紀伊半島Tour24#0
国道169の瀞峡トンネルが貫通した。2025年にはいよいよ国道169の大型細道区間、小松・小森間が新道で開通する。
その話を、とある情報筋から知ったのは2023年暮れ。この段階で2024年のGWは紀伊半島Tour24にほぼ確定した。開通後に行ってもいいんだが、いや、旧道区間が閉鎖されていたら後の祭りだし、タイミングとしてもコロナ禍を挟んで前回2018年から6年目、間に中国地方・四国が挟まっているので順当といえる。
紀伊半島Tourシリーズは、過去最長が5日間。内陸も海岸もほぼ登り下りだけとか紀伊半島自体の広さとかの理由はある。今回もあまり長い日程は考えていなかった。それに暦では中日に3日間の平日があり、今年のGWは分割になるんだろうと考えて、5/2〜5/7の行程を考え始めた。
行きたい道はいろいろあったものの、宿の選定に入った段階で驚いたのは、昨年の四国以上に以前あった筈の宿が無くなっていたこと。コロナ禍以外に、高齢化なども大きな要因のようではある。親しみやすい親切な宿の数々、明るくおもてなしくださった方々、宿の子供達。みんな今頃どうしているのかと、ちょっと寂しい気分になってしまった。
私の現実としては、それでも行程を確定してゆく必要がある。宿の空き、道、ボリュームの兼ね合いから、4月上旬に5/2〜5/4の3日間が決まった。
その一方、4月中旬に諸般の事情で中日3日間が大手を振って休みに変わり、GW10連休が可能になってしまった。このため、急遽前半3日間を追加することにした。また紆余曲折の末、後半の3日行程に、5/5のもう1日を追加できそうなことがわかった。
その段階で残っていた宿はやや高額の宿泊料だった。しかし今年は60歳前年のGW。来年からシニア社員になって収入が3割減るし、今後私のツーリングは更に老人化していくことは目に見えている。もう5年後にはGWの宿泊ツーリングなんて行けなくなっているかもしれないのだ。ならば今、ツーリングにもう1日追加できるチャンスがあれば、全力で臨むべきだ。迷う余地は無い。某友人の名台詞「お金ならありますから」を思い出し白目の気絶寸前で、私は海岸のかんぽの宿を予約したのであった。
幸いなことに、往復の指定券は全て早めに押さえることができた。以前のように無印出雲が無くなってしまった今、紀伊半島への始発アクセスは毎回同じのぞみ3だ。多摩地区に住んでいると、品川到着時刻の関係でこれ以上早い時間の列車は難しい。このため、繁忙期ののぞみ3は予約開始日に速攻で予約する必要がある。こういう時に事前申し込みが可能なエクスプレス予約は、未だに素晴らしく便利だ。各車両最後部の大型荷物スペース付座席が予約しやすいことも含めて。
記 2024/5/25
紀伊半島Tour24#1 2024/4/27(土)二木島4/27は私の59歳誕生日。それなのに3時半に起きて4時半に自宅を出発する。
品川でJR東海が誇る駅弁「山」を仕入れ、6:20、品川発。速攻で弁当を腹に入れ、いつの間にかうとうとして気が付くともう豊橋を通過するところだった。毎度ながら、のぞみは嫌んなっちゃうほど速い。
7:50、名古屋着。次は南紀1で尾鷲まで。8:02名古屋発。関西本線も伊勢鉄道でも、天気はずっと雨か曇りで終始薄暗い。
南紀の車両は前回の気動車キハ85系から、1年以上前にJR東海が誇るハイブリッド車HC85に替わっている。GWだというのに以前より短い4両編成、こちらは指定券は押さえてあるので問題無いものの、両数が減っているのは気になる。
9:16の予定が遅れて、9:20松阪着。
松阪では事前に駅弁を予約してあった。高校生の頃から、松阪の駅弁は食べることにしているのだ。短い停車時間の間に、何両目のドアで受渡しかを決めておき、待ち合わせるのが毎回面白い。予約電話の中で、たまたま自分の誕生日の話をしたら、袋の中にお誕生日お祝いを入れてくださっていた。何だか照れくさく嬉しい。さすがは松阪の駅弁だ。
予約してあった本居宣長と松阪もめん弁当は、もともと美味しい牛肉煮込みがほかほか容器で更に美味しい。ほかほか加熱を見込んで調理してあると思われる。説明書き通りに煮汁を掛け、美味しくいただくことができた。
HC85系の走りには期待していた。というより、前任車キハ85系の力強い走りの感覚が無くなるかもしれない、と不安に思っていたのだ。キハ85系は、30年前の登場時随分斬新なハイパワー気動車だった。一方、今回のHC85系はハイブリッド車初の特急車、というより特急車初のハイブリッド車で、キハ85系からCO2排出を30%以上も削減しているとのこと。それに伴い、発電エンジンとモーターの出力がかなり下がっている。エンジンとモーターの動力特性とその他諸々、アシストバッテリーまで総動員して、凄くエネルギー効率の良い車両に仕上げてあるようなのだ。 ------------------------------------------------------------
実際の乗車感覚として、キハ85系の高速時、特に伊勢鉄道区間などで感じられていた直結段での力強さ・高揚感は、HC85系ではほぼ完全に消え失せていた。スピードが落ちたという印象は全く無い。しかし、発電用のエンジン音はすれど駆動モーター音も含め、静かでスムーズすぎるのだ。
高速域以外でも、多気から紀伊長島間の梅ヶ谷峠でHC85系はその本領を発揮していた。キハ85系が力任せ感一杯に身体を震わせエンジン音を響かせて臨んでいた登り区間を、音も振動も少なく、すいすいと事無げに進んでゆく。それはいかにも、気動車より圧倒的に坂に強い電車の走りそのものだ。
全体的に全く同じか上回るようなようなペースと時刻で運転されていても、HC85系の走りはキハ85系の力任せ感が全く無い大人の走りだ。しかし余りに静かで、趣味的に何も起こってくれない。以前新幹線から眺めた、浜松工場にバラで留置されていた廃車解体待ちのキハ85系を思い出し、乗る機会は数えるほどだったけど楽しい列車の旅をありがとう。
と思っていたら、車内ディスプレイに駆動状態が表示されていることに気が付いた。エンジンだけで発電中、バッテリーアシスト中、そして回生ブレーキ時などバッテリー充電中がわかるようになっていて、現在の走りとその表示で、静かな走行音のエンジン・モーター音を興味深く感じることができるのだ。起動時など、動き始めてからエンジン発電中の表示に替わるまで少し掛かっているようなので、表示のタイムラグはある気はする。しかし、これはこれで車両の走りを感じさせるための機構とは言える。そして、旅行しているだけでCO2を削減していると思わせることが、今後は高速道路から少しでも客を奪い取るのに意味があるようになってゆくのではないか。世の中の多くの商品・サービスは、直接間接のCO2削減をセールスポイントにしている。そしてエンジンパワーや振り子式で電車を上回るような高速性を獲得していた全国のハイパワー特急車が、結局高速道路に客を奪われて苦戦している現状を考えると、これこそ将来の在来線特急の戦い方なのかもしれない。やるねJR東海、と思った。
尾鷲到着20分前を過ぎ、日焼け止めを塗ってから、思い出して天気予報を確認しておく。すると、尾鷲市も熊野市も12時以降降水確率60〜70%、1mm、大変思わしくない。大阪、名古屋での曇り予報と大きく異なる直前予報に変わってしまっていたのだった。前線が近いから天気は不安定なんだろう。
これならまあ中止が妥当だ。尾鷲での次の普通列車が12:00であることまで確認し、とにかく尾鷲に着いたら空を見てみることにした。
10:45、尾鷲着。数名のお客さんが次々迎えの車で去ってゆく中、待合室に自転車と荷物を置いて駅前で曇り空を見上げてみる。
まだ雨は降っていない。雲はどんより薄暗いものの、比較的明るいようにも見えないこともない。でも振り返る山々はもう4〜500m辺りまで濃い雲に覆われているし、やはり雲全体に如何ともし難い不透明感は感じられるようにも見える。降水確率はどこの予報でも12時から午後ずっと時間当たり1mm以上で60〜70%、これは1時間後ぐらいから確実に降るということだろうし、この空を見ればあと1時間で一転晴れ渡って青い空が出る、などということがあり得ないことが確信できる。これは走らない方が正解だろうなと思われる。このまま12時の列車で二木島に行ってしまうことにしよう。
その間お客さんに話しかけていた観光案内のお婆さん2名も事務所らしき方面へ去っていき、その後待合室はゲームに耽る若者と私の2人だけ。早々にホームに出ると寒い。
このままだと昼食を食べる場所が無いので、駅員さんに尋ねて徒歩2〜3分ぐらいのオークワで秋刀魚寿司と唐揚げ、カップ麺を仕入れた。店を出ると、もう雨はぱらぱら降り始めていつのであった。今日は駅の近くの宿で良かったと心から思う。
12:00、尾鷲発。断崖絶壁の熊野灘トンネル区間では、降水量1mmが納得できる本降りだ。走らないで良かった。
普通列車はキハ25。駅間ではディーゼル時代の南紀と変わらない快調な走りで、12:25、二木島着。
やはり降りた客が迎えの車で去って行った無人駅で、ゆっくりのんびり自転車を組立開始。途中犬の散歩とおじさんが現れ、驚かされはしたものの、組んでしまえば後は手持ち無沙汰で雨の音に身を任せるだけだ。そのうち肌寒くなってきたので、臨時の南紀81が去ったところでGPSの電源を入れ、宿に向かうことにした。本降りとはいえたかだか2〜300m。
13:10、旅館民宿川口家到着。
宿に着いてさっき尾鷲で仕入れたカップ麺を食べ一寝入り。朝早かったので、疲れていたかもしれない。いや、去年と同じく連休前の仕事が原因だったんじゃあないか。今日は道中よほど眠かったなと思う。
夕方になって、天気予報通り雨は止んだ。明日の晴天に向かって着々と事態は進行している。
お風呂は16時、夕食は17時。その後19時前、私が寝る19時前、熊野古道訪問らしき4人組の客が到着したようだった。そのうちの親父1名が大変うるさい。自分も声が大きいので、気を付ける必要があるな。などと思っているうちに眠ってしまえるのであった。
明日の天気予報は晴れ、降水確率は15時まで0%。朝の熊野灘、お昼〜午後の瀞峡で晴れるのだ。この際丸山千枚田も行けたら行くべきかもしれない。私的に空前絶後級の絶景ツーリングになるだろう。夕方に曇るようだが、もうその時間は知ったこっちゃあない。
記 2024/5/25
紀伊半島Tour24#2 2024/4/28(日)二木島→下北山5時過ぎ。外で見かけた自販機に缶コーヒーを買いに行く時に、防波堤に登って海を眺めてみた。
入り江の外海の空が光るように明るくなっている。その空に雲が全く無い。海面は鏡のように静かで、岸辺の山々は赤い光が作る青い影の中だ。空気はきりっと涼しい、というより肌寒く、雨具を防寒着にしても耐えられるかどうかという感じだ。宿の部屋に炬燵が置いてあるのがよく理解できる。
6時前、自転車に荷物を積むときに、もう一度防波堤に登ってみた。湾の外側から朝日が射し込み始めていた。空気はひんやりしているものの、さっきよりは大分上がっている。何とか走れそうな感じだ。
味しい鯵の干物の朝食を頂いて、6:50、二木島旅館民宿川口家発。
