1998.10/4
道志みち・山中湖・秋山村

東村山→(都道14他)永山→(都道158)橋本
→(都道47)相原十字路→(都道506)東原宿
→(国道413)旭日丘→(国道138)富士吉田
→(国道139)古川渡→(県道35)奥牧野
→(県道517)馬本→(県道76)藤野
→(国道20)日野橋→(都道16)青梅橋
→(市道)東村山 220km

赤は本日の経路 灰色は既済の経路

 7:30、寝坊したので、予定(希望時刻)より1時間以上遅れての出発だ。今日は山中湖まで行く。いつもは往復とも道志みち(=国道413号の道志村内の愛称)を通るのだが、今日は帰りにちょっと別の道を通ろうという野望がある。といっても、国道20号は交通量が多く、トラックに脅えるか渋滞で難儀するかのどっちかなので、秋山村か時間が許せば松姫峠経由で奥多摩湖から降りるというパターンを考えていた。
 しかし、寝坊したので良くて秋山村、まあ実際には道志みちの往復か、というところである。せっかく5時に起きたのに、気を抜いてもう一度寝てしまった自分が悪い。
 まあ道志みちは雰囲気が好きなので、何度行っても後悔しない道ではある。

 東村山から府中までは、住宅地の中やらぶつ切りの広い道路やら駅前商店街の中やらを南下し、府中から関戸橋・多摩センターを経由して橋本までは交通量の多い2車線道路をゆく。この道路の永山付近から多摩センター付近は、映画「平成狸合戦ぽんぽこ」の舞台となった辺りだろうと思われる。30年以上前はここには里山があり、畑・田んぼが谷に展開していたのだ。今や、谷底には中央分離帯付きの2車線道路が走り、山の斜面はもうすっかり集合住宅団地や大型ビルが林立する大都会である。爆発的に増加した東京の人口を吸収するには、しかしながらこの「侵略」以外我々には選択肢はなかったのも事実だ。
 とにかく、津久井町の国道412号と「道志みち」国道413号の分岐までの40数kmは、走っていてもあまり面白味は感じないので、はしょる。

 9:25、津久井町の国道413号への分岐を右に曲がる。それまで通ってきた国道412号とは打って変わって静かな道だ。車の数が少ないのは何よりうれしい。 それにしても、なぜカナチュー(神奈川中央交通の通称)バスの排気ガスはあんなに黒いのだろう。
 すぐに「山中湖46km」の表示が現れる。この辺が標高210m、サミットの山中湖手前の山伏峠で1100m弱、山中湖は湖面で980mちょっとである。46kmの間に890m登って少し下ることになる。
 初めて山中湖にチャリで行ったのはちょうど13年前だ。当時は国道413号は未舗装区間も多く、幅員も4m程度の区間が少なくなかったように思う。現在までの間、絶えず経路変更や橋梁掛け替え・拡幅等が行われ、「山中湖まで
51km」の標識はいつからか46kmとなっていた。

 3・4kmの間だけだが、青野原では迷わず旧道を走る。旧道はカーブが多く、坂も下って登っての標高差の無駄が多いが、何と言っても古くからの小さな集落の中を走るため、いかにもツーリングしている気分になる。バイパスの新道も車はそう多くなく、集落の外れの川の上の台地のため視界が開けていて決して雰囲気は悪くないが、時には民家の庭先や生活道路のような、また時には山深い雰囲気の中を走る、変化にとんだ旧道をいつも選んでしまう。
 今日は気温が高い。日なたは太陽光線がとても強く、まるで夏のようだ。しかし、日陰は涼しく、嘘のようにさわやかである。旧道の木陰はとてもいい気分だ。
 練習中(だと思う)のロードレーサーに抜かれる。けっこう必死で登る脇を、軽々と追い抜いて行く。軽々と、というのはランドナー側からの一方的な見方で、ものすごい汗を垂らしながら走り去っていった。

 青野原を過ぎ、坂がきつくなる。また、周囲も山深い雰囲気が強くなり、津久井町内最高地点(400台後半だったと思う)の看板を過ぎると、再び小さな集落の中を走りながら坂を下り、山梨県南都留郡道志村との境である落合橋に着く。ここで10分くらい休憩。

東村山から道志みちで山中湖へ 帰路は甲州街道経由 赤は本日の経路

 10:30、落合橋を出発する。いよいよ「道志みち」である。
 すぐに10%の急坂が始まり、谷間の斜面をぐいぐい登る道になる。10%を登りきると、急カーブ・ちょっと下り・けっこう登りが入れ替わり立ち替わり現れ、標高を上げて行く。少し走ると、もうすでに川面ははるか下になっている。山の中腹の斜面を道路は走るが、ダイナミックな大切通しの法面補強と反対側は谷を見下ろす展望となっていて、なんともスケールの大きな風景の中を走る。
 やがて谷間の川を見降ろすのに恐怖を感じるくらいの標高差が、道路から川原に降りられるくらいに近づいたころ、谷の山深い風景はやや開けた畑や集落の風景となり、道志村の中心地となる。
 この辺りの風景が好きだ。ここを走りたいが為に60数kmを走って来ると言っても過言ではない。今でこそこの辺りも片側1車線ずつの車が走りやすい立派な国道となっているが、10年くらいまでは幅4m位の未舗装道路だった。のどかな風景は基本的にあまり変わらないような気がするが、何だか昔よりほこりっぽい道になった。村の人にとっては、間違いなく便利になったはずだ。

