1999.10/9 奥只見湖・檜枝岐村

小出→(国道352号)会津高原
→(国道121号)会津田島
約161km

大内宿

田島

会津高原

中山トンネル

内川

檜枝岐

御池

砂子平

奥只見湖

枝折峠

大湯

小出

今日の経路(赤色表示)と既済経路(灰色表示)


 地元を始発で出て新幹線で浦佐7:40、各駅停車で小出7:56着。自転車を組み立て、8:20、小出を出発。

 朝の陽差しに輝く水田の中の緩やかな登りを、国道352は東へ、越後山脈と三国山脈の間の枝折(しおり)峠へと向かう。
 青空の下、太陽光線は鋭いが、まだ朝のせいか気温が低く、空気はぴりっと肌寒い。刈り取りの終わった何となく物寂しい田圃から土の香りがする。畦道の雑草には露が降りているのか、だいぶ高くなった朝の斜光線に輝きが見える。ススキの穂も白く輝いている。道路脇の幅の広い側溝は、いかにも豪雪地らしい。走行中に落ちたら大けがをするだろう。
 やがて右側の山がどんどん近づいてきた。谷が狭くなり、点在する農家・田圃が緩い傾斜地に続く。

 

 9:00、みみずく広場着。ここは奥只見湖への自動車専用道路、シルバーラインへの分岐となっている。シルバーラインというと聞こえはいいが、ダム工事用の道路を単純に転用しただけの長大トンネルだらけ・コンクリート舗装のとんでもない凸凹道だ。もちろん自転車では通行禁止になっている。頼まれたって絶対に走りたくない。国道352号とはいずれ奥只見湖畔の銀山平で再度合流する。
 みみずく広場で地図を交換して、すぐに出発。すぐ先の大湯まで緩やかな登りのままだが、大湯で谷はいよいよ狭くなり、里の部分が終わる。すでに田圃は全く無い。一番奥の栃尾又は、森の中の谷底に展開する山深い雰囲気の温泉地で、国道とは谷の反対側だが、見下ろしているだけでも旅情をそそられる。

 深い杉林の中、対面通行がかなり厳しい位の細い道を行く。枝折峠が時間別片側通行である理由がよくわかる。朝の霧が残っているのか、太陽光線が斜めから差しているのがよく見える。谷底を沢に沿って少しクネクネ進むと、すぐに急な坂が始まって爽やかどころではなくなった。いよいよ峠道だ。つづれ折りが数度あり少し標高を上げると、周囲が見渡せるようになり、山腹のトラバースが始まる。坂はほんの少し緩くなったような気もするが、依然としてけっこう急だ。
 眼下に拡がる杉林は深いよりも濃い、といった印象で、向かい側にががっとそびえる八海山に続いている。急峻な壁のような、しかし彫りの深い山肌には濃い緑の樹木が、そして所々白い岩が見えている。何という逞しい山なのだろう。八海山というと日本酒のイメージしかなかった貧困な自分の感性を恥じた。

 (八海山は2001年撮影)

 けっこうな急坂が続き、山腹をぐいぐいと標高を上げる。しばらくは法面モルタル補強の凸凹した表面を眺め、急坂に耐えつつじりじり登るだけだ。が、ある程度登って後ろを振り返ると、手前の山腹・谷・少し建物のある大湯・更に遠くに霞む小出の町の広がりが見渡せる。今まで登ってきた道も、山肌に貼り付くように彼方へ下っている。
 先を見ると、山腹をトラバースしながら進む峠道の法面補強やらスノーシェッドが点々と見え、はるか遠方の情報に自動車のガラス面らしき反射が見える。地図で見える距離感覚ともなんとなく一致している。あれが行方だとすればまだまだ長い道のりだ。

 10:30、枝折峠頂上。標高約1060m。ここからは銀山平までは約280m下るだけだ。が、寒い。登りでの発熱と周囲の気温はバランスしていたが、それでも身体の熱が逃げないうちにウインドブレーカーを着て、即下り始める。
 指先が冷たくなり、ブレーキを握る指の感覚が無くなるが、標高900mを過ぎると冷えた空気が再び和らいでくるのがわかる。広葉樹林やススキの穂の中を何度かの急ターンで標高を下げると、間もなく奥只見湖の紺碧の水面が見えてきた。

 おにぎり休憩後、11:10、奥只見湖畔銀山平の尾瀬三郎商店発。
 ここから国道352号は奥只見湖の湖面に沿ってしばらくの間しつこい急カーブと、最大200m程度の標高差を3回登ったり下ったりする。山の中に強引にダムを造ったという感じの奥只見湖は、リアス式海岸のような湖面から切り立った山の斜面がある種の厳しく美しい風景を作り出しているが、勢い湖岸の道路はおびただしい数の急カーブを描く道となる。のみならず、途中からこれに登って下ってが加わっているのだ。
 しかし、山奥の沢から直接湖に流れ出している沢・切り立った両側の斜面と奥の方にそびえる山々は、いかにも山深く厳しく、こよなく美しい。
 急カーブの区間には道路の上を沢の水が横切って流れている箇所がけっこうある。通行には注意しながら走る。