港から40m登って国道311に取り付き、岬を越えてゆく。濃厚に道を覆い尽くす新緑の広葉樹林、その隙間から路上に斑を作る木漏れ日。紀伊半島まっただ中にいきなり放り込まれた気がした。昨日丸々運休して出発が二木島になった、そのことならではの現象だと思う。昨日全く走っていなくても、旅は始まっていたのであった。
トンネルを抜けると遊木町の漁村を見下ろしつつあっけなく道が下り始め、向こうの岬に挟まれ静かに波打つ凄い青濃度の海が現れた。湾の内側に向かって下り始めると共に、道は4mぐらいの細さになった。7:15、新鹿手前の私的自転車撮影ポイントに狙い定めて脚を停める。日本一の砂浜といううたい文句の白い砂浜が大きな弧を描く新鹿の海岸が、静かな内海の正面に見える。そして切り立つ山々、その山をもりもり覆い尽くす常緑樹と新緑の濃淡緑が、海岸と湾を取り囲む。朝の光、景色の彩度と濃度が凄い。遂に、また新鹿海岸に来れたという気持ちで一杯になる。
まずは自転車写真を撮らねば。2021年にK-1のDFA21mmLimitedを買ったとき、撮りたいと思っていた具体的な何カ所かのうちのひとつがこの場所だ。今日、最高の天気と時刻とともに、念願の風景が目の前にある。人生こういう日が来るのだ、と思わせられるような状況なのだ。
しかし目の前の風景に、PCデスクトップ写真よりかなり樹木が育っているのはちょっと意外ではある。また、そういう過去の写真だと海は明るいエメラルドグリーンだが、目の前の海は濃紺というか深緑というか、空を映しているのとも違う濃い色だ。或いは海底の白い砂が、何かの理由で流れていったのかもしれないなどと妄想する。思えば前回ここに来たのは2015年。前回9年経ったのだと自分で思っていないことが、一番の原因かもしれない。これこそじじいのツーリングだ。それによく見ると、色が濃いのは海岸近くの海底まで海が透けて見えているせいだということがわかった。そう考えると、ものすごい透明度に改めて驚かされる。こんな風景が幅員4mの国道で楽しめるのが凄い。
入り江の中央に降りた国道311は、海辺の町中へ脚を進めてゆく。過去の訪問で見かけた看板の宿は、今回はことごとく閉まっているのだった。計画時に宿を調べた段階で気付いてはいても、少し悲しいことである。町中に営業中の商店を見つけ、町の元気な表情に少し触れた気がしてほっとする。
たまたま目に入った砂浜への小さい橋を渡って砂浜を少し眺めてみる。日本一美しい砂浜だ、と思うと意外に木辺やら何やらが目に入る。リゾート地の砂浜とは違う、この海岸の素朴さなのかもしれない。自転車道っぽい細道が海岸をぐるっと廻ってゆくのを見つけ、行けるとこまでと思って進んでゆく。
砂浜で自転車の写真を撮ってしまった。「塩が痛い痛い」と自転車が悲鳴を上げているような気がして、「ごめんごめん、」とちょっと申し訳なく焦りつつ、この際もう少し海岸の近くを。
結局最後に少しだけ階段を担いだものの、無事湾の反対側、海水浴場の駐車場広場に到着できた。さっきの自転車撮影ポイントから、30分以上かけて湾の反対に回ってきたことになる。こちらからも少し眩しい朝日で逆光の湾を眺め、駆け足ではあっても過去の訪問で一番時間を取って、朝の新鹿で立ち止まれたことに満足し、先へ進むことにした。
それにしても今日の新鹿海岸は凄い天気だった。2006年の初訪問から18年、過去何度かの訪問中で一番晴れたと思う。この後これほどの晴れにはもう出会えないとしても、またいつか。
7:50、新鹿発。再び岬の稜線へ登ってゆく。確か次は波田須町の先まで登りだったような気がした。
岬まで登った道の登り斜度が安定すると、森が切れ始めて下手が畑と田圃に替わり、ところどころで空と熊野灘が拡がる始める。波田須町だ。所々に熊野古道の看板が出ている。途中、GPSトラックが国道の道端から民家脇の細道へ下っている。空間がすとんと落ちていて、斜度がかなり厳しそうだ。多分というか間違いなく集落の急斜面直滑降と思われる。新鹿で時間を取ったし、もうそちらは行かずに国道311を進んでゆく。
波田須町からの登りは、記憶に比べてあまりボリュームのあるものではなく、意外にあっさりトンネルを通過。あれっと思っているうちに大泊まで下りなのであった。今日は二木島始発のせいか、だいぶ熊野灘区間での展開が速いような気がする。つくづく昨日の雨が悔やまれるものの、こういう今の気分は悪くない。尾鷲発二木島着のパターンは今後使えそうだなと思う。
海は新鹿と何ら変わらず、透明度が高く白い砂浜そのものは美しい。しかし国道311は、軒が低く落ちついた大泊の町の先で国道42に合流。当然のように道は一気に幅広く、交通量が段違いというか別世界のように増えてしまった。4回目なのでこうなることは判っているし覚悟もしている。でもやはり、全体的に落ち着きは悪い。
行程上、熊野市市街の先で再び国道42から別れて山中へ向かう国道311に乗り換えるまで、熊野市市街を通過してゆく。
大泊から熊野市市街へは旧道細道トンネルを使う。一応車も通れることになってはいる道なのだが幅がかなり狭いので、通っても軽トラぐらいなのが親しみやすい。また、熊野市市街側は国道42からは少し離れた町中に出る。そこでは軒の低い瓦葺き、昔ながらの佇まいの木造家屋が元々旧道っぽい格調とともに続き、熊野市市街というより本来の地名の木本の町という言葉が頭に浮かぶ風景なのだ。短いながら私にとって熊野市の好感度をぐっと上げるトンネルなのだ。
商店街では歩行者天国の朝市をやっていた。自転車を押してゆくと、秋刀魚寿司始めいろいろ弁当になりそうな物も売っている。こういう所は熊野市は親しみやすい。
8:40、計画段階で目星を付けていたローソンに脚を停め、おにぎり、ケーキなど補給食料を多めに仕入れておく。今日だけじゃなく、明日も食料難民になる可能性があることを、紀伊半島では注意する必要がある。
8:55、ローソン発。駅前を経由し、裏道から再び海岸沿いの国道42へ。かつて泊まった熊野市青年の家YHの建物を一目眺めようと思っていた。事前に旧道っぽい細道に目を付けてはいたものの、建物はあっけなく国道と細道の分岐に建っていた。
旧道細道は車が来なくて好都合ではあるものの、凄い晴れの今日は、むしろ国道沿いの海岸が見ものだ。少し獅子岩前の海岸を眺めてから、おもむろ内陸へ向かう。
GPSトラックは集落の生活道から田圃の裏道、農村の細い道へくねくね突っ込んでゆき、おもむろに再び国道311に合流。丘陵地をいくつか横断するアップダウンを、てれてれだらだらとのんびり進んでゆく。過去の訪問では、一見短く見える距離を甘く見て適切な時間を取らず、この辺りで坂を強引に登ろうとして疲れてしまった記憶がある。こういうしんどい区間は、面倒でも無理しないことが心安らかなツーリングにつながる。
無理さえしなければ、山間に向かって波状に続く一つ一つの丘は、どうせ大したボリュームではない。そういう丘を一越えして谷閧ノ下ると畑や田圃が現れる。里が現れる度に次第に谷が狭くなって長閑な雰囲気濃度は濃くなり、丘は少しづつ高くなって周囲にも高い山が現れ始める。途中、熊野自然の家の分岐看板が現れた。2015年に通った札立峠と深い森の道を思い出す。
アップダウンが続いて交通量は皆無という程でもないこの道を避けようとすると、もう少し海側に少し回り道する道はある。国道311よりはのんびりしていそうなので、いつかはそっち方面も行ってみてもいいかなとは思うものの、いつになるかはわからない。まあパターンとしては、瀞峡・丸山千枚田方面と熊野灘の狭間で、必要性と時間の余裕に応じて行けるか行けないかが決まるんだろう。
内陸はやはり暑い。まあ夏よりはましで、まだ耐えられる。自販機で脚を停めポロシャツを脱ぎつつ、こんな暑さがすっかり普通になってしまったと思う。
周囲の山々が俄然切り立ってきて、斜面地集落の尾呂志を過ぎ、トンネルの入口でおもむろに杉の森へと分岐する旧道で風伝峠へ。過去に国道311を通った時は、主に行程に無理があったため、たかだか100m登り返すこの旧道を避けたことが多かった。今日は可能な限り脚を向けてみるつもりでいたのだ。
取付で乗り上げるようにほんの少し高度を上げ、その後は斜度が落ちついた。濃く深い杉の森は、梢が高く開放的な雰囲気だ。しかし森の上手から、野良犬なのか猿なのか声がするのはやや不気味だった。距離は100mか或いは200mか、猪か熊じゃあなさそうではある。ある程度から向こうは勝手が全く伺えないことに気が付き、改めてその深さを思い知らされるような森だ。
峠手前の茶屋っぽい建物は閉まってはいたものの、ピークできゅっと道幅が狭くなる峠部分も杉の森の中。旧道であることと往年の佇まいが想像される。
峠を越えた道は山腹の森を下ってゆく。登り返しが始まって峰を越え、時々頭上が開けたりする辺りから、道幅はますます細く、舗装路面の轍を除いて草や苔が生えたり落ち葉が溜まってたり、細かい落石が現れ始め、路上空間がますます狭く小さく道の雰囲気は変わり始めた。
県道40へ合流すると、更にぐいぐい登ってゆく。地形図ではそういう風に読めるし2002年の記憶でもそんな感じだったので驚きはしないものの、やはりそうなのか、と粛々とギヤを目一杯落とす。
この先丸山千枚田までも、やはり距離は長くないが拡幅済みの道幅にしちゃ斜度は厳しめだ。風伝峠からこの辺まで距離はそんなに無い。しかし、道が細くてそろそろ進んできたのでそれなりに時間は過ぎているし、道の展開がころころ変わったためか十分に峠を越えたという気分になっている。さすがは風伝峠。それとともに、改めて行程が紀伊半島のペースであることを感じさせられる。
県道40に合流してから、すれ違ったり追い抜いてゆく車が妙に増え始めていた。丸山千枚田を訪れる人だ。森が切れて現れた展望台では、森が切れて千枚田を見下ろす眺めが拡がった。切り立つような急斜面に弧を描いて、目の前から上下に空間が拡がっている。谷底へ駆け下りるように層をなして下ってゆく棚田。その垂直方向への規模は、2002年に訪れて、そしてその後も地図で眺めていた以上だ。明るい草の緑は、ここまで通ってきた杉の森の濃い緑、広葉樹の森と違う緑であり、空を映す水面、陽差しとともに目に浸みる。気を付けないと転げ落ちてしまいそうな気になってしまうほどの急斜面。腰の後ろが痒くなりそうな高所恐怖が、これから自分がその中へ下ってゆくわくわく感と、他の場所ではあまり見かけない地形の空間感覚と一緒に自分の中でぶつかりあっている。
もう少し進んで県道40の登りピークから、棚田の中へ飛び込むように降りてゆく。がしっと緻密に、丁寧に積まれた石垣や棚田の縁が段をなして急斜面を下ってゆく中を、こちらはつづら折れの細道で、景色に脚を停め停め下ってゆく。2002年もこの道を通っているはずなのに、焦って下ったことしか憶えていない。
10:50、丸山千枚田休憩所着。あずまやのベンチに腰掛け、おにぎりとケーキを腹に入れるとする。棚田を眺める場所として、上下にも円弧の内側にも、中間地点の大変良い場所にある有り難い場所だ。こういう場所が無料で開放されていて、何かうるさく仰々しい施設じゃないのは素晴らしいことだ。
一息付いて水を飲む。ぎゅっと濃厚な、谷間に上下左右に展開する棚田の空間感覚も、少し下手の空中に突き出す巨石を見渡してみると、こういうもの全てを、再訪してやっと思い出せていることをつくづく実感する。
