頸城の春01 第9回ランドナーOFF 2001.6/3 田麦→まつだい #4


 12:00、いそいそと元気良く出発していったアタック隊を見送った後、じんたんさんに先頭をお願いした。景色の一番いい、標高750mの最高地点で小休止することにして、最後から付いて行く。

 大厳寺原牧場への林道は、野々海峠・深坂峠のある信越国境の稜線から急に落ちる崖地の下辺りを2回下って登ってを繰り返す。今だから言うが、代替コースとはいえ、標高差の合計は320m程度と野々海峠へ登る(380m)のとそう変わらない。その甲斐あってというか、大展望はさすがに深坂峠ほどではないものの、ピーク地点では田麦立方面など、里により近づいた眺めが楽しめる。また、針葉樹林・広葉樹林の他、開けた岩場の谷間への下り、こよなくのどかな中原付近の農村風景、国境の稜線など、風景のバラエティではむしろこっちの方が上回るのだ。

 菖蒲高原牧場の1本道を曲がると、道は谷へ向かって急降下し、渓流を渡ってから再び標高800m辺りまで登り返す。谷の展望が拡がり、のどかな牧場から一転して拡がる岩場の渓流が、若々しい緑に包まれて何とも涼しげに見える。実はこれ、大平からずっと辿ってきた保倉川の源流である。
 さっきの菖蒲高原牧場への登りで警戒しているのか、エネルギーを温存しているのか、坂の下からみんなが行儀良く列になってゆっくり登っているのが見える。何となくユーモラスな光景で、笑ってしまった。
 出発前、もしかしたらこっちの道も残雪で足止めを食らうかもしれないと美好さんと何度も話していたが、時々向こうからやってくる自動車は、とりあえずこの道が通行できる証に違いなかった。しかし、ピークに近い日陰の道ばたに大量の残雪が道路にはみ出して残っているのを見て、改めてこの地域の雪深さが思いやられた。野々海峠アタック隊はさぞかし難儀しているに違いないとも思った。でも、雪崩の心配もないだろうし、悪人ばかりだから放っておいても帰ってくるだろう。

(右2枚は島 犬人さん撮影)

 去年の秋に逆から登って、随分長い登りに感じた最高地点には、意外と早く着いた。とても涼しく穏やかな風の中、みんなは頸城丘陵の展望を眺めていた。眼下には、広葉樹林に囲まれた農家や棚田の中に深緑色の杉が点在する田麦立周辺の里の風景が展開し、北東の稜線の向こうには、さっきはちょっと見えにくかった八海山が、よりはっきり見えるようになっていた。
 12:40過ぎ、少し下った田麦立への分岐で、Zizouさんが帰る電車に間に合うよう、離脱することになった。ほんの少し後、門岡さんも後を追っていった。

(2枚とも島 犬人さん撮影)

 そのまま緩い下りに任せて林道は山の中から中原の農村の中へと降りる。
 正面には信越国境の山肌が、岩の間の谷にへばりついた残雪と共に立ちはだかっていた。稜線近くには、一直線に横切る雪に埋もれた峠道が見える。まぶしい昼過ぎの太陽光線の中、柔らかい新緑と岩肌の残雪がとても美しい。ちょっと進んだカーブの先では、みんな立ち止まって風景を眺めていた。
 その先は緩い下りが続き、中原を通過。国境の残雪の山々を間近に眺めながら、カーブを繰り返す細い道の両側に、泣けてくる程懐かしいような農村が拡がっていた。

 再び、大厳寺原牧場への登りが始まる。
「高地さん、あとどれぐらい登るの」
「うーん、標高差160mぐらいですかね。…、あとちょっとですってば」
とみんなを促し、再び全隊が登り出す。すぐに激坂が始まるため、隊列はばらけることがない。下から眺める十数台のランドナーの登坂の風景は力強く、やはりどこかユーモラスでもあった。

 最低限自販機ぐらいはあるだろうと思った大厳寺原牧場は、しかしながら水も無く売店も無く、自販機には電源すら入っていなかった。天気も良く、開けた草地も国境の稜線も眺めが良く、日陰には大きな残雪の塊が残っていたが、あまり長居のメリットは無さそうだった。
 13:20、そろそろ時間も押していた。

(2枚とも島 犬人さん撮影)

 牧場から棚田の中を下り、松之山までの「狐塚の棚田」のダート下りへ足を進める。
 ダートの入り口には、開けた棚田の風景が目の前に拡がっていた。ここからは去年の秋に一度通ったふじ→さんと私しか道を知らないようだ。下りきった分岐で道を間違えないよう、先頭で下ることにした。
 と、出発して50mほど、短い急下りのダート直線が終わり、直角カーブでコンクリート舗装に入ったところで自転車が異常に跳ねた。たまらず一旦止まり、再び走り出そうとすると、後輪がロックして自転車が動かない。おや、と思ってのぞき込むと、…見たこともないほどぐにゃりと後輪のリムが変形していた!