 さざ波に輝く濃紺の湖面を見下ろしながら岬(?)先端まで登り、湖から沢へと続く谷の先端まで下った所で短い橋で沢を越えるという繰り返しが2回あり、最後の下りを下りきると今度はいよいよ沢の上流へ続く道を福島県へ向かう。
 13:00、さっきと反対側の奥只見湖畔で少し休憩。いい感じで晴れているが、進行方向の福島県方面はどんよりした厚そうな雲が拡がっている。

 今度は湖が急に狭くなり、水の流れが急になった。下りきって平坦になった気がした道路がなかなか進みづらくなり、緩やかな登りになっていることに気が付く。沢沿いには尾瀬への山小屋がまばらに点在し、合間には狭い畑と農家もある。狭いが周囲の展望が利かないため、両側の山が低く見える谷間の道は、ススキの穂やら黄色く色付いた木の葉やらに彩られ、何とものどかな雰囲気に溢れている。ふと今晩はここの山小屋に泊まってみたい気がする。そういう山小屋は食堂も営業しているようだ。
 畑が切れると杉やら広葉樹林の中の道になり、またススキの茂みになったり畑になったりする。狭い谷の中を沢と共に少しずつ登って行く。標高が高いからか、秋だと言うのに、まるで早春の風景のような爽やかな印象のある高原だ。少し北海道の山間の雰囲気に似ている。
 今日はバーベキューや山菜取りに来た人たちを奥只見湖畔からよく見かける。群馬・新潟・栃木ナンバーが多い。向こうものろのろ坂を上る私を見て、「わっ、来た来た、自転車ここまで登ってきたよ」なんて騒いでいる。どうやら枝折峠辺りで抜かされた車のようだ。

 森の中の道が前の方で急にカーブしている。曲がった先は多少開けていて沢を渡る橋になっており、県境の看板が出ていた。13:30。赤い欄干の橋から見える明るい沢は、森の中を山の中へと向かっている。尾瀬沼からの流れだ。
 いよいよこれから福島県檜枝岐村である。

 橋の向こうの砂子平から坂は次第に急になり、やや黄色く色付いた広葉樹林の中を御池目指してひたすら登って行く。こちらも2・3度のつづれ折で標高を稼ぐと、周囲の展望が急に開けるようになる。
 すぐ横にどかんと座っているような燧ヶ岳の上の方は、雲にすっかり覆われている。もう太陽は雲に隠れており、気温は10℃以下ではないかと思われるくらい低くなっていた。それでも周囲の紅葉はまだ3分という感じで、時折何故か真っ赤に染まった木が1本だけ生えていたりするのがよく目立つ。後ろの八海山はもう大分遠くなっていたが、猛々しい山肌は相変わらずよく見えた。

 やがて坂がほんの少し緩くなり、少し下りになった。と、森の向こうに広い駐車場が見え、国民宿舎の屋根が見えてきた。15:10、尾瀬へ向かう沼山峠への分岐を通過。標高約1530m。奥只見湖からまた750m登ったことになる。
 下りだすと、寒い。ウインドブレーカーを着込むが、チャックを首の上の方まで締めて、ようやく何とか我慢できるくらいだ。それでも、速度が上がるとつらい。
 幹の太い大きな広葉樹林の中、道はどんどん下り出す。やがて緩い斜面をまっすぐ下る比較的直線の続く下りが急斜面を下る大きなつづれ折になり、下りきったところで細い橋で沢を渡り、谷間の1本道になった。
 速度を落としてふと気が付くと、再びウインドブレーカーがないと我慢できないほどの寒さではなくなっていた。ウインドブレーカーの襟元を少し緩め、再び下り始める。

 公共交通機関だけを使うと、日本で一番東京から到達時間がかかるという山奥、桧枝岐村の中心地を抜け、村営のアルザ尾瀬で小休止。今日はこの後会津鉄道沿いに抜け、大内宿まで行かなければならない。そうゆっくりもしていられない。15:30、再び出発。
 天気はどんよりと暗い曇り、両側は閉鎖的な高い山だ。森・点在する集落・狭い畑、時々現れるコンクリート製のスノーシェッド、緩いカーブを描きながらほとんど谷間を下りっ放しの国道352号線を下りに便乗して快調に飛ばし、とにかくひたすら下った。
 16:00、内川分岐通過。標高約640m。