2002年の訪問では、確か宿の夕食時刻ぎりぎりで、ここは通り過ぎたんだった。あの時丸山千枚田には2回も泊まっているのに。そして2回目は、真っ暗になってから20時過ぎにタクシーで帰ってきたんだった。2009年にも、上の県道40を通過はしている。毎回毎回、そういう立ち寄る余裕の無い行程しか組めなかった。2002年など折角泊まったんだから、ここで朝の時間を取っても良かった、もう少しこういうステキな風景を味わうようなツーリングをしても良かったとつくづく思う。行程に対して脚があるとか無いとかじゃなく、根本的に自分の旅にそういう余裕が無かったことを後悔する。でもそれは今だから言えることかもしれないし、いや、あの時の後悔があるから今こういう旅ができているのかもしれないとも思う。ことにする。
11:20、丸山千枚田休憩所発。棚田の中、巨石の脇から道は折り返して下ってゆく。最後にやっと見覚えのある建物が現れた。2002年に私が泊まった後、今は閉館してしまった公営の「千枚田荘」だ。手入れはされているようだが今は物置なのか、ややひっそりした雰囲気だ。千枚田で作ったとのお米がとても美味しかった記憶がある。
棚田の外れから森の中へ。細道を滑らないようにきりもみ急降下、その後急に大栗須の集落が拡がった。森の中から周囲が開けて、人里に戻ってきた印象はあるものの、ひっそり寂れたような、どこか違和感に近い雰囲気が感じられるようにも思う。2002年の訪問時にもこういう雰囲気が感じられたような気もする。それなら、この地独特の雰囲気なのかもしれない。明るい日なたの休耕田らしき草むらで、キジがのっしのっし、高い声で一声鳴いた。
入鹿で集落に生活感が出てほっとして、間もなく板屋で、風伝トンネルから下ってきた国道311に合流。
板屋は、元役場の熊野市支所があるぐらいの、この辺では比較的纏まった規模の町だ。自販機に立ち寄るチャンスでもある。しかし、何故か毎回不思議に谷間に通る国道311に慌ただしい雰囲気が漂っているような気がして、立ち寄る気にはならない不思議な場所だ。何が悪いとか気に入らないというわけではないのに。
今回もそのまま何となく受動的に、てれてれ勢いだけで進むうち、板屋の小さな町は通り過ぎてしまった。次はGPSトラックに従って、国道の小山を抜けるトンネル脇から、小山を回り込む川に沿った旧道っぽい細道へ。
森の中から対岸に渡る橋が現れた。唐突に今日3つめのテーマ、瀞峡未済経路廻りが始まったのだった。
ここまで板谷川の狭い谷間を下っていたのが、GPSトラックに従いその橋を渡り対岸の小さいトンネルを抜けると、その向こうは広く大きな北山川の谷間に変わっていた。道はそんなに曲がっていないのに、不思議な展開ではある。北山川が曲がりくねっているのでこういうことになるのだ。
そのまま細道を進み、北山川の川沿い集落木津呂へ向かう。山間にくねくね屈曲して続く北山川は、この辺りで180°ターンを2回繰り返す。180°折り返す北山川に挟まれた島みたいな岸辺の集落が木津呂だ。北山川には直接木津呂へ渡る橋は無い。このため、木津呂は曲がりくねった北山川沿いの行き止まりとなっている。実際には木津呂の先にもう少し道が続いてから行き止まりになるっぽいのだが、そこは今のところあまり考えていない。どうせ無人の森の中で唐突に道が途切れることを、Web地図で確認済みだ。木津呂に行ければいい。
北山川沿い、特に瀞峡にはこういう場所がいくつかある。しかし私は北山川には何度も訪れていても、こういうところには今まで訪れたことが無い。やはり今まで、行程上の理由を大義名分に、訪問をサボっていたのだ。
切り立つ岩山に貼り付き、木漏れ日の森の中、北山川沿いから次第に道は高度を上げてゆく。時々岩肌を強引に掘り割りで道を通したような場所もあるかと思うと、のろのろ進むうちいつの間にか100mぐらい登ってしまい、北山川の広く澄んだ川面が見渡せ、思わず脚が停まったりする。見下ろすその川面の透明度に驚かされるのは毎度の事、つくづく本当に水がキレイな川だ。そしてその透明度が、のんびりと長閑で伸びやかながら、どこかきりっと清らかな、川の風景全体に影響しているとも思う。
登り切った辺りで林道が分岐してゆく。そちらの道は地形図では破線の道が北山川沿いに高度を下げ、次に向かう瀞峡沿いの集落へと北山川沿いを渡る小橋が描かれている。そんな点線の道は信用できないし、この先そちらへ向かおうという気も全く無い。稜線をひょいと乗り越え森に突入するその道に、踏み込むとまず確実にろくなことにはならなさそうな雰囲気が漂っていることだけ確認し、こちらはそのままこちらの谷間を北山川岸近くまで下ってゆく。
森が開けて現れた木津呂の集落は、人里としてごく普通に親しみやすい表情が、手入れの良さそうな梅畑や民家に漂っている。空き家っぽい家や休耕田はあれど、空地じゃない畑は綺麗に手入れが行き届いている。車が停まっている家もある。放置されている感じは全く無い。
そのまま木津呂の先へ、一応脚を進めてはみた。しかし一旦60m登った道が再び川沿いへ下り始めるところで、何となく満足して(というか面倒になって)、もう引き返すことにした。ここで12:30。
再び木津呂の集落を通って登り返す。北山川沿いの道のピーク、向こう岸へ下ってゆく林道の分岐で、この道を下ったら担ぎ込みで1時間かそれぐらい、地形図に載っている小橋で北山川を渡り、瀞峡のショートカットができるかもしれないなどと妄想してみる。現実としては、やっぱりそんなアブナイ賭けをするわけには行かない。そうじゃなくても地道に行かねば。まだお昼。
元の橋へ戻り、再びトンネルを抜けると国道311の大きな白い橋が見えてきた。何だかこっちの世界に戻ってきた気になると共に、やっと次に進める気になる。
橋を渡ってトンネルを抜け、国道311はまたもや登り始めた。そして途中で1車線の細道となった。ここは2002年の初訪問時からもう何度か、通るたびにしつこい一登りにうんざりさせられている。なんでこんな所でわざわざ登って下るの、という。
まあこの道を通る限りは毎度の話。きりきりっと急な坂で丘を一つ越え、国道169新道に竹箸で合流。前回は国道169を降りてきたから、今回登りでしんどいのは順当な流れと言えばそれまでではある。
谷底の玉置口にもひと分岐ある。集落も何も無い急斜面の、数えるのが面倒なつづら折れで単純に100mぐらい登った最後は行き止まりという、かなりものすごい道だ。もともとGPSトラックは引いていないし、そちらには行かないことにしておく。以前まだ新道が影も形も無い頃、国道169の旧道から一度間違って踏み込みかけたような気がしないでもないし、そんなのは思い込みかもしれない。何しろ初めて通った2003年は、この辺は泡を喰っていたし、その先の蟻越峠区間で散々しんどい思いをさせられたのだ。等と思いながら、橋の上から玉置口の谷底と印象的な白い鉄骨トラス橋を眺め、脚を進めるとする。
瀞峡トンネル入口の、2003年以来向かおうと思っていた国道169旧道は通行止めになっていた。無理に突入しても、延々登った後に盛大な崩落やら何やらに遭遇するのは目に見えている。もう粛々と、瀞峡トンネルへ向かってしまうことにした。大義名分としてはこちらから登るのは初めてだし、実際2km以上の長い国道トンネルではあっても緩めの登り斜度は大変有り難い。そして今日みたいに暑い日には、トンネルの冷やっとした空気が更に有り難い。
多分旧道はこのまま廃道になるのかもしれない。それなら次回以降の訪問は、こちらになってしまうんだろうなとも思う。
瀞峡トンネルを抜けると、すぐにこちらの新道から見上げる位置に国道169旧道が並行する、瀞峡区間まっただ中の風景が現れる。この国道169の、象徴的な場所だと思う。
13:30、瀞峡分岐着。ここで寄り道2本目、瀞峡まっただ中北山川の河岸近くまで降りてゆく道へ。以前は谷底へ一目散に下ってゆく道を国道169の旧道からも新道からも眺めるだけ、「あんなところはちょっと下れないね」等と思って通過していた。今回は余裕がある分を、そういう道への訪問に費やそうと思っている。まあ、玉置口は通過してしまったので、ローラー作戦というほどでもない。決め決めの計画でもない。あくまでのんびり、あまり考えずに時間が許す範囲の話だ。
手持ちの平成6年腰部修正1/5万地形図「十津川」には、この谷に小さな集落が描かれている。そして以前NHKの朝のニュースで、瀞峡ホテルとして宿泊営業されていた建物を引き継がれた方が、瀞峡ホテルをカフェとして営業されていることが紹介されていた。今回はこの谷間を、是非とも一目眺めてみたいと思っていた。
谷間へ降りてゆくと、ボリューム・斜度とも地図で眺めたのと上から眺めて想像したぐらいのボリュームの谷下りの後、カーブの先に木造廃屋と何故か郵便局、そしてバス折り返し場所が現れた。元瀞峡ホテルの建物はそのバス停の、瀞峡に降りてゆく斜面に貼り付くように建っていた。
ここに立ち寄って軽食か飲み物か何かを頂いて、木漏れ日の瀞峡を眺める自分を想像していなかったわけじゃない。でも、今日も14時近い。そこまでの余裕は無さそうだ。そしてそういう理由だけじゃなく、先にどんどん進みたい気分になっている。
下った分が帰りに丸々登り返しになって、再び国道169へ。14:00、瀞峡分岐発。
何度かの訪問で印象的な東野トンネル、他いくつかのトンネルと橋で、本来は切り立つ複雑な地形の谷間をばんばん直線気味に通過してゆく。地形図に描かれた急峻で屈曲する谷間の印象とは全く違い、ほんとにあっという間に小松分岐に到着。
いつもの小松に降りてゆく道が分岐する広場状の場所に、工事現場の仮囲いが立っている。その向こうには、谷間の空中に構台がかなりできあがっているのであった。その先、山肌に穿たれたトンネルはもう貫通している。小森を抜けて北山村の中心部に向かう新道区間が、来年の開通に向けて着々と絶賛工事進捗中なのだ。
小松には2度降りたことがあるし、小松で工事現場を眺めることができたので、引き続き粛々と先へ進んでゆく。次は瀞峡を望む私的撮影場所の再訪だ。
急に細道に変わった国道169はこちらからだと登り基調だ。楽しみにしていた私的撮影場所は、ところがその場所ではガードレール外の斜面に2018年以来6年間で成長した木が生い茂り、瀞峡は全く見えなくなっていたのだった。
小森ダムまで道は一登り。いつの間にかスパルタンに斜度を上げているタイプの、ちょっと国道離れした厳しい細道だ。その後細道区間は下尾井手前で続いたが、新道の橋を造っている工事現場が現れた後、道幅が拡がって森が切れ、集落と道の駅が現れた。
14:40、下尾井着。ここには道の駅「おくとろ」その他公営観光施設がある。道の駅で補給食ぐらいは問題無く購入できることは知っているし、、今日は補給食を十分準備して行程に臨んでいる。とりあえず有り難く立ち寄り飲みものを仕入れ、表のベンチで昨日早朝地元駅のコンビニで仕入れた最後のバームクーヘンを食べてしまう。まだ熊野市で買った食料もあり、ネタ的には全く不自由していない。
のんびり行程を進めているうち、それなりに時間は過ぎているのは瀞峡の山深さ故かもしれない。ここで少し休んで出発は15時頃。小森へ訪問してから、その後不動バイパス経由で七色ダムへ脚を向けると宿到着は17時を過ぎるだろう。明日は曇り後雨予報、午前中しか走らないだろうから、17時を過ぎても全然構わない。むしろ今日もっと走っておくべきかもしれない。まあでも、熊野灘の絶景、風伝峠・丸山千枚田・木津呂・瀞峡ホテル・ツーリング的絶景と細道廻りに十分満足だ。そろそろ空に雲がうっすら拡がり始めているし、小森の後はもう宿に向かおう。