 道路は軽い登りと平坦に近い登りが続く。
 紅葉は全然まだだったが、段状の田んぼの稲はすっかり刈り採られ、横向き三角柱に組まれた丸太に吊り下げられていた。田んぼの他にわさび田も時々見かけた。空も日差しも夏と変わりないのだが、道端やら川原の端にススキの穂が白く輝いていた。
 標高のためか、いつもこの辺は下界とは1ヶ月くらい季節が違う。気が付くと、風がけっこう涼しくなっている。

 民家が少し続き出すと、すぐに村役場を通過する。やがて民宿がほんの少し続き、数少ないコンビニの「ヤマザキデイリーストア」に着く。ここでもう一回休憩。距離の標識がないのではっきりしないが、津久井町の分岐から山中湖まで46kmの2/3強をすでに走っているはずだ。

 11:30、ヤマザキデイリーストアを出発する。この店は去年の秋(11月下旬)は開店準備中だった。数年前からもう少し上流にもう一軒あったはずだが、峠の手前のコンビニは、観光客にとっては頼もしい存在だ。
 ほんの少し上流側には、道志村の道の駅ができていた。暫定開業とのことだそうだ。観光案内所や洗面所などがあるようだが、食堂は無いようだった。山中湖までのサミット、標高1090m位(だったかな?)の山伏峠が近づくにつれ、田んぼや畑の段差が増え、民家はまばらになり、川の幅は狭くなる。 やがて、坂がやや急になり、連続するようになると山伏峠超えだ。こちらも時にはギヤを32×26まで目一杯落とし、時にはちょっと上げたりしながらのろのろと標高を上げて行く。

 サミットのトンネルを抜け、少し下ると、周囲は低めの樹海が広がり、近くの山の中腹には点在する別荘地が見えるようになる。いかにも高原っぽい、ちょっと浮世離れした山中湖の盆地に降りてきたのだ。道路の両脇が森から別荘やホテルに、さらにテニスコートになってくると、まもなく湖畔の周遊道路だ。

 13:00、山中湖畔の旭が丘を通過する。いかにも観光地風の商店街や別荘地の中を国道139号は通りぬけて行く。湖畔は基本的にアップダウンが緩やかで少なく、こちらもさっきまでの峠超えとは打って変わって速度を上げる。車は結構多く、御殿場方面への分岐となる旭が丘から富士吉田方面への分岐点まで渋滞していた。

 昼食を食っていない。ツーリングの時の常で朝食は目一杯食った。その後、コンビニおにぎりを4つとプリン2つを食っただけだ。8月に行った北海道ツアーのときとはえらい違いだが、荷物が無いことが影響しているのだろう。湖畔はいかにもそれっぽい観光地風のレストランや喫茶店が並んでいる。「山梨牛ステーキランチ」なんて文字列が本能を直撃し、意識するよりも速く食欲が出て来る。しかし、ステーキは時間がかかりそうなので、今回は見送る。
 こういうときはモスバーガーに限る。てんやかバーミヤンでもいい。
 早速カシオペアのモスバーガーデータベースを開こうと思い、蓋を開けたら、ROMアップを行い、最近設定が終わったばかりでデータの何も入っていない方を間違って持ってきてしまったことに気が付いた。PHSがあるので、インターネットからデータをダウンロードするのも正しいモスフェチストのあり方ではないかと思ったが、それもちょっとやりすぎかという気もした。第一、試すまでもなく山中湖畔ではPHSが入らないのではないかとも思った。

 旧鎌倉往還、国道138号を富士吉田へ向かう。富士吉田なら何かあるだろう。
 右側の反対側車線は渋滞で車が動いていない。樹海の中を走るが、左側に一瞬視界が開け、一面のススキの原っぱと東富士自動車道(だったかな?)とその向こうに更に広がるススキ、富士山の裾野から頂上までが見えた。 道路に視界を戻すと、「脇見運転注意」なんて書いてある。いや、これじゃ脇見しますよ。

 樹海の中しばらく平坦な道が続いた後、約150mの標高差の下りとなり、ペースが上がる。まもなく樹海が終わり、富士吉田の市街地が見えてくる。ロードサイドのマックの赤い看板が見えるが、そんなもんどうでもいい。

