することもできる。ちなみに新幹線のシャッターが開く前に大宮に着こうとすると、私が新小平を出発するのは5:09。画期的な八高線というのはそう言うことなのだ。

 1号車に乗ったできさんにどこを走るのか聞かれ、地図を持って説明に行った。前日の書き込みではまだできさんはコースを決めていなかったようだったが、今日のこちらの予定コースはかなりできさん好みのコースっぽかったので、こりゃ絶対釣れたと確信した。しかし、越後湯沢で降りてきたのはのえっちとここから走り始めるくずてつさんの2人だけ。天気予報を見て、雨の嫌いなできさんはさんぽさん・ヤギちゃんの小千谷組に流れたようだった。
 曇り空の越後湯沢はなかなか寒い。列車が走り始めると、周囲の山々はもう見事な紅葉の木々に覆われていた。一方山の麓は薄い霧がかかっていて、どんよりした曇り空と共に、見ているだけで寒そうだ。

 十日町の駅前広場で自転車を組み立て始める。
 越後湯沢でも思ったが、けっこう寒い。防寒に持ってきたフリースを早速着込み、コンビニで物資を仕入れ、8:50前に十日町を出発。
 町中を抜け、国道253で信濃川を渡り、対岸の河岸段丘へ登る。登った先は、紅葉の麓の田圃や雪国らしい佇まいの集落が断続する静かな道が続く。田圃に立った丸太、時々見渡せる対岸の風景が何とものどかで、走っていて実に楽しい。
 すぐに高島の外れから鉢への登りが始まる。見下ろす谷間の棚田や対岸斜面の紅葉・ススキの風景が次第に間近に迫り、やがて朝餉の白い煙が漂う鉢に到着。
 県道から集落の中の細い道に落ち葉が敷き詰められているのが見える。斜面に展開する集落の中をくねくね抜けて行く細い道や、いかにも山間の集落らしい小さな小学校の眺めが何とも秋らしい。

 集落の中を登る方向に曲がると、正面には高さ2.5mぐらいしか無さそうな中手トンネルが現れた。狭いトンネルへそのまま突入する。通り抜けると、山の向こうの中手に出た。振り返ると、唐突な三角形のスノーシェッドが大げさに見える。
 中手の集落の中、激坂は意外としつこく続いた。狭い道がくねくねと農家の軒先や庭先の間を抜けて行く。やがて登りが終わり、ススキの茂る杉林を抜けると道は下りだした。
 と、行く手が開け、谷間じゅうに紅葉が拡がっているのが見えた。曇り空の下、それでも鮮やかな紅葉に目を見張りながら、やはりくねくねと下り続ける。中平の集落の脇を通り過ぎ、ちょっと登り返して薬師峠の旧道に合流。

 紅葉の谷間を杉の木々の間に眺めながら進むと、峠近くで海老方面への分岐が現れた。本当はここで海老方面へ向かわないといけないのだが、のえっちがどうしても薬師峠へ行かないといけない、と主張した。去年の秋にモビルスーツできさんですらあまりの道の悪さに泣きながら越えたという恐怖の薬師峠を、どうしても見ておきたいらしい。そこで、ほんの数10m先の薬師峠まで足を進めることにした。
 地図上では薬師峠はかなり近くのはずだったが、カーブを曲がると、草むらの茂みの向こう、もう本当に近くの先の道が下り始めているのが見えた。そこのもう20m先のカーブの向こうまで足を進めると、道の先に荒れたアスファルト路面と道を覆う落ち葉、両脇から道に覆い被さるススキが続いていた。この先は路面が更に大変なことになっているの実感できた。茂みまで行かずに、景色の開けた道ばたで下った先の方面に開けた展望を少し眺めた。何でもできさんによると、最後は道じゃなくて沼になってしまうらしい。

 99年秋以来の旧薬師峠分岐から海老まではずっと下りだという印象があったが、実際には狭い谷の急斜面をくねくねと緩い登りがしばらく続いた。見渡す紅葉の狭い谷は見事だが、道路には何の柵もないため、転落すると一発アウトだ。谷底は別に渓流になっているでもなく、何か湿地のような芦原のようになっていたりする。反対側の斜面は紅葉の森だったり、ススキの白い穂が所々生えている。切り立った斜面には所々昔の道のような段が見えが、昔はあっちが本当の道だったのだろうか。
 道なりにするする登って、峠というか、道のピークに達する場所に、小さな展望台が作られていた。休憩がてら自転車を乗り入れて向こう側の谷を見渡すと、海老の集落やそれを取り囲む紅葉の里山、遠くを走る国道252らしい道まで一望だ。里山の裾にはうっすら白いもやが漂っており、静かで引き締まった秋の朝の空気を思わせる。曇天の妙に鮮やかな紅葉にススキの穂の白、点々と生えている杉の緑が、彫りの深い地形と組合わさり、まるで模型のように精密に見える。しばらく秋の山里の風景に眺め入った。