15:00、下尾井道の駅「おくとろ」発。北山川対岸へ渡る吊り橋の上瀞橋は、一度渡ったことがある。その時は確か動画を撮ったはず。今は動画の代わりにThetaの360°画像が、広い幅の川を吊り橋で渡る空間感覚を記録できる(と思っている)。
対岸に続く道を登り方面へ。しばらく登りが80mぐらい、杉や広葉樹の薄暗くも静かで涼しい森に続いた。木漏れ日がまぶしい丘の背中をひょいと乗り越えると、向こう側の斜面は日なたの光の中。そろそろ赤みが混ざった光で、木漏れ日の緑がますます明るく鮮やかだ。
森が開けて小森の集落が現れた。多少静かな気はするものの、畑には人がいる。石垣や並木が小綺麗に整えられ、所々で豊かに茂る桜の木立や並木。風景に費やされた人の手の優しさがあちこちに感じられる集落だ。
河岸近くまで降りる集落の周回道路を下ると、ダムへ向かう細道の入口に小森トンネル建設中の現場があった。小森へ行こうと思ったのは今回が初めてじゃない。しかし地形図を眺め、さっき登ってきたたかだか80mの丘越えが果てしなく億劫に感じられ、その度に先行きを口実に通過していたのだ。そういうときには、どうせ北山川の川岸近くまで降りるんだからトンネルで行けると、住んでいらっしゃる方も便利なんだけどなあ、とも思っていた。今、正にその道を作っているのだ。というよりトンネルはもう貫通していて、あとは道の体裁を整え、橋を作るだけなのだ。
さっき北山川の対岸を通った小森ダムへはここから2〜300m。しかし、何となく小森を訪れるだけで十分満足できていた。この満足に浸りたい気がしたのか、ダムへ向かうのは、この際止めておく。或いはたかだか2〜300mの道が日陰になっているというそれだけのことで、ちょっと億劫に感じていたかもしれない。
15:15、小森発。再び集落へ周回道路を再び登り、さっきの道に戻り、丘を越えて吊り橋まで戻って来きたらちょうど15時半。長年の課題だった小森訪問を終え、充実した気分になっていた。もう今日はこのまま不動バイパスへ向かってしまおう。
国道169対岸の林道で杉の森をしばらく進み、森が開けて育生町大井から新大沼橋で再び国道169へ。天気予報通り、空には薄い雲が拡がり始め、厳しかった陽差しを和らげてくれていた。
北山川沿いに国道169をもう5km。のんびりしているとは言えやはり拡幅国道、風景は今日の林道や細道の数々に比べて多少気が急くように感じられた。しかしこの期に及んで国道169には未拡幅区間が現れた。確か七色ダム周辺にも、以前は未拡幅区間はあったと思う。やはりまだまだ侮れない道だ。
16:00、七色の不動バイパス分岐発。この道、バイパスという名前ながら、実体は山中まっただ中を80mぐらい登ってやや長めのトンネルを抜け、奈良県吉野郡下北山村に抜ける県道風の道だ。以前奈良県の下北山村から和歌山県北山村の瀞峡方面に向かう時に、この一登りを避けたつもりでけっこうな大回りになってしまったことがある。たった80mなんだからこっちを回った方が良かったよなあと思いつつ、それは両方通った今だから言えることかもしれないなどとも思う。そろそろ登りがしんどい時間でもあり、活発な妄想と共にたかだか80mをゆっくり登ってゆく。
トンネルの手前では「歓送」との北山村の看板が立っていて、そしてトンネルを抜けた向こう側では「奈良県」「下北山村」との表示が出た。あまり調子に乗らないように谷閧下って既済経路の県道229に合流、その先の国道425白谷トンネルを思い出し、そして国道168に合流して北山ダム湖の眺めに脚を停め、全体的にのんびり落ちついた気分で進んでゆく。久しぶりの道の景色を思い出したり眺めたり、あんまりのんびり進むので17時は越えるかもしれないと思いながら、でももう大したことにはならないだろうという安心感がうれしい。
17:00、下北山「きなりの郷」着。
チェックインしてすぐに温浴施設のお風呂へ。夕食は18時から。何組かお客さんは泊まるようではあったものの、18時に朝食なのは私だけのようだった。
おいいしい夕食を食べながら、改めて今日1日を思い出す。運休した昨日の分を取り返した以上に、来れて良かった感一杯の、凄い1日だった。
明日の天気予報は今までと大きく変わらずお昼前から雨。降水量4〜6mm、降水確率60〜70%だから、あまり降らないうちに新鹿へ下ってしまうのが適切だろう。12か13時まで雨が降らなさそうなら、新鹿から尾鷲まで行けるかもしれない。でもまあ、そんな展開はあまり期待できないかもしれない。緩めに行きましょう。
記 2024/6/1
紀伊半島Tour24#3 2024/4/29(月)下北山→新鹿北山川が屈曲した深い谷底にある下北山。宿の窓から空は見えにくく、夜明けも天気もわかりにくい。4時に起きてしばらくのんびりぼうっとして目を覚ましていても周囲はなかなか明るくならず、そろそろかなと5時から外に出て、おもむろに荷積みを開始。
空は昨日の青空とは全く違い、どんより厚い雲が空一杯で薄暗い。天気予報曇りの、雨に近い方だと思えた。今日は昨日の検討通り、新鹿終了と考えておくべきだろう。北海道での4サイドと違い、フロント+サドルバッグ装備だと、荷積みがすぐ終わってしまう。荷物が少ないことは良いことだとつくづく思う。
朝食は7時から。他の何組かのお客さんも、初めてその姿を見ることができた。朝食だけ頼んでいる方が多いようで、人数は結構多い。まあそうだろうな、他の場所ではあんなに宿が取りにくかったから。朝食は秋刀魚のみりん干しが大変美味しいのがいかにも紀伊半島らしい。久しぶりに南伊豆のお店で注文しようと思った。
7:25、きなりの郷発。
昨日通った、町外側の北山川沿いを通る国道169ではなく、数mだけ高台にある下北山町中の1本道へ脚を向ける。この旧道らしき道では、人々は家から外に出て仕事や掃除を始めていて、朝の気分が楽しい。初めて通る道だと思っていたら、既に2006年通っていて、やはり朝の営みを始めている様子に感動していたようだ。
町の向こうで国道169に号流。山が切り立つ狭い谷間一杯に川幅が拡がってダム湖の様相となった北山川沿い、谷間と共にくねくねのたうつ1本道を下流方向へ。
静かな水面が曇りのせいかますます静かに微動無く見える。時々釣り人の船がその水面に波を立て、ゆっくり進んでいる。湖岸の道は、前半ではあまり目立った登り下り無くすいすい進んでゆく。曇りではあるが新緑が明るく、ところどころで拡がる水上の空間は感動的だ。何故水のボリュームだけで人は感動するのか不思議に思うことがあった。今回、それは水に対する恐れの裏返しなのではないかと気が付いた。空が薄暗いのと、新緑が瑞々しく生命の印象が強いせいかもしれない。曲がりくねった谷間の屈曲が急な場所で、道は対岸へ渡り、またすぐにこちら側へ戻ってくる場所がある。地図を見ていないと何だか湖上に浮かぶ島を渡っている気がするのが楽しい。
後半では北山川支流の大又川の谷間となり、登り基調となる。岬状部分を越えるための、一見意味が無さそうな登り下りが現れたりする。そして、登り始めてこういう場所があったかもしれない、などと思い出す。地図を眺めても一連の湖岸道路として見てしまっていて、現地では景色により身体の記憶が再生されるのかもしれない。幸いこれから面倒臭いアップダウンだったことを思出せると、焦っても仕方ないと諦めつつのんびりした気分で臨むことはできる。
ところで今日この道は、なかなか良い道じゃないかと思うぐらいに全体的に交通量が少ない。この車の少なさは、国道169の下北山のすぐ上、大規模な土砂崩れによる通行止めで下北山で行き止まりになっていることが原因のひとつとして間違いないだろう。
前回訪問の2005年以来、19年間この道を再訪したいと思ったことは無かった。それは車が多いと思ったからだ。もともと今日は国道425で池原・坂本貯水池を経由し尾鷲に下るつもりだったが、4月に池原ダム区間で発生した崩落による国道425の全面通行止めにより、こちらに来ざるを得なかったのだ。しかし、今日はそういうタイミングでこちらに来れて良かったかもしれない。
国道169は最後にトンネルを抜けて、少し広めの谷間に降りた。8:20、桃崎着。ひとまず北山川はここから向きを変え、昨日訪れた瀞峡方面へ下ってゆく。私の行程はそちらじゃなく、もう少し大又川を遡ってから、トンネルを抜けて海岸沿いの新鹿へ下ってしまう。この雲行きだと、新鹿まで降られなければラッキーという気になってきた。多分新鹿で行程終了だろう。
交差点には、以前確かセーブオンが建っていて、紀伊半島内陸で大変珍しいコンビニとなっていた。ところが今回、それらしきお店は、跡形も無くなっていた。或いはかなり以前のセーブオン合併時に無くなったのかもしれない。とりあえず、フロントバッグの中に昨日熊野市で仕入れたバームクーヘンとパウンドケーキが未だ4つもある。この先新鹿に下って一段落するまで、更に食料が必要となるような行程でもない。何も起こらなければ。
桃崎からは国道309が、これから向かうべき10kmぐらい先の飛鳥へ続いている。GPSトラックで選んでいるのは、その対岸の細道だ。
大又川の岸辺、のんびりした集落、田圃、岸辺の森に静かな細道が続いてゆく。雨予報という大義名分が免罪符の短い行程を、のんびりてれてれ流している安心感が楽しい。
しかし3〜4km進み、こちら側の平地が狭くなるのであちら側に渡って国道309に合流する、その手前辺りから、行く手の山が霞んでいるのが見え始めた。未だ上の方だけではあるものの、この先八丁坂トンネルでは降られるのかもしれない。やはり降られるのか。
国道309では交通量が増え、事前にストリートビューで予習していたよりやや慌ただしい雰囲気が続いた。9:00、飛鳥で国道309と国道42との交差点をショートカットする林道へ。多少登りがあるものの、国道309もこの先丘の低いところをちょろっと登るので、どうせ登るなら静かな方がいい。
分岐を過ぎると、空気中の湿気は霧雨と呼ぶ方が適切な位に濃くなった。そして林道から移った国道42を2〜300mぐらいクランク経由する辺りから、どう考えても雨だ、と言えるぐらいの雨が降り始めた。これ以上強くならないでと思いながら雨具を省略して八丁坂トンネルへ登り始めるものの、登り始めてすぐ立ち止まって雨具を着込むぐらいに雨はけっこう強くなった。無駄な抵抗だった。
八丁坂トンネルから海岸の新鹿へは、350mの下りということはわかっている。地形図にはくねくねの細道が描かれているし、時間はたっぷりある。
それでも谷底に降りるまで、雨と雲の中の下りはしんどく、長く感じられた。道の外側に落差の激しい急斜面が落ち込んでいるし、細道がくねくね曲がっているし、所々で路面に苔が生えている。あまり速度を上げず、気を付けて下ってゆくしかないのだ。
100mも下らないうちに雨脚はざーざー降りからしとしと降りぐらいに弱くなってくれた。それに脚を停め停め辺りを見回すと、落ち込む谷底そのものの眺め以外、最近行ってない西伊豆の仁科峠南側、県道52細道区間に酷似した雰囲気の風景だ。焦って下ったってブレーキシューでホイールが真っ黒になるだけだ。もう雨なんだから新鹿終着とすると、12時の普通列車に間に合えばいい。こういうときこそ落ちついてのんびりすればいい。