 ここから国道352号は再び緩い登りとなって標高約1000mの中山トンネルへ向かう。それよりも田島までまだ50kmもある。今日は予定をこなせるのだろうか。さすがにのんきな私も少し心配になってきた。
 檜枝岐村から舘岩村に入り、刈り取りの終わった田圃や商店が何軒かある位の集落を横目に、次第に標高を上げる道を進んでいった。途中右側、川の向こうに前沢という萱葺民家の集落があった。どうも集落単位で文化財か何かに指定されているようだ。そうでなくても会津の山の細い道の農村には昔ながらの民家が多い。さすがに萱葺ともなるとさすがに少数派だが、萱葺をそのままトタンで覆ったくらいの農家はごろごろしている。山間の小さな農村に昔ながらの民家、私の大好きな風景だ。
 舘岩村の国道352号沿いの風景は、そういう風景よりはやや開けた印象で、田圃が広い。そんな風景も、やがて峠まで最後の集落、番屋を通過する頃にはすっかり狭い谷になっていた。

 もうすっかり夕方も遅くなっており、坂道の途中でどんどん暗くなっていった。長いスノーシェッドのけっこう急な坂と中山トンネルを抜けると、もう周囲の風景はぼんやりとしか見えない位に暗くなっていた。
 折角抜けたトンネルの向こうは、かなり彫りの深い谷を大きな橋で越えるダイナミックな下りだったが、いかんせん暗くてスケール感が味わいづらい。坂を下りたところで、国道121号と合流。少し北上して、会津高原の駅で休憩にした。

 19時まで明るい夏ならともかく、完全に読みを誤っていた。もう真っ暗だ。この先湯野上温泉までほとんどずっと下りだが、湯野上温泉から大内宿まではまた200m超の登りが続く。さすがに輪行に気持ちが向かい、時刻表をチェックするが、次の列車は1時間以上後だ。はっきり言って、1時間走れば下る一方の会津田島なんか余裕で通過してしまうのだ。この近辺の中心地の田島に行けば、バスなどまた新たな展開が考えられる。とにかく田島でもう一度考えよう。
 18:00、会津高原発。

 夜の国道121号は、しかしながら自動車の通行が程良く多く、ヘッドライトが行く手をうまく照らしてくれる。山の中、谷の1本道はいつか開けた盆地の中を走るようになっていた。
 間もなく18:20、会津田島着。ここでちょっとタクシーの運ちゃんを捕まえて、田島から大内宿までバスが出ているかを聞いてみる。と、どっちにしても今日のバスは全部終わってしまったようだった。試しに、タクシーではどうか聞いてみた。すると、\6000位で行けることがわかった。
 \6000というと、普通の民宿1泊くらいの値段だ。ここでタクシーを使うより、宿をキャンセルした方がどう考えてもまともなのかもしれない。が、どうしても大内宿には泊まりたかった。10年以上前から友人に「1度でいいから絶対大内宿に行ってくれ!」と言われているのだ。また、2・3日前の予約時に「1人の人はキャンセルするからねえ」と電話の時におばあさんが寂しそうにつぶやいていたせいもある。
 しょうがない。タクシー輪行を決めた。

 19:25、大内宿着。標高680m付近の大内宿は、かなり寒い。
 大内宿は、江戸時代(?)からの宿場の町並みがそのまま残っているという旧街道沿いの宿場だ。狭い道路の両側に水場の溝が掘られており、更にその外側に萱葺のいかにも昔風の建物が並んでいる。今回わかったのだが、その建物のほとんど全部が民宿のようだ。緩い登り坂の両側に並ぶ軒が低く屋根の深い萱葺の宿場は、見事だ。道路に面した壁面には、宿名が入った小さな行灯が、夜の闇の中に小さく灯っている。
 宿の中はいかにも山の民家風の広い食堂に、裏手の離れが宿泊室になっていた。到着が遅かったので、到着早々の食事となった。食事がまた岩魚・馬刺・芋の汁、山のごちそうばかり12品+きのこご飯。量的にも多いがかなりおいしい。「山の物は泥臭い」などと言う人がいるがその人は不幸せな人だ。とはいえ、イナゴなどは気合でえいっと食べた。食べてみるとまるで川エビみたいで、何と言うことはない。食事が終わった人たちが、ストーブの置いてある囲炉裏端でビール片手にしゃべっている。
 食事・雰囲気とも、過去に泊まった民宿の中で最高に気に入った。\7000/泊は絶対安いと断言できる。また来ることにしよう。

記 1999.10/11

1999.10/10 柳津町・阿賀野川に進む    自転車ツーリングの記録に戻る    Topに戻る

Last Update 2003.2/11
ご意見などございましたら、E-Mailにてお寄せ下さい。
Copyright(c) 2003 Daisuke Takachi All rights reserved.