道志みちから山中湖で新雛鶴トンネルへ 赤は本日の経路

 13:30、富士吉田着。国道139号の分岐(つまり市街地の最高地点)で標高850m位。逆サイド、大月側の町はずれに747.1mのポイントがある。つまり、富士吉田の市街地内で、標高差が100mもあるということだ。100mの標高差がある街というのもちょっと類を見ないのではないか。ブレーキなしで人通りも車も異常に少ない街を下って行く。商店街のような雰囲気の国道139号の正面に大鳥居が見え、それをくぐりぬけて更に下って行った。
 商店街が続くが、けっこうびっしりした商店街なのに、日曜日だからか、店が全く開いていない。いい気になって飛ばしているうち、市街地が終わりつつあることに気が付いた。やばい。昼飯は抜きか?ジャージの女子中学生の集団を見つけ、モスバーガーの場所をたずねるが、富士吉田に2店もあったモスバーガーを見つけ損なった事がわかった。まあまだ腹がそんなに深刻に減っていないので、コンビニおにぎりでもいいのだが、こうなったら次は都留市に望みを托す。

 「都留 9km」の標識を見つけ、時計を見たら13:40。秋山村へは何とか行けそうだが、都留と大月のほぼ中間の分岐まで14:00位には着きたい。12・3kmを20分はちょっとキツイかな…

 14:00、都留分岐着。標高差340m程度の下りのため、本当に14;00に着いてしまった。都留にはモスバーガーはなかった。もっというと、帰ってから調べたらやはり都留にも1軒あった。文化女子短大の前のようだ。思えば、国道からちょっと曲がるだけでよかったのだ。
 都留の市街地は意外にも古くからの重厚な街並みで、蔵等もあった。国道なのに、街中にいきなりクランクがある。こういうのも、なんか歴史的ないわれがありそうだが、あまり追求しない。

 秋山村へ行くことにする。ここからは初めて通る道だ。
 分岐を曲がると、当たり前だが車ががくっと減り、やがて車線もなくなってのどかな田舎道になる。下り坂のせいもあったが異常なペースで下ってきたため、というか緩い登りのため、ひと息ついたゆっくりしたペースで走る。
 田舎道をのんびり走るのは、とても楽しくいい気分だ。こっちの道は道志みちよりも谷が小さく、山あいを走る印象が強い。走りながら残しておいた最後のおにぎりを食べた。まもなく、谷が狭くなり、坂が急になる。

 道路が国道規格ではないため、10%以上は軽くあると思われる急坂の途中に、巨大なコンクリートの橋と亜鉛メッキのフェンスが唐突に現れた。リニアモーターカーの実験線である。しかし急な坂だ。坂の終わりの実験場上屋付近で下り坂になると思っていたら、それまでがあまりに急すぎて、普通の登り坂が下りに見えただけだった。
 ニュースステーションのリニアモーターカー特集ではこんな坂の事一言も言ってなかったぞ。
 実験場の近くには、山奥には不似合いの「カレー・水出しコーヒー」の喫茶店があったが、こちらもカロリーメイトでごまかす。更に登ると、すぐに新雛鶴トンネルが現れた。標高660m、また250mくらい登ったことになる。

道志みちから山中湖で藤野へ 赤は本日の経路

 トンネルを抜ける。いきなり下り坂が始まる。
 峠の頂上付近まで狭い谷に秋山川沿いに切れ目無く広がる秋山村の集落はとてもいい雰囲気である。小さな谷の間、棚田・段々畑の中を、道自体は平坦が少し続いたり、いきなり激しい下りや急カーブが連続したりする。道は1車線ずつになったり狭くなってセンターラインが消えたりする。地元外の車やバイクはほとんど走っていないと言っていい。
 ある田んぼでは、おじいさんおばあさんから高校生風の息子まで総出で穂を採り込んでいた。柿の実もなり始めていた。赤トンボも時々飛んでいた。下って行くと、谷はやがて少しずつ広くなり、民家も少しずつ増えてきた。山のてっぺんに近づいた太陽の光はなんとなく赤みが増え始めていた。

 上野原・青野原へのとてもわかりにくい分岐を過ぎ、またちょっと登って下って藤野へ出た。相模湖はここ数日間の雨でかなり増水しており、水もどろんとして濁った色だった。そう言えば、今日は途中の道には水が流れていた場所が多かった。

 15:30、藤野に到着。国道20号では相模湖まで激混みの大渋滞が続いた。自分が渋滞に巻き込まれているわけではないが、渋滞の脇を走ってもちっとも楽しくない。

 17:00、八王子着。街中の国道20号をキョロキョロしながら走ると、あった!モスバーガーである。休憩しているうち、どんどん暗くなる。秋の夕方はつるべ落しのようだというが、帰りを急ぐことにした。
 18:30、東村山着。

 自転車にサイクルメータが付いていないので、はっきりしないのだが、大体220km位は走ったと思う。風呂が最高だった。それ以上に、ビールがもう最高だった。

記 1998.10/6

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Last Update 2005.2/13
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