そろそろと気を付けて下り続けるうち、霞の向こう、見下ろす谷底に新鹿の拡がりがうっすら現れ始めた。その見下ろし加減で、改めてここの道がなかなかの急斜面に貼り付いていることがよく理解できる。やはり、できることなら早いこと下りきってしまいたい。
きりきりした下りが続き、やっと谷底の森に降り、あとは広葉樹林の中を一目散に下ってゆく。農家が現れ断続し始め、集落といえるぐらいになったところで道幅が拡がった。高速道路の高いコンクリート橋をくぐって昨日眺めた新鹿の町に降りてゆく。
紀勢本線を渡って、昨日の朝通った、いや確かここは砂浜を通った国道311を経由し、新鹿駅方面の看板を捜す。駅まで最後の道は生活道路どころか、単なる住宅と住宅の隙間みたいな細道になった。しかし歩いていた地元のおばさんによると、「この辺はこんな感じの道ばっかりですよ」とのこと。そして駅前の案内板によると、この道少なくとも一部が熊野古道だったとのこと。
10:05、新鹿着。すぐに再び雨が降ってきた。ひっそり静かな駅前広場の中にぽつんと建つ無人駅の建物で自転車を解体し、12時まで列車を待つことにした。一度東京に帰って、次は5/2の早朝出発のため5/1に奈良県の橿原神宮に前泊する。
記 2024/6/3
紀伊半島Tour24#4 2024/5/2(木)吉野→洞川 吉野→洞川→川合→神童子谷分岐→川合→洞川 58kmとにかく洞川には一度泊まってみたい、と以前から思っていた。山深く何とも清らか、いかにも修験場らしい雰囲気の土地で朝を迎えたい。そして、天川村の渓谷を朝の行程として通り、じっくり眺めたい。そのために、今回はどこから洞川へ向かうかをいろいろと考えていた。洞川で予約できた宿は夕食の提供が無い。近くに飲食店はあれど、そのお店は最悪、15時ぐらいまでがラストオーダーになってしまうかもしれないとのことだったからだ。
前日の5/1お昼前、大雨の中ではあったがのんびり出発、品川13:19発のぞみ35で15:27、京都着。次は近鉄で橿原神宮だ。
調査段階の乗り換えアプリで、新幹線から近鉄特急へ乗り換え時間が少ないのが気になっていた。このため、わざわざ1本遅い列車を予約したのだ。しかし実際に行ってみたら、近鉄京都は新幹線の改札から通路を挟んでほぼ正面。あんなに近くだとは全く憶えていなかった。改札に入ってから、予約していた16:05時の1本前に変更するのも全然余裕で、15:35京都発。予約していたビスタカーが22000系になったものの、元々こっちの方が車両としては好み(新ビスタは顔が嫌い)だし、輪行するのにも確か都合が良かったはず。2009年は同じ橿原神宮への特急が確かビスタカーで、自転車置場に随分苦労したという印象がある。
16:29、小雨の合間の橿原神宮着。2009年に泊まった、昔ながらの木造駅前旅館はもはや影も形も無い。そして二つあるホテルの内、一つは外資系になっている。今日はその外資系のホテルを予約している。9年後なんて味気ないものだ。
夕食は近くのCOCOSで包み焼きハンバーグ。大変美味しい。ファミレスでも落ちついて夕食が食べられ、夜中に橿原神宮に着いた2009年に比べて余裕がある、文句の無い橿原神宮前泊だ。
明日の天気予報は、行程直前になってころころ変わっている。今日の午前中には、午後から降水確率60〜70%の雨とのことだった。しかし今は、終日降水確率10%の曇り時々晴れに変わっていて、もっと言えば一昨日ぐらいまでの予報に戻っている。こういう天気予報はそのまま鵜呑みにするわけには行かない。天気の推移が不安定なのかもしれない、しか言えない。
一度は洞川温泉までバス輪行を覚悟し、路線バスが下市口から出ていることまで確認したところで気が付いた。洞川までは吉野発の林道吉野大峰線は2009年のコースだし、国道168は2003年に通っている。つまり未済経路は無い。雨ならバスがある。バス輪行できるかどうかは、明日天気をみてから営業所に電話すればいい。例えバス輪行が拒否されたとしても、朝ならどうなってもどのようにもできる。
この時まで、走るなら、上市発で国道169から旧行者環林道国道308を経由する予定だった。国道169は、今下北山村で全面通行止めのため、交通量が少ない。走るなら今がチャンスだ。いや、実は国道309を経由して、確実に宿の近くのお店で夕食が摂れる15時に着けるか自信が無く、どうしようか迷っていたのだ。
とりあえず明日は上市発国道169は止め、あまり無理せず2009年のコースで行こう。吉野から林道一発越えで洞川に降りたら午前中に着いてしまうので、国道308へ天川から適当な所まで往復しよう。というわけでのんびりコースに切り替えるのに大変都合が良い大義名分が付いた。
5/2は橿原神宮5:45発、近鉄吉野線の始発に乗車。車窓から眺めるJR和歌山線のちょっと鄙びた雰囲気に心魅かれたり、国道169のいかにも国道然とした表情にああ、あっちじゃなくてよかったとか思いつつ、6:33吉野着。
輪行袋を持って改札から出ると、駅前広場の向こうからすぐに、明るく輝くように、しかしむせかえるように濃厚に生い茂る新緑の山が始まっている。これが吉野だ。来て良かった。自転車組立にやや時間が掛かってしまったのも何だか嬉しく、7:15、吉野発。放置されて朽ちていくようなロープウェイを横目に、尾根道参道へのつづら折れへ。
土産物屋や飲食店や旅館の玄関先が続く朝の吉野山参道。折角前日お昼頃に出発できたんだから、こういう所の宿に泊まっても良かった等と思う。まだまばらな観光客の中に、これからこの尾根道を登ってゆくのか登山の格好をした方が目立つ。2009年の訪問もこの時間だった。これぐらいの人口密度が、この道に対する私の印象になっている。しかしこういう道は多分9時頃以降は普通に人出が増えるのだろう。
参道の町並み区間で確か100m以上標高を上げているだけあり、緩急あるもののけっこうぐいぐい登ってゆく。更に町の上手から森と寺院が断続する辺り、道が一旦分岐してしばらく進んで合流する区間は、前回通った時に悲鳴が出そうな激坂だと思って通らなかった方を、今回はGPSトラックに選んでいた。ほんの軽い気持ちで選んだつもりだった。現地でヤバそうなら止めることだってできるんだから、とも思っていた。
脚を進めてみると、やはり意外以上の激坂で、前輪が浮きまくる。しかし引き返すタイミングも逸し、そのまま早々に押しで進んでいった。後で思えばこれが判断間違いで、結局500mから600m以上まで押しは続き、意外にというより想定以上に時間が掛かってしまった。こっちに行くんじゃなかったとは思いつつも、相変わらず桜を主体として広葉樹林の明るく濃厚な新緑、瑞々しさに包まれるような道には心が救われた。
稜線で林道吉野大峰線に合流し、その後は稜線と山腹の森を繋いで渡り歩く無人の林道が続いた。林道としては比較的安定した道幅・路面が続くものの、どこも切り立つ岩場に深い森なのは共通している。深山の趣漂う、大変ツーリング情緒溢れる道だ。当然のように人里っぽい要素は一切見当たらい。時々展望が開ける谷間の彼方が緑じゃないので、あの辺に人の営みがあることが想像できるというだけだ。熊の看板が見当たらないのは助かる。
標高900mを越えた辺りから登りは緩くなったものの、結局1100m台までずっと登りが続いた。前回訪問時のツーレポでは、この道についてアップアップダウンなどと書いている。しかし実際には下り箇所など結局1箇所だけ。それは標高1100mの最高地点から、林道吉野大峰線の最後、山中で林道洞川高原線との標高900m台の分岐に降りてゆく区間なのであった。
ど迫力の林道吉野大峰線では何だか岩肌の険しさやところどころで拡がる下界の展望に心を奪われていた。林道洞川高原線へ下り始めてやっと、1100m台と900m台では辺りの季節、森の茂り方が4月始めと4月中旬ぐらいには違うようにも思えた。
登り返した五番関トンネル周辺の雰囲気も天川村までの下りも、前回の訪問は2009年。全く記憶に残っていなかったのがちょっと意外ではある。しかし全体的に概ね期待通りの山深く、人里離れした清らかな雰囲気が漂う森が続き、吉野から紀伊半島側に来た気になれた。
以前参拝したお寺に今回も参拝、その少し先で森が切れ、いつの間にか拡がっていた谷間に民家が登場。11:00、洞川温泉の上手に到着である。標高860m。2009年には10時に着いている。大分ペースダウンしていると思ったのだが、吉野発の時間が20分遅れなのと、吉野山の激坂区間で時間を食った分を考えると、まあそれぐらいかもしれないとも思う。こういう情け無い状態でも全然焦る必要が無い、余裕のある行程で良かった。
道端に、今日の夕食場所として目を付けておいた中華料理店を見つけた。ちょうど店が開いていたので、心配だった夕方の営業時間を確認しておく。17時から夕食営業を始めるとのこと、これで15時以降に着いても安心だ。林道吉野大峰線をのんびりたっぷり楽しめたので、国道169に向かえば良かった等という気にはならない。
洞川温泉の町並みを抜け、少し先で辺りが山中の森となって、道はおもむろに下り始めた。下る途中、道なりの虻峠トンネルではなく、旧道の虻峠を経由しておくことにする。過去2回の訪問ではとにかく先を急いでいて、この旧道は通過してしまっていた。3度目にしてやっとの訪問、時間の余裕があるとこういうことが気軽にできるのだ。
虻峠の登り返しは標高855mまで。斜度もボリュームも道幅も路面の適度な枯れ具合も、まあ普通に地図で読んで想像した範囲内ぐらい。こうして旧道を通ると、洞川も紀伊半島の隠し里と同じく、他からは峠を越えてしか辿り着けない秘境だったのだと思う。
虻峠から下って、おもむろに元の道に合流したのは虻峠トンネル出口。標高差130mのつづら折れを一気に下り、谷底の拡がりに降りてゆく。杉の向こうに集落が現れ辺りが盆地状に拡がり、11:25、川井着。標高は620m。15年前の2009年から1時間遅れだ。吉野の出発遅れと吉野山参道での押しを自分に都合良く考慮すると、それでも40分ぐらい遅れている。でも遅れに関しては、もうどうでもいい。今日は時間の余裕を使ってのんびりできるところでのんびりするのだ。
交差点に商店が営業していて帰りに寄れそうなのを確認し、そのまま国道309、天ノ川の谷間に進んでゆく。天ノ川というと耳慣れないが、熊野川の本流上流部である。
川井の谷底盆地は急に狭まり、辺りは一気に山深いとしか言えない雰囲気が漂い始める。2009年にとても印象だった展開は、今回もその通りだった。しかし谷間を遡り始めてすぐに北角でソフトの看板が出ているカフェが登場、これ幸いと1本頂いておいた。お話し好きなおばさんが営業されていて、洞川の食堂や新規オープンしたばかりの温泉施設等、今日の宿周辺の情報を仕入れておく。
「みたらし渓谷」と看板に書かれているこの谷閧フ風景は、やはり記憶以上に山深い。そして渓谷の風景がいちいち絵になって仕方無い。切り立った山に挟まれた渓谷であるというだけなのだが、ごつごつの岩間の川面、その見晴らし。新緑の広葉樹の茂り具合と道の狭さ、枯れ具合。正面に聳え立つ山。そしてアメゴ(らしき魚)がすいすい泳ぐものすごい透明度の水。全てが申し分無い。
