2001 9/23
博士峠・大辺峠・喜多方

大内→(県道329)大内ダム
→(林道市野沢線)市野
→(県道330)小川窪
→(町道)吉田
→(国道401)喰丸
→(国道400・林道)中見沢
→(国道401)赤田
→(村道)下中津川
→(国道400)上平
→(林道入間方不動沢線)入間方
→(県道153)大谷
→(県道59)宮下
→(国道252)会津坂下
→(県道21)喜多方
127km

宮下

会津若松

喜多方

会津坂下

入間沢

大辺峠

上平

矢ノ原湿原

大芦

喰丸

小野川

博士峠

吉田

市野

大内ダム

小川窪

大内宿

本日の経路(赤色表示)と既済経路(灰色表示)


 11月中〜下旬だったという昨日の超低気温が残っているのか、夜明けのまだ薄暗い大内宿は極端に寒い。天気予報では今日は昨日よりは気温は上がるようだが、朝のうちはどこもきっと寒いのだろう。しかし、今は周囲はどろんと霧に包まれているが、全国淀みない晴れマークだらけの昨夜の天気予報を見て、今日の晴天は全く疑っていなかった。
 荷造りをして1階のいろりの薪ストーブに当たりながら、宿のおじさんに昨日の宿題、市野峠と博士峠の状況を聞くと、市野峠は全舗装、博士峠は多分通行止めにはなってないとのこと。地図上で詰まった等高線を直登のように破線で登る市野峠は、距離は短いのでまあたとえ山道担ぎでもこっちを通るメリットはあったのだが、博士峠の通行が問題無さそうなので安心した。博士峠の奥で通行止めに出会ってしまうと、会津盆地まで戻る以外には中途半端な周回コースになってしまうからだ。

 朝食後、7:45、大内宿発。ようやく霧が晴れ始め、白い空の中から薄陽らしい光が差し始めていた。
 萱葺が並ぶ宿場の一番上手側の出口から、畑の脇の地道を何と無くそれっぽい方向へ向かい、大内ダムへの登り、県道329に出た。脇の山の上の厚い霧が朝の陽差しで全体的にまぶしい発光体のようになっていて、草むらのススキが白く輝いている。

 大内宿・大内ダムの距離の地図からの先入観からは意外な程、登りが続いた。しかしまあ、登ったなりに標高も上がったようで、大内ダムが間もなく現れた。ダムの堤防から見下ろすと、大内宿の萱葺宿場の賑わいがやはり意外な近さで意外に下の方に見える。ここまで登ってくると、もう頭上の空はすっかり青空になっていたが、大内宿の谷間は、周囲の山に挟まれて、そこだけまだ真っ白な濃い霧が溜まっていた。
 ダム湖周囲にはほぼ水平に道路が回っている。地図を見てどっちへ行ってもいいやみたいにあまり真剣に考えていなかったが、茂みが薄く朝の太陽が当たって何か暖かそうな西側を回って、いよいよ最後の登りへ向かう。

 ダム湖の終端部に現れた林道の登り口は、確かにコンクリート舗装ではあった。が、ほとんどダート激坂にコンクリート簡易舗装を施しただけの、今朝のような低い気温で冷えた足にはたまらない厳しい登りだった。何度か休みを入れながら登り詰めると、やがて最後の坂の向こうに青空が開けているのが見えた。
 峠の向こうの雲一つ無い青空の下、澄んだ空気の中に会津盆地が拡がっていた。正面遠くに塊っている賑わいは会津若松の街か。大きく磐梯山も見える。思えば標高950m、確かにそれだけの展望はあるはずの高さではあるが、大内宿からのアプローチが近く、単なる里山越えのような印象があった。何しろついさっきまで大内宿の里にいたので、会津盆地との標高差がピンと来ない意外さがある。今日はこっちに来て正解だったと思った。

 峠の向こう、会津高田町に入ると、境界からいきなり普通の舗装に変わった。斜度も仁義無き激直下りではなく、しばらく切り立った山腹を丁寧にトラバースやら細かいつづら折れやらで下ってゆく。やがて谷間を沢に沿い始め、谷が開けて市野・大黒沢と集落が拡がった。狭いがびっしり豊作の田圃やら、屋根の深い萱葺改造トタン屋根・土壁農家が次々現れて消える。典型的な会津の田舎の風景だ。
 下りが連続するのでブレーキを掛けないとどんどん速度は上がるが、狭い道に小さな農村、のどかな楽しい風景に、何と無く速度を落としてゆっくりと進む。

 小川窪から吉田まで少しの間、会津盆地の南の外れ、山沿いの農村部をつなぐ道を通る。本当は地図で見た集落の間の細い道を小さな集落ごとにたどる予定だったが、実際には目を付けていたルートが1本にまとめられて県道として広く拡幅されていた。まあそれでも、青空の下の車の少ない道が気分いい。
 朝の陽射しに照らされた稲穂の色は濃厚な黄色で、空には赤トンボが飛び交っていた。茂みではコオロギやらカンタンが響きわたるほど大合唱、庭先の柿の実はまだ青かったが、それでも何かもうすっかり秋の雰囲気が溢れる農村風景だった。