(3枚とも島 犬人さん撮影)

 しまった、やってしまった!…でも何故?
 理由はどうあれもう走れない。このまま押しで下って松代までタクシー輪行するしか無い。これが世に言うポテトチップか。
 頭に一気にいろいろな考えが浮かぶ。何か焦っていた。と同時に、
「今回のツーリングはこれで終わったな」
という考えで頭は一杯だった。ここでリタイヤは残念だが、まあみんなこれを話の種にして無事帰ってくれるだろう。帰りの新幹線はみんなと一緒かもしれないぞ。
 とりあえず松之山温泉まで下らないといけない。みんなには押しの下りにつきあってもらう必要は無いので、とりあえず何人かには先に進んでもらった。

 と、ここで即助けの手をさしのべて下さったのがGAMIさんとできさん。
「いや、もう走れなくていいですよ。タクシー乗りますってば」
と完全にあきらめていた私を後目に、
「踏んずけてニップル回しで微調整すりゃ直るよ。自転車裏返して」
と、もう手際の素早いこと。カンティブレーキに食い込んでいたリムをひっぺがし、クイックを抜いたホイールを手で回して、
「よし!こことここ!」
とねらいを定めて、2人で押さえて1人で踏みつける。これを何回かやって、歪みが少しはましになったら今度は後ろのエンドに後輪を乗っけて、更にねらいを定めて何回か踏みつけた。いよいよ全体のバランスを取る段で、兎亀で「モビルスーツ」と呼ばれるできさんのフルパワーが炸裂した。手でリムを曲げて直してしまったのだ。その場所にいた全員が戦慄した。私は…ひたすら感謝していた(ほんと)。

(2枚とも島 犬人さん撮影)

 エンドに入れたホイールが、フレームと泥除けにタイヤが触れなくなったところで、再出発。
 走り出すと意外と安定しているので驚いた。というか、振れのピークの感触以外は、ほとんど問題なく走れる。フレームに負担はかかるだろうし、やはりロスはあるのだろうが、本当に意外な程の安定ぶりだ。驚くと同時に、松之山温泉まで下れれば良かったはずが、これなら松代まで帰れるという気持ちが起こってきた。
 思えばGAMIさんには一昨年の岐阜ランドナーオフでもチューブトラブルで助けていただいた。朝もお世話になったし。そういえば私以外でも、昨日の晩もGAMIさんはZizouさんのホイールトラブルの原因究明をされていた。それが自然に昨日の品評会になったのだ。

 道は棚田や杉林の緑、農家の間をダートや簡易コンクリート舗装で一気に下ってゆく。今までの道よりも更に狭い砂利道、連続する急カーブと、風景と一体になって走る感覚がとても楽しいが、あまり速度が上がらないよう注意して下る。
 下りきって再びみんなの集合を待った。次々と到着する人の中には、転倒などで擦り傷を負った方もいた。ここでまたもや、「走る救急箱」という異名を持つGAMIさんの救急セットが役立っていた。できさんも絆創膏を出したが、島さんの指に貼ろうとしたとき、
「おおお、できさん、指曲げちゃだめだよー」
とふじ→さんがギャグを入れていた。
 松之山から松代まであと10kmぐらい、これぐらい走れるんだったら、もう最後まで走るしかない、という気持ちが固まっていた。

(2枚とも島 犬人さん撮影)

 天水島から、菖蒲から三方峠を越えてきた国道405号に合流する。三方峠もなかなか程良い峠で、狭い谷間に棚田の拡がる風景が素晴らしい。後ろ髪を引かれる思いで松之山へ向かう途中、松之山温泉で美好さん・きょういちさん・くずてつさん・せいろくさん・ふじ→さんの5人が離脱。

 松之山から先はいよいよまつだいの駅へ向かうだけだ。農家と杉林、棚田という、この辺の典型的な農村風景が約10km続く。
 途中で、国道353号へ向かうはずが間違ってこっちへ来てしまった明日の風さんも離脱して、野沢温泉へ向かっていった。
 一方、最後の最後でモビルスーツできさんのパワーは大爆発していた。平地よりよっぽど速い速度で坂を駆け上がるのだが、あの後ろががっしりしたヒロセのフレームがぐらぐら振れ、チェーンが「ぶちっ」とまるで切れるときのような鈍い音で変速していた。クランクやBBやハブを何本も折ったとか割ったとか、そのすさまじいパワーを後ろからτ・κさんと眺めながら、ただ笑うしかなかった。

(2枚とも島 犬人さん撮影)

 最後の坂を登り詰めると、坂の向こうの小さな谷間に、なんとなく赤みの混じった太陽光線に照らされて、民家が密集した松代の町が拡がっていた。
 15:15、まつだい駅に到着。

(できさん撮影)

記 2001.6/22

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Last Update 2003.2/16
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