基本的に同じ要素の、似たような風景が続いているのに、どこで立ち止まっても絵になる風景に写真を撮り撮り、少し走っては停まり少しづつ脚を進めてゆく。今日、ここで目一杯、何の制限も無く時間を取るような計画にして本当に良かったと思う。とともに、15年前訪れた時、この風景に驚き、脚を停めたいのに先の道程が長いために随分我慢して悔しかったこと、次回の訪問ではここでたっぷり時間を取る計画にする必要があると考えていたことを思い出した。風景は憶えていて再訪の必要があるとは思っていても、そのことは忘れてしまっていて現地でやっと思い出せたのだ。
と思いながら、少しづつ少しづつ脚を進めてゆく。谷閧フ風景が変わる川迫ダムから先、今回もダム湖は石だらけでほとんど川原の状態だ。川の部分の水はここまでと同じく、川の水じゃなくてガラスかアクリル樹脂かというぐらいに透明度が高い。道が川原を望む場所で少し脚を停め、おにぎりを食べることにする。
またもや思い出す。みたらし渓谷で心ゆくまでのんびり時間を取って、迫力の渓谷風景を満喫することこそ、2009年以来国道308でしたかったことじゃあなかったか。もし今日の行程が国道169と行者環トンネル経由だとしたら、国道308は通れるとしても、洞川15時、いや、16時着を目指しまた駆け足の行程になったしまっただろう。今、これだけのんびりと再訪したかった風景を楽しみながら、これから帰りに又同じ風景の中で過ごすことができる。今日はこの計画で本当に良かった。
川迫ダムでいったん拡がった谷間は上流部で再び狭くなり、周囲の雰囲気はますます山深く浮世離れしてゆく。もう少し遡れば十分かなと思っていた。この先神童子谷への林道分岐があり、その先国道309は行者還トンネルを目指してスパルタンに登ってゆく。風景についてはみたらい渓谷の方が印象が強く残っている。分岐の天ノ川を渡る橋は標高810m、川井からいつの間にか200m近く登ってきたことになる。行者環トンネルは標高1110mだから、その先もう300m。私の脚だと多分45分かもっとかかる。明日は野迫川村から高野龍神スカイラインを登る予定なので、この際面倒くささと脚の温存も兼ねて、ここで折り返すことにした。
13:00、神童子谷分岐着。古びたコンクリート橋は銘板が剥がれ、河川監視施設がただならぬ山深さを感じさせる。橋の上手方面は岩間の森の中へ、国道308がカーブして消えてゆく。何となくその先に脚を向ける必要はあるような気はするものの、こちらも大義名分を忘れちゃあいけない。写真を撮って、何より風景を心に焼き付けて、また来よう。
来た道を下ってゆく。上流部から再び川迫ダム湖、ダムの脇から一下りしてみたらい渓谷へ。だらだらではあってもここまで200m登ってきただけあり、脚を停めても面白いようにどんどん進み、周りの季節は早春から再び新緑に変わり、次第に車や釣り人が増えていった。
川井では、さっき確認した交差点のコンビニ風商店に立ち寄っておく。明日の行程上、ここでパンが買えると安心だと思っていたが、とりあえず前倒しで目の前に品物があるうちに、持ちやすそうで食べやすそうなパンを仕入れておく。出発前や昨日橿原神宮で仕入れておいた分と合わせ、明日朝から少なくとも15時ぐらいまでの補給食になるのだ。
13:50、川井発。つづら折れの140m、新道の虻峠トンネル、再び谷間を一登り。14:25、洞川着。新装オープンしたばかりとの洞川温泉センターバス発着所前の、これぐらい田舎の食堂っぽい雰囲気も今時珍しいぐらいの食堂で、うどんを戴き、時間つぶしみたいな一休みとする。
もう今日はこの後宿に向かうだけだ。明日の天気は上々だし、何の心配も無い。いや、高野龍神スカイラインで疲れ切って動けなくなってしまう心配はあるな。まあ、早めに出発してのんびり無理せず進めば大丈夫なはずだ。
15:00、チェックイン開始時刻と共にゲストハウス一休着。さすがは標高860m。ここ数日冷え込んでいるとのことで、宿の中は凍えるように寒かったものの、共用部のファンヒーターを点けて頂き部屋に暖気を入れ、その後風呂にゆっくり時間を掛けて入れて大変助かった。川合から登ってきて一休みした後、身体が冷えていたかもしれない。ただ、気を付けていたつもりの標高860mを、やはり甘く見ていたことも確かだ。過去の紀伊半島Tourで一番標高が高い宿は、確か400mちょっとだったはず。そもそもあの国道425白谷トンネルですら標高870m、洞川は同じぐらいの標高なのだ。
夕方は17:30から開けるという情報を仕入れておいた、宿から徒歩5分ぐらいの中華「彰武」へ、開店とほぼ同時に夕食へ。さっき立ち寄った川合では、ソフトクリームを仕入れたカフェのおばさんが「天川村唯一の中華料理店、普通にとても美味しいので大好き」と仰っていたので、味に全く心配は無かった。メニューの中から狙い定めて注文した硬焼きそばは、果たして塩味のとろみとしゃきっと中華料理のいい感じで炒めた野菜がとてもおいしい。2杯目には通常焼きそばを頂くことにした。こちらは麺がラーメンみたいなのが珍しい。両方ともとても美味しく、特に硬焼きは写真を眺めて味がつくづく思い出されるほど気に入った。
夕食を頂きながら、明日の天気を確認しておく。早朝から14時ぐらいまで降水確率は0〜10%の晴れ時々曇り、夕方に少し雲が出て、夜から明日はまた晴れるとのこと。何の問題も無く、野迫川村から高野龍神スカイラインへ脚を進めることができる。今のところあまり疲れている感じは無い。あまり欲張らずに粛々と脚を進めれば、全く問題無く楽しい1日になるだろう。高野龍神スカイラインの交通量がどの程度かはわからないが。とにかく今日はゆっくり休んで、明日も早起きしよう。
この間、私を含めてゲストハウス一休のお客さんが3組、結局全員ここに集結して夕食を摂っていたのが何だか可笑しい。まあとにかく、初めての洞川泊が何とかなって助かった。そして、明るい内に全部片が付いて良かったと、青い山陰の中に入ってやや涼しい田舎道をのんびり宿に向かいながら思った。
記 2024/6/6
紀伊半島Tour24#5 2024/5/3(金)洞川→龍神寺野 洞川→川合→阪本→上垣内→北股→龍神寺野 89km昨日の到着時、身体が冷えていたのかかなり寒かったものの、夜は宿が準備してくれた薄めの布団2枚で十分に暖かく過ごせた。しかし、さすがに標高860m。朝はかなり冷え込んでいた。5:30に外に出てはみても、十津川村阪本までしばらく続く下りでは、レインジャケット上下でも厳しそうだ。あとはこの後の気温上昇に全てを掛けるしか無い。
しかし、6:30頃には意外に気温が上がっていた。これなら何とか出発できそうだ。天気は全く申し分無い晴れだし、天気予報ではこの後気温が上がるお昼以降、晴れ時々曇りぐらいになるとのこと。夕食の中華と19時就寝が効いているのか、昨日の疲れもほぼ消えている。計画時にはもし雨の場合、今日の宿の龍神まで、必要な場合の輪行経路があまりすっきりしないのを心配していた。しかしこれなら野迫川村から高野龍神スカイラインへ脚を向けるのに何の問題も無い。
昨夜の夕食は外食だったものの、朝食をいただいて出発できるのは有り難い。普通、宿の朝食では私が朝食後一番早く出発するのだが、他の2組の皆さんが私より早くどこかへ出発していったのにはちょっと驚かされた。洞川温泉に泊まるぐらいの方は、それなりに攻めた旅をされているのかもしれない。
7:00、洞川ゲストハウス一休発。谷間に朝の日差しが射し始めている。朝日で明るい青空と、陽差しの当たった新緑と青い山影が、いかにも5月の朝のうきうきした気分にさせてくれる。
上機嫌で町並みを抜け、昨日2度通った県道21をそそくさと下ってしまう。日陰の下りはまだ肌寒さが感じられる。
7:20、川合着。そのまま、昨日向かったみたらい渓谷方面と反対側、県道53で天ノ川下流の阪本方面へ。
この道は2003年に訪れた時に、くねくね狭い谷間とともに少しづつ延々と下ってゆく天ノ川と、点在する集落の生活感溢れる風景に魅せられていた。その時は、風景を眺めたくても例によってその先の行程に全く余裕が無く、泣く泣く急いで通り過ぎてしまっていた。そして、数枚の写真以外、記憶というより印象の表面しか憶えていない。だから再訪は長年の課題だった。それがこれまでできなかったのは、天川村がそこを目的地にしないと行きにくい場所であるからだ。
十津川村の阪本まで、県道55で約20km、下り150m。途中には登りらしい登り返しが全く無い。自転車で何も考えずにひたすらのんびり身を任せられる僅かな下りと共に、天ノ川と谷間が時々少し拡がったり狭くなったりして延々と続いてゆく。清らかとしか言えない透明度の川面とやはり生活感溢れる集落、そして河岸の森が、切り立つ谷間に輝くような新緑で彩られている。それは、もう一度身を置きたかった風景そのものだと思えた。さすがに19年経つと県道55の拡幅は進んでいるようだ。でも基本的に、慌ただしかったり埃っぽいような道じゃないし、谷閧フ風景に違和感は無い。
良い道だ。この風景を今朝みたいな青空じゃなく、雨一歩手前の薄暗い空の下で眺めたら、印象が多少違うのかもしれないとは思う。まあでも天下の熊野川の最上流部。またいつか訪れたい道である。
何も考えずに下っていたので、地形図も見ていなかった。だいぶ下って来て、阪本まで14kmと言う表示が道端に現れた。え、まだこんなとこなの、嘘だろうと思ったものの、地形図で現在位置を特定するとどうも本当っぽい。確かにのんびり、景色に脚を停め停め進んではいる。時計を見ると、もう8時。
少し地形図を意識しながら下ってゆくと、下りだというのにおそろしくペースが出ていないことに気が付いた。他人事の様に言っているが、やっと前回2003年に同じようなことを考えて焦っていたことを、次第に思い出してきた。この区間、細道とカーブのため、とにかく時間が掛かるのだ。
とはいえ予定を変えて回り道をしている訳じゃない。コース全体として辻褄は合っているはず。ここで距離があるなら後で距離が短いということ、焦って新緑の渓谷を見逃すようなことは避けたい。
その後も天ノ川の谷間は、途中その空間構成・要素・雰囲気が大きく変わるようなことは無かった。渓谷、または民家が続く集落や畑、そして森が次々入れ替わって現れる。あまり地形図での位置を気にすると全然進んでない気になるので、時々地形図を意識した。
やや古びた鉄骨トラス橋と、その手前にコンクリート製の天川村案内図が登場。看板は比較的新しい物と思われるものの、鉄骨トラス橋と天ノ川の表情は何となく憶えている。ここが十津川村と天川村の境界だ。やっと十津川村だ。しかし十津川村も天川村も奈良県であり、未だ奈良県から出ていないとも言える。
もう少しだけ県道53は、切り立つ山裾の渓谷に細道のまま続いた。唐突に森が開け、その向こうの明るい谷に掛かる大きな橋新しい橋と、その上を行き交う車が見え始めた。いつの間にか天ノ川の水面は拡がり、たぷんたぷんのダム湖みたいになっている。谷間の風景は一変していた。
8:40、阪本着。やっと国道168に合流したのだった。
広い水辺の狭い岸に建物が立ち並ぶ阪本の町を抜け、さっき見えた橋の下をくぐり、道はダム湖周囲を舐めるように続く。こちらも基本的に道なりのままGPSトラック通り、道の合流と分岐を地形図で確認すべきかもしれないとは思いつつも、GPSトラックと実際の道に何か問題があるような違いは無さそうだ。