 10:00、吉田で国道401に合流。
 拡幅された立派な普通の国道が、博士峠へと宮川の谷間に続く。谷間に拡がる田圃が杉林になったり、いくつか小さな集落を通過すると、地図の通りに谷はぐっと狭くなった。
 両側の山も高くなり、いかにも山間の国道っぽい一本道の坂の向こう、宮下ダムの堤防と何か長そうなトンネルが見えてきた。トンネル入口には「松坂第2トンネル」とあり、こんなのが2つもあるのかと思った。私の地図は平成2年修正版だが、こんなトンネル影も形も載ってない。細い道が宮川ダムからひょろひょろと谷間を進んでいるだけだ。
 しかし、トンネルを抜けると、雨天時通行止めゲートの向こうはすぐに道が狭くなり、それまで頭上が開けていたのがブナ林の静かな涼しい峠道になった。近くを流れる沢の音もいい気分、やはり峠道はこう言うのに限る。
 斜度はそう厳しくないようではあるが、昨日の疲れか、見る見るうちに登坂速度が落ちる。でもまあ、こんな楽しい峠道をあまり急いではもったいない、などと自分で自分に言い訳していた。

 宮川から続く沢に沿って奥へ奥へ遡る区間が延々と続いた後、更に細か目のつづら折れが、何度あったかいつの間にか忘れる程連続した。ぐいぐい標高を上げる峠道の木々の隙間からは、今まで登ってきた谷と山々の風景が見下ろせた。見渡す山の間に会津盆地はもはや全く見えなくなっていた。いつの間にかブナの多かった林も針葉樹林主体になっている。その木々も次第に低くなると、下草というか茂みというか、白く輝くススキの穂が目立つようになった。切り立った斜面を登るつづら折れの路肩にはガードレールなど無く、コンクリートの低い突起が飛び出しているだけだ。ふらふらと踏み外すと、一発アウトである。

 11:05、博士峠通過。
 そのままゆっくりと昭和村へ下る。昭和村と言うところはブナ林が多いのか、こちら側は峠付近までブナ主体の林である。木々の間から見下ろす山々の重なりが何とも重厚だ。
 登ったほど下らないうちにに山腹の下りが谷間の一本道になり、やがて田圃が拡がって小野川の集落に着いた。ここから一昨年通った喰丸トンネルを下り、国道400に合流。
 コンクリート舗装の国道400の脇には小ぢんまりした集落が続いている。ほんの少し遡った両原から西へ曲がり、再び200m程度、比較的開けた道をだらだらっと登り、国道400から大回りしてこっちへ登ってきた国道401へ再び合流。少し下ると山間の盆地、大芦だ。

 狭い盆地に田圃が拡がる大芦の風景は、いかにも奥会津らしい。雲一つ無い青空の下の田圃は豊作のようで、もう真っ黄色。一部はもう刈り取りが済み、稲穂が田圃の端に逆さに吊り下げられてある。その周囲には赤トンボがうじゃうじゃ。狭く静かな道の脇にはススキの穂も白く輝き、かなりのんびりといい気分で流して進む。

 赤田で矢の原湿原方面の看板通りに曲がって、集落を抜けて田圃の中の道を進むと、すぐに山の坂道が始まった。所詮は標高差100m、林と野原半々の中の坂はあまり続かず、12:10、矢の原湿原着。それっぽいと言えばそれっぽい池と芦が拡がっているのが木立の間から見える。

 木漏れ陽の中の道端にはいくつか泉が湧いていて、そろそろ無くなってきた水の補給には丁度いい。思えばこれだけ湧き水があるからこそ、こんな山奥に湿原があるのだろう。湿原の外れは池になっていた。池の堤の遊歩道入口、草むらというか茂みに自転車を停め、おにぎりを食べながらしばらく休憩。
 この先の予定時刻を考えると、飯を食って下って13時、大辺峠で14時…という辺りが妥当なようだ。もう大辺峠から先はあまり大回りできないのかもしれない。同時に会津宮下からも最短コースではあるが、車の多い国道252をしばらく我慢しながら走らないといけない。細くて静かな楽しい道、峠や農村の道があと少しで終わってしまうのが、何とも名残惜しい。
 雲一つ無い青空の下、池の周りには赤トンボやらシオカラトンボが飛び交っていた。茂みの奥にはコオロギやらキリギリスの類やらの鳴く虫が。日なたの舗装路上にはアリやら美しいハンミョウやらがいた。観察していると、近くを歩き回っているアリに飛びかかり、食い損ねたハンミョウが遠くへ飛んでいった。びっくりしたアリがぐるぐる歩き回っている。ぽかぽかと暖かな日なたで何かのどかなようだが、当事者にとっては危機一髪という状況が展開されていた。
 12:30、矢の原湿原発。