 海老の集落に降り、少し登り返しながら目標の地道への分岐を探した。と、思っていたよりも多少登ったところで右側に下って行く細い道を発見。何と前回99年秋にはよく締まった地道だったこの道が、幅は細いままだが完全舗装されていた。
 下ると海老の集落の中で行く手が分岐していた。前回はどうだったかちょっとあやふやだったので、路面を見てそれっぽい方へ進む。が、どうもあやしい。たまたま狭い谷間の向こう側の畑におばさんが仕事していたので、大声で道を尋ねた。おばさんも大声で返事してくれたが、のえっちは何故かうけていた。
 この道で間違っていないようだったのでそのまま進むと、すぐに見覚えのある狭い道が、集落の中から丘の斜面を巻きながら棚田や畑の中をくねくねと進み、やがて山に突入。谷間を駆け上がり山の上まで覆い尽くす、見事な紅葉に喜びながら進んでいるうち、緩やかな登りもいつの間にか激坂に近いものに変わっていた。

 行く手におよそ平地というものは無く、次々登り下りが入れ替わり立ち替わり現れ、ピークを越える度に谷間の展望は次々と変わった。空には厚そうな雲が垂れ込めてはいたが、辺りの山々や里を彩る紅葉と刈り取りが済んだ棚田や、その中に点在する緑の杉が何とも秋らしく東頸城の風景らしく、行く先々で展開する絶景に何度も立ち止まって写真を撮った。

 坪野・五十子平・東川・藤倉・天水島と進み、三方峠を越え、湯之島の蕎麦屋で天ざるで昼食。この時点で12:30。大島村から吉川へ抜け、6月のランドナーOFFで泊まった田麦から荻ノ島へ向かうコースはさすがに厳しそうに思えたので、多少下方修正して国道403の峠から細道をつないで荻ノ島方面を目指すことにした。
 この蕎麦屋でランドナーOFFの時に美好さんのご親戚が差し入れて下さったような美味しそうなおかきを売っていたので、今晩の宴会のおつまみに仕入れておいた。

 昼食後、浦田から濁へ向かうつもりで県道243を下っている途中、途中の福島で去年気が付いた山の中の周回道路をふと思い出した。県道243の福島と浦田は道なりに行くと1kmぐらいしかないのだが、県道から分岐して西側の山腹をぐるっと数km回り戻ってくる単線の道があるのだ。
 早速のえっちに相談すると、行ってみたいということになった。しかしいざ行くとなると、自分で言い出したくせにちょっと面倒臭い気もしてきた。要は迷っていたのだ。行ってみたらとんでもないジャングルの激ダートかもしれない。
 結局、のえっちに「行けるところまで行ってみよう」と逆に説得され、福島の集落の中へ足を進めた。

 川を渡る橋の脇に「林道福島室野線」とあった。福島の外れから登り始めた林道は、細い道ではあったが意外にも程度の良い舗装道路で、取り付き部分でちょっと急目の登りだった他、緩やかな走りやすい登りがしばらく続いた。正面倉山・室野城山の概略C字型の谷を単純に登って下るこの道は、純粋に林業用途で作られたようで、時々まるで隠し田のような田圃が現れる他は、ほとんど山の木々の中を抜けてゆく。最高地点の手前では開けたススキ原にちょっと激坂気味のつづら折れが続き、登り詰めてしばらく続いた緩やかな下り区間では谷間の大展望が開けた。

 室野からは再び登りになり、竹所・濁と進む。竹所からは紅葉の山林の中ダートが少し続き、住民が残り1軒となった過疎の集落、濁から再び下りとなり、国道403沿いの峠へと向かう。
 急斜面の集落、峠では、行けたら行こうと考えていた北側への大回りコースを更に下方修正し、国道403で直接木和田原へ。
 下ってきた木和田原で目の前に現れたのは、20%以上はありそうなコンクリート舗装の激坂だった。いい加減疲れていたので、地図を読むふりをしてちょっと休んで代替ルートを探し、のえっちに提案した。が、のえっちはそういうのを許してくれない。
 結局激坂をしばらく登り、頸城でお約束の大展望を眺めて丘を越え、反対側の儀明に降りた。

 国道253を渡り、儀明・寺田・田野倉・仙納と2度ほど激坂登り・下りがあり、仙納の外れから尾根道へ。ここから先はもう荻之島まで基本的に下りとなる。一度登り返し、尾根の左右を入れ替えて、尾根道は続いた。ダートが少し続いて終わるところで、のえっちの後輪タイヤがバーストした。15:20。
 荻之島まで後ほんの少し。時間の余裕は十分あった。とは言え、余裕を持たせた行程で良かった。のえっちが予備タイヤを入れ替える間、今まで使う機会が無かった火器を使ってコーヒーを沸かしたり、先のおかきを食べたり、まあのんびりと過ごした。

 結局、荻之島着は16:20。
 雨がぱらぱらと降り始めてはいたが、「荻ノ島かやぶきの里」の9人棟と6人棟、大小の萱葺家屋の周りには2・3人の知った顔がいた。何台かの自転車が軒下に停めてあり、それに習って空いている場所へ自転車を留めた。手前味噌だが、木造家屋には細いフレームと泥除けがよく似合うと思った。

(3枚ともできさん撮影)

 引き戸を開け、狭い土間から中に入る。板の間のいろりでは早く着いたへっとこさん(さ〜け系では「む」さん)こと松井さん・ヤギちゃん・さんぽさんが暖まっていた。みんなもうすでにビールを開けて、枝豆でまったりしているようだった。奥では愛想のいいおばさん2人が食事の用意をしていた。このおばさんがまた可愛らしいとしか言いようが無い素朴な感じのおばさんで、萱葺の建物といろりの雰囲気と見事に似合っている。
 ランドナーOFF「頸城の春」で、いろいろな方のレポートにより「荻ノ島かやぶきの宿」を知った。良さそうだという直感はあったが、まさかこれ程雰囲気がいいとは思わなかった。いろり端で早くもビールを空けているうちに、雨の中をすずさん・ぴー助さんが到着。
 こんな天気の悪い日に、薄暗い夕暮れから次第に外が真っ暗になってもτ.κさんだけが到着しない。「自走はしないって言ってたんだけどね」という話から、軽井沢のオフの集合時間にτ.κさんが相模大野から自走で到着して「顔見せです」と言って自走で帰っていった話などをしているうち、集合時間の17時頃に電話があった。刈羽でパンク修理中とのことだった(結局夕食直前にリタイヤとの連絡が再度あった)。

 言われて気が付いてみると、HiSさんとヤギちゃんのロード以外、全員泥除け付ツーリング車なのがおかしい。むさんの言う「裏ンドナーOFF」というのもあながち的外れでは無さそうだ。
 じょんのび温泉へバスで向かう頃はもう雨が本格的に降り出していて、温泉までの道にやっぱりあった坂などをバスから眺めながら、「これ自走はとんでもないね」などとみんなで話し合った。

 夕食は野菜や山菜主体のいかにも山の食事らしいもので、動物性蛋白質はイカの煮物しかないというのが徹底していた。大きめの皿から各自好きな物を取って思い思いに食べる方式で、ご飯をおかわりしたりビールを空けたりするうちになし崩し的に宴会になった。

(3枚ともできさん撮影)

 おかずの皿を片付けてデジカメ上映会が始まった。
 「高地くんはぜひ一度行ってきなさい」と一応同い年のHiSさんが偉そうに熱く語る山古志村レポートは、しかしながら紅葉の山村風景が最高に美しく、長岡周辺では例によってしっかり廃鉄ツアーも敢行したようで、闘牛の準備風景や噂の中山トンネルも見ることができた。何気無くとんでもない盛りだくさんのハードツアーだったようだ。
 次はできさんの小千谷隊レポートだった。佐倉さんの高柳町イベントでの山形牛ステーキ600g&ライス&野菜の完食無料チャレンジの顛末が、特に動画で見る見るうちにどんぶりのご飯が無くなって行く様子は最高におかしい。食べ過ぎた佐倉さんは胃薬を飲みながら夕食を食べていたが、余程こたえたらしく、生きた顔をしていない。
 この他、「100mを10分で計算」というできさんの標高差規準の計算方法が話に出た。「1時間600m」ではなく「100m10分」というタイトな計画法が何度聞いてもいかにもモビルスーツのできさんらしい。思わず笑ってしまった。実際にはできさんの走りなら、このペースなら楽勝だろう。
 また、ヤギちゃんもツーレポでUPしていた男鹿半島の様子を上映していた。ヤギちゃんは余程この男鹿半島が気に入っているようで、以前私も北海道の写真を餌に結局この男鹿半島の写真を見せられた。今回も昼の行動の発表会と言うことだったが、ヤギちゃんの出し物は大半が男鹿半島だった。
 雨のせいもあって冷え込んでいるので、いろりが暖かい。いろりを囲んで酒が、話が進む。最高に楽しい宴会だ。

(できさん撮影)

 最後に明日の話も少し出た。雨が降ったら出発も遅らせないといけなかった。まあ雨でも走る気の人は少ないようで、多分午前中は宴会になりそうだった。しかし外は大雨ではあったが、この季節、夜これだけ降れば、翌日は大概天気が回復するような気もした。まあ、天気の話は気を揉んでも仕方ない。今回の場合は今考えても明日考えてもあまりやることは変わらないだろうと思った。

 夜中の2時に一度目が覚めて用を足しに行ったが、雨音は止まっていなかった。

記 2001.11/8

#2に進む     続編 頸城の春01 第9回ランドナーOFF 2001.6/2・3へ    頸城indexに戻る    自転車ツーリングの記録に戻る    Topに戻る

Last Update 2004.5/23
ご意見などございましたら、E-Mailにてお寄せ下さい。
Copyright(c) 2003 Daisuke Takachi All rights reserved.