湖岸に続く道には車がほとんど来なくて、大変静かだ。湖の向こうには日なたの中に切り立つ山々、新緑の森、見上げる集落。これが十津川街道という言葉の延長線にある風景と雰囲気なのだと、具体的に何が十津川街道なのか全く知らない私でもそう思わせられる。山腹の森には、山中を通ってきた国道168が湖岸近くへ一気に高度を下げている様子も伺える。車の姿とともに、国道168をまともに経由するような計画じゃなくて良かったと思う。まあでも、坂だけで言えばこれから野迫川村、高野龍神スカイラインがまだ待ち構えている。
そしてすぐに、野迫川村への分岐が白いトラス橋とともに登場した。ここから国道168と別れて再び単独となる県道53で野迫川村へ。これから標高1000mまで登ってゆくのだ。
トラス橋のすぐ向こうから始まった杉の森を、県道53はきりきり登ってゆく。洞川を出てから初めての登り区間であるせいか、一気に落ちるペースにやや勝手が狂う。大丈夫、7〜8km/hは私の普通の登りペースだ。これなら高野龍神スカイラインまで問題無さそうだ。ただ、涼しい森の中ではあっても、9時前にしていつの間にか気温が意外に上がっていることに気付かされた。標高860mの洞川や610mの天川と比べると、もう標高400m台まで下っているんだから当たり前の話ではある。脚を停め、防寒で来ていたレインジャケットをしまい込み、洞川の宿でボトルに入れた美味しい水を一口。
ある程度登った山腹で辺りの森が切れ、急に谷間の風景が開けた。谷底より周囲の山々を見回す、いかにも山まっただ中の風景だ。まだ標高600mちょっとだというのに。
野迫川村に入り、道はいったん谷間の集落へ降りてから、谷底で里の道を再びじりじり高度を上げてゆく。熊野川の谷から村への主要道、県道53が一度登りを経て里に下りるという点は、野迫川村の大きな特徴だと思う。県道53だけじゃなくて他の谷間から野迫川村に行くには、一度必ず峠的な登り下りがあるのだ。ひとつだけ、熊野川の谷間から登りだけの林道があるものの、途中までやや枯れ気味のダートであり、しかもかなり大回りで野迫川村の中心部に到達する道なのだ。2005年、私は通行止めをくぐってこの道に入った挙げ句、途中の崩落箇所で危機一髪な目に合った。今通っているこの県道53の、十津川手前の登り返しを避けてそちらに向かったというのがその道に向かった理由だったことを、感慨深く思い出される。あんなにアブナイ目に合うんだったら、おとなしくこちらに向かうんだった。というぐらいに、野迫川村に入ってからの県道53は長閑で落ちつく親しみやすい表情の道だし、さっきの登りだって大したものじゃない。
そういう山深い地だけあり、気が付くと辺りの季節が逆行している。農家の木や庭先の花が春先っぽい。もう標高600m台後半、天川村の川井より高い場所にいるのだ。
ストリートビューで確認していた通りの高野山方面への分岐を過ぎ、稜線まで本格的に登りが始まった。まあ当然の如く斜度は谷底の里よりぐっと厳しく、8〜9%ぐらいで山腹をぐいぐい登ってゆく。すっかり陽は高く登り、噴き出る汗を掌で拭う。見晴らしの良い場所では大変都合良くありがたく脚を停めることにする。
稜線で高野山からの県道52と合流、ここは2007年に高野山から登ってきた道だ。合流したばかりの県道52は、少し先から北股川の谷間、村役場方面へ下ってゆく。そのまま進むと下流方面で、熊野川へ下る件の林道を見送り、高野龍神スカイラインへ約300m登り返す。大変野迫川村らしい道である。2007年、この辺で県道53への分岐を過ぎちゃったなー、じゃあ林道行きますかとか暢気に思いながら下っていたと思う。
今回は役場まで下らず、上垣内の信号で再び稜線の高野龍神スカイラインへ向かう。さすがは標高850m、最後の桜が登り始めから迎えてくれた。最初は葉桜気味の八重、道を登ってゆくうちに最後の山桜も現れ、周囲の新緑の茂り具合とともに改めて野迫川村の山深さを感じさせられた。
斜度は平均7%ではあるものの、250m登りなのでボリュームはそこそこある。そしてやはり途中から時々、道の外に紀伊山地が拡がった。抜群の眺めにまたもや脚が停まる、いや、脚を停める口実になる。もう11時過ぎ、気温もそこそこ上がっている。
稜線に取り付いてからもしばし登りは続いた。11:40、高野龍神スカイラインこと国道371に合流。標高1100m。スカイラインなどと名前の付いた国道、しかも連休。この道で3〜4時間、交通量に息を停めることになるんじゃないかと心配していた。幸い、合流点を眺めている分には交通量は多くはなさそうだ。
時間としては希望到着時刻よりは大分遅れている。10時までに着ければ、何の心配も無く行程をこなせると思っていたのだ。10時着は目論見として大雑把すぎたかもしれないとは思う。まあ、今日の宿には18時までに着ければいい。そこからの逆算だと腐るほど時間はあるとは思う。やっとこれからアップダウンの本番なのだ。気持ちから参っちゃわないように、気楽に行きましょう。
高野龍神スカイラインは、基本的に稜線かその付近の森を登ったり下ったりくねくねと、概略では南下してゆく。一回900mまで、豪快に200m下ってからの登り返しは9%基調。しかし登った後には、計画時に想像していたボリュームの軽い方通りに下りが現れてくれた。その後も9%よりは多少緩めで200mほどじゃない登り返しの度、同じぐらい下り、その度に登りでちっとも進まなかった行程が、え、ここまで来てるのかという程度に取り返せた。
途中には全く水場が無いことを覚悟していた。しかし、全く期待していなかった場所に1箇所、野迫川村観光案内所の売店が現れてくれた。何とソフトが食べられるので、大変有り難く頂いておくことにした。これが野迫川村の施設という所がいい。野迫川村、わかってるね。
交通量は皆無ではなく車・バイクとも通ってはいたものの、決して多いというような量じゃない。そして自転車は時々位には通っていて、ロード乗りが声を掛けてくれたりもした。大阪方面からだと、練習というより日帰りツーリング的に訪れる道なのかもしれない。
そしてさすが紀伊半島最高所の国道、時々東側にも西側にも道の外に眺めが拡がった。谷間から周囲の山脈、幾重にも重なって彼方へ消えてゆく緑の山々。つくづくため息が出る。その多くの場所では、谷底が森に隠れて見えない。紀伊半島名物谷底の見えない谷間だ、と思った。谷閧フ濃い緑を眺めると、標高1000mを越えている自分の周囲では下界に比べて季節が早いことも改めて感じさせられた。
稜線から稜線へと渡ってゆく場所では、両側に眺めが開けた。谷間に集落や民家を見下ろし、いつかあの辺に訪れて泊まる日が自分に訪れるだろうかなどと思う。こういうことが楽しめるのも、車が少ないからだとも思う。時々、轟音で通り過ぎるバイクがいて、そいつだけは怖ろしい。
そしていつの間にか、目論見より居場所が大幅に進んでいたのは嬉しいことだった。最高地点の護摩壇山スカイタワー到着は、想定の範囲としては最早でも14時。15時に着ければ上々の上だと思っていた。しかしこの分だと、13時台に着いてしまいそうな気がする。脚が好調というより、どんぶり勘定で立てた緩め行程のお陰だろう。これならさっき野迫川村で役場方面に下ってしまい、谷底の道をよりたっぷり味わっても良かったかもしれない。いやいや、調子に乗りすぎるのは止めておこう。野迫川村を甘く見ちゃいけない。実際、こういう選択で何度も痛い目を見ている。
摩壇山スカイタワーまで最後の登り返しが200m。再び9%の表示が出た。200mぐらいすぐだと嬉しいなと思っていたら、現実にはやはり長く、やや厳しくスパルタンな登りだ。ここまでより高く登っているだけあり、間近の稜線とどこまでも落ち込む谷間を見渡し見下ろしてゆくその眺めに、道の豪快さがつくづく感じられる。
護摩壇山スカイタワーはすぐ手前に来ないと見えないようだ。地形図と目の前の道の線形を見比べそろそろかなと思いつつ、早春の趣漂う木立の先、突如スカイタワーが意外な近さで現れたときは嬉しかった。
「着いたー」とつぶやきつつ、13:45、道の駅護摩壇山スカイタワー着。標高1265m。想定範囲最早の14時より15分も早い。この先標高460mの宿まで20km、ほぼ800m下りだけ、今日の行程が一気に楽になった。いやいや、20kmの下りにはあまり気を抜いちゃあいけない。
事前調査通り、道の駅に軽食は無いものの、フロントバッグに一杯準備しておいた補給食がまだ一杯残っている。ソフトだけがつがつ頂き、さあ出発だ。と思ったところで、スカイタワーに登り忘れていることに気が付いた。まあそのぐらい、いつも先行きの行程の方が気になっているのが自分で可笑しい。
スカイタワーは、駐車場からは道の駅のすぐ裏手に見え、ちょっとだけ離れているようにも見える。どこから登るのかがよくわからない。スカイタワーの下と思われるあたりの先まで、自転車で国道371を進んでみると、やはり振り返る一にスカイタワーがあることが判った。しかし駐車場に戻ってぐるっと回っても、それっぽい看板は見当たらない。少し不思議だ。
スマホで調べ直すと、道の駅の売店奥から直接入ることがわかった。カウンターの向こう側からあまりに直接入るので、ソフトを買うときにゲートが目に入ってなかったのだ。
エレベーターで登ったスカイタワーの展望は、やはり圧巻だ。天気予報通りに空は曇り始めているものの、ここまでのどこの高野龍神スカイラインからの展望を越え、紀伊山地がどこまでも圧倒的に拡がっている。この先向かう方向に、スカイラインらしき道も見える。稜線を越えて向こうへ出るその手前は、少し登り返しているようにも見える。そんなはずはとも思うものの、これだけ稜線に続いた道にもうちょっと登り返しがあっても、別に不思議じゃないような気もする。まあ、向こうの稜線を乗りこえた先は、宿まで7〜800mほぼ下る一方のはずだ。
14:00、道の駅護摩壇山スカイタワー発。
さっき眺めた稜線までの登り返しの後、おもむろに山腹区間の下りが始まった。この下りが凄い。基本的には安定した道と急な下りが森の中に続く。落ちついた幅の道、ガードレールの中ではあっても、ところどころで道の外が落ち込んで森が切れ、空と谷が開ける。すぐ外の上下と奥に拡がる大空間への高所恐怖で腰の後ろが少しざわつくような感覚を覚え、見上げる山の上に、さっき下ってきた道が見えてここを登る計画は今後避けようと思う。その大空間も廻りも切り立つ急斜面も、盛々と生い茂る新緑の森に埋め尽くされている。怖ろしさと感動が自分の中でぶつかって混乱しそうだ。そして怖いのは確かなので、一刻も早く下りきってしまいたい。
やっと谷間に降りると、上の方から見通した通りに、進んでも進んでも濃厚な森が延々と続く。相変わらずここも斜度は急だ。下りに任せて勢いよく何処までも下ってゆくと、時々小さな登り返しが現れた。プロフィールマップの800m下りで、これぐらいは見落とすのだろうと他人事の様に思う。
下ると共に、谷底の渓流はごつごつ大きな岩がごろごろ転がる渓谷へ、次第に拡がっていった。水は紀伊半島の他の川同様こよなく清らかで透明度が凄い。釣り人も多い。なかなか素敵な川だと思った。名前を地形図で見ると、日高川。2018年最終日に1日かけてのんびり下った川の上流部なのだ。なるほど、上流部でこれだけキレイ川なら、日高川が美しかったわけだ。
標高400m台になってもなかなか宿は現れなかったものの、そのうち川を渡るのに谷底まで下って登り返しなどという箇所まで現れるに至り、やっと宿の看板が現れた。
15:40、龍神寺尾「季楽里龍神」着。護摩壇山スカイタワーでは想定範囲最早とか思っていたものの、着いてみるとそこそこ順当な時間にはなるものだ。
サイクリング中の宿としてはやや高めの温泉宿だ。しかし高いと言っても明日のかんぽの宿ほどじゃない。それにフロントには「サイクリストに優しい宿」との札が掲げられている。軒下に一晩自転車を置かせていただくようお願いすると、何と連休には使わない会議室に自転車を入れてくださった。これは確かに優しい。
日帰り温浴施設としても営業している温泉は日高川の渓谷に面していて、お風呂に入りながらカジカの声がよく聞こえる。いい温泉だ。
風呂も洗濯も無事終了し、夕食はバイキング。品物豊富でその全てがとても美味しい。またもやいい宿だと思った。まあ明日の宿だけじゃなくここも宿泊料金が高いんだが。もうこのご時世、宿が高いのは仕方ないのかもしれない。
記 2024/6/8
紀伊半島Tour24#6 2024/5/4(土)龍神寺野→日置 龍神寺野→龍神村東→殿原→中辺路町川合→中辺路町栗栖川→平瀬→日置 109kmホテルの朝はなかなか明るくならない。と思っていたら、窓から外を見上げると空は時間なりに光で一杯だ。渓谷の山が切り立って、谷間になかなか陽が差さないのだ。
6時前から荷造りを開始、屋内に泊めて頂いていた自転車を外に出すとけっこう寒い。とはいえ標高860mだった昨日より、当然の如くましだ。今朝も出発段階では何とかなるだろう。
7:25、龍神寺井「季楽里龍神」発。今朝も雨具を着込めば、日陰の下りでも何とかなりそうだ。時々登り返しもあるようだし。
昨日に引き続き、日高川沿いに国道371を下ってゆく。国道371では、所々で時々分岐する旧道っぽい細道を選び、GPSトラックを描いている。出発して「道の駅龍神」を過ぎ、早くもトンネルへ向かう国道371から旧道っぽい細道へ分岐。すぐに龍神温泉の町並みが現れた。看板によると日本3大美人の湯とのこと、その実態もこぢんまりと素朴ながら名湯の趣漂う温泉街だ。
以前お世話になった宿が温泉街の下手にある。計画段階では閉館しているとのことだったこの宿、やはり閉まっているようだが、建物自体には人が住んでいない訳でもなさそうだった。親切な女将さんと元気で人なつこいお子さんはどうしてるだろうか。生活感が漂う窓の中を眺め、出発時にいただいた美味しいおにぎりを思い出す。
少し下ったところで、GPSトラックの寄り道が日高川に掛かる吊り橋を渡るようになっていた。我ながら興味本位で計画しているなあと思いつつ、脚を向けてみた。果たして杉の森の中とんでもない斜度の坂と、山道未満のダートが出現し、早々に自転車を押しながら、あまりこういう道には踏み込まない方がいいと思った。しかしそのお陰で、寄り道区間の後半では、畑の裏手から集落の素敵な道に入り込む事ができたのも確かではある。
国道371に戻ると、曲がりくねる道の向きによっては、路上に光が射す位に陽差しが高く昇っているのだった。
何となく気を良くして入り込んだ次の細道も、国道のカーブを畑の中でショートカットする道だと思っていたら、やはり坂を登り始めた。やはり等と思っているぐらいなので、坂ぐらいは現れるとは思っているのだ。しかしそういう坂に限って、地図の集落ハッチングで等高線がうやむやになっている。結局脚を着く頃には後の祭り。脚を着いて辺りを見渡し、仕方無いので良い眺めだと思ってみたりする。まあ実際、国道を通っていると体験できない空間ではある。
しかし坂が待ち構えているばかりじゃなく、国道が丘を貫きショートカットするような場所では、ひたすら川添いに集落の庭先を縫うような細道もあった。木陰で少し脚を停め、日高川など眺めながら現在位置を地図とGPS画面で確認したりするのが楽しい。
国道371そのものでも、時々道から直接日高川の眺めが拡がり、その度に脚を停める。以前は龍神温泉下手の国道425分岐から役場がある西まで20kmぐらいを、「40分。200m下りだから行ける!」などと無理矢理一気に下ってしまっていた。毎度の如く行程に余裕が無く、というより紀伊田辺まで行かなければいけないのに、この辺で日暮れが近づいていたのだ。その時は泡を食っていたものの、濃厚な緑の山々に清らかとしか言いようが無い日高川、美しく人なつこい集落が魅力的だということも感じてはいて、この道をもっとじっくり味わいたかったと、ずっと残念に思っていたのだ。
国道から日高川の対岸に渡り、8:50、龍神村東着。引き続き国道371で次は丹生ノ川の谷間に移り、標高差300m程度の一山を越える。途中国道371が無駄に小山を登って下る箇所がある(ように思えた)ため、丹生ノ川沿いの県道735を経由。本日の上り一発目を前に、静かな新緑の渓谷に脚を停めておく。
殿原の宮前大橋で対岸に渡った国道371は、集落の外れから谷間へと進み、途中からおもむろに山中を離陸し、高度を上げてゆく。山と森に新道がぐいぐい切り込み、大きなカーブで谷間を一気に越える橋が次々現れる。豪快な線形の凄い道だ。すぐに山間に、くねくねのたうち回る丹生ノ川の谷間と、引牛越へ向かってゆく県道735が見下ろせるようになる。廻りの濃厚な森に覆われた山々とともに、壮観な眺めだ。そして、広い道が登ってゆくのが見通せるため視覚的にキビシイのとともに、一気に暑さが感じられ始めた。龍神村東まで、朝から2時間以上ずっと下り基調だったのが、この時間になって本格的な登りとなり、しかも木陰の無い開けた路上をとぼとぼ登っているからだ。まあ暑いとは言え、夏に比べると涼しいとも思う。
こういう道なのに、車はほとんどやってこない。橋の上では深い谷の眺めが拡がるなど、脚を停める口実が多いのがまたホスピタリティ一杯だ。山中、というより空中みたいに辺りの地形とはあまり関係無いような線形で、国道371はトンネルまで高度を上げていった。
トンネルを抜けると、再び空中に放り出されたように、山腹を谷底へまっしぐらに下ってゆく道が始まった。支流の小さい谷間は大きな橋でばんばん飛び越えてゆく。道そのものの表情や道路設備などが多少落ちついて枯れた表情なのは、建設時期が古いせいかもしれない。大きな谷間に見渡す新緑、濃い緑の山々。青空には5月の光が一杯だ。
下る途中の栗垣内で昭和30年代っぽい鉄骨トラス橋を渡った道は急に細くなり、桑垣内へ農家の庭先や畑の畦道みたいな道が続いたのには驚かされた。その後はまた拡幅区間になったりしたのが面白い。途中、昨日通った龍神和歌山スカイライン、そのなれの果ての日高川流域区間、この新道山越えや次の紀伊半島細道国道区間、極めつけでもう少し東に山道区間等々。国道371は実に多彩な道だ。多彩というよりは、いろいろな道のつぎはぎみたいだとも思う。
下りが落ちつき、森が切れて現れた集落には、休耕田や太陽光発電が目立つ。もう少し先の田圃には田植えが始まっていた。再び辺りは森に変わって下りが勢いよくなって、まだしばらく下り続けた。
10:35、中辺路町川合でやっと国道311に合流。何日か前、前半の熊野灘を臨む静かな絶景細道だった国道311が、中辺路から田辺に向かう幹線国道として再登場だ。車が見違えるように、というより目を覆わんばかりにびゅんびゅん行き交っている。かつて通った記憶よりも圧倒的に車が多いような気がするのは、ここまで細道ばかり通っているからだけじゃなく、実際に今年のGWの人出が多いのかもしれない等と思う。とにかく、ごく普通の幹線国道なのである。
一旦国道311を遡り始めて引き返し、富田川対岸を並行する旧道っぽい細道へ脚を向けてみた。どうせ1kmちょっとぐらいでまた国道311へ戻るのだが、悪あがきのつもりだった。
岸壁に貼り付いた細道では、森の中ひんやり木漏れ日がきらきら、サナエトンボやカワトンボや大型アゲハがひらひらと、素敵な路上空間が10分ぐらい、登りと共に続いた。登りは仕方無い。どうせあっちへ行っても同じぐらい登るのだ。しかし再び国道311に合流し、GPS画面にトラックが無いことに気が付いた。そういえば、進むべき道はこっち方面じゃなくて、少し下ってから国道371の未済区間に進むんだったことに気が付いた。
折り返して逆方向に国道311を下り、栗栖川の南で国道311と分岐して再び単独路線となる国道371へ。分岐の熊野古道館が目に入った。どうやら軽食できる施設のようだ。こちらとしては、昨日の高野龍神スカイライン対策として橿原神宮でも仕入れておいたパンやらケーキがまだあって、今日の補給食は心配無さそうだし、そういうのを道中ちょこちょこ食べてもいる。そもそも美味しい朝食をお腹いっぱい食べて出発しているので、要するに何か緊急にどこかで食事したいほど腹は減っていない。というより、今は食事より脚を進めたい気の方が勝っている。お昼前ではあっても食事の時じゃないのだ。合川で何か買えれば買えばいい。まあ過去の印象から、合川で何かを買えるとは思っちゃあいない。
熊野古道館ではWCだけ借りてちょっとだけ身体と気分を軽くし、分岐から国道371で谷底を遡ってゆく。最初幅広の新道だった道は、事前調査どおりに細道に変わった。国道371はこの区間では、そう高くない山間に狭い谷間の森を遡って下る、やはり日高川沿いや中辺路町川合までの豪快新道とは全く違う表情の道だ。もっと言えば、紀伊半島山中の細道国道そのものである。中央の峠には地蔵峠などという名前も付いていて、森の木漏れ日と渓谷の合間には親しみやすく人の手が感じられるような小さな集落がいくつか現れる。
計画段階では、未済経路ではあっても国道のこちらに脚を向けるかどうかを迷っていた。4度目の訪問ではあるものの、いい印象で好ましい林道系県道の県道217が手堅い選択肢だったのだ。その印象が残っていて、さっき中辺路町川合から逆方面に向かってしまったのだった。しかしこの国道371地蔵峠区間、なかなかいい。
地蔵峠手前の登りは山中なのに比較的直線基調で、山の背中をするっと越えてゆく。この手の道にしちゃ木陰はあって、平和で静かな峠である。
向こう側もやはり狭い谷間へ下ってゆき、谷底では渓谷沿いの森にしばし下りが続く。この道を今まで避けていたのは、この先日置川の谷間が拡がる県道217の平瀬付近で、合流してきた国道371に何台か車が続いて通っていたために、交通量の多い拡幅新道だと思い込んだためだ。今日国道371を通り、この区間のこの道にはそういう事は全く無く、ほぼ交通量極小の細道国道であることがよくわかった。
大内川で森が切れて集落に入っても、民家、田圃の間を細道が抜けてゆく。その先でも森の中に細道が続いていった。平瀬では確か拡幅済みの新道だったので、どこかで道が拡がるだろうと思っていた。しかしいつまで経っても道は細道のままだし車は殆ど来ない。結局平瀬の合流点手前でやっと、記憶どおりというより記憶の範囲で一番狭いぐらいに道の表情が変わっただけだった。国道371地蔵峠区間、思いがけずいい道だった。
12:30、平瀬着。この辺りとしては比較的まとまった山間の平地に田圃、畑が拡がり、商店は無いものの郵便局がある。山間に拡がる、のんびりと静かな里である。
ここでやっと日置川に合流できた。今日はこのまま日置川沿いに海岸の日置まで下ってゆく。日置川はこの4