 正面の山々を眺めながら、再び国道400の比較的開けた谷へ降りる。降りてきた下中津川からは、役場のある昭和村の中心地がしばらく続いた。村の中心地とはいえ、国道にしては少し狭い道路の両側に、農家やらよろず屋やらが並ぶ風景はさっきの喰丸辺りと何ら変わりない。
 正午を過ぎ何と無く午後っぽいまぶしさが混じってきた陽射しの中、玄関先で干し物を新聞紙に拡げるおばあさんや稲刈り中の農家の方、何と無くすれ違う人も増えた。緩い下りをあまり漕がずに、のんびりと流しながら上平まで。

 上平からは林道入間方不動沢線、大辺峠への登りになる。林の中、直登区間が少し続き、時々つづら折れが現れ、あまり緩急が無いというか急めの坂が延々と続いた。坂が厳しいだけに標高はぐいぐいと上がってゆく。気が付いて振り返ると昭和村の国道400沿いの緑深い山々が見下ろせるようになっていた。

 つづら折れが延々と続く、けっこう厳しめの、それでも楽しい峠道だったが、坂の上、見上げる木立の向こうに空の青い色が見え始めた。やがて斜面の線がわかるようになり、カーブを回り込むとようやく坂が終わっていた。14:00、大辺峠着。
 鬱蒼とした森の中の道だった今までの昭和村側に対し、目の前の三島村側の道は展望が開けているようで、切り立った斜面の下、見下ろす山々の間に谷間の道が見え隠れしていた。あんなところまで一気に下るのか。標高が上がっていつの間にか空気が冷たくなっていたようで、峠の木々の間からの絶景を眺めているだけで、一気に身体が冷える。

 Tシャツにポロを重ね着しておもむろに下り出す。周囲の空気がもろに身体に当たってやはり寒い。特にこっちの三島村側は北側斜面になるので、日陰の中を下ることになる。
 それでも下っているうち再び日なたの中に帰ってくると暖かさを感じ、首の皮一枚というところで一安心。思えば今回は「暑いのが恋しい」という感覚を、ほぼ半年以上振りぐらいに味わい続けている。

 入間方・間方・浅岐・大谷と、もう愛らしいとしか形容しようがない小さな集落が、大谷川の谷間にずっと続いた。
 田圃は一番上流側は刈取済で、田圃の脇に丸太を組んで刈り取った稲穂が干してあった。少し下ると、刈り取りはまだらしく、拡がった谷間の田圃が一面まっ黄色。振り返ると、秋の午後特有の何か赤みの強いまぶしい斜光線の中で、ススキの穂やら飛び交うトンボの羽根やらが輝いていた。

 最後に森の中をしばらく下り、15:00、会津宮下着。これからは会津坂下まで国道252、埃と排気ガスに耐えて走らないといけない。
 16:00、会津坂下着。喜多方へと向かう県道21、最後の最後で会津盆地は何故かやたらと風が強くなっていた。向かい風やら横風の土埃にうんざりしながら、頭の中をラーメン一色にして耐えた。

 16:30、喜多方着。早速念願の食堂松へ向かう。
 喜多方の街には目を血走らせた観光客が、表通りにも裏通りにもうろうろ、というよりもうじゃうじゃ歩いていた。外にまで列ができている店もあった。もう夕方なのに。ラーメンを求めてさまよう人の数も多いが、これだけの数の人間の食欲をしっかりと受け止める喜多方という街のラーメン基礎体力(?)も驚異的だと思った。「ラーメンの町 喜多方」の看板は本物である。

 食堂松というのは喜多方ラーメンの中でも有名な坂内食堂の隣にある。坂内食堂とは親戚関係だったかなんかだと思った。隣なのでもともと味の傾向は似てはいたが、ここ10年ぐらい坂内食堂ばかりが有名になり、どんどん味が変わっていっても、食堂松は昔の味のままだった。ある意味昔の坂内食堂の味を思い出させる、懐かしい喜多方本来の味と言える。
 1杯食べた後、それではまだ足りないので、鳴島さんオキニの阿部食堂へと向かった。阿部食堂で食べるのは10年振りぐらい。濃いめ出汁のぬるい醤油味スープ、喜多方平均よりは薄くて面積の広いチャーシュー、てなところが印象に残っていた。最近鳴島さんが「アベショク、アベショク」とうるさいので、何か刷り込まれてしまったような気もする。
 ところが、スープが終わったのか、阿部食堂の営業は終わっていた。しょうがない。比較的空いていていつも安定した味の、一番手堅い大安食堂で今回のツーリングを締めくくることにした。

 記 2001.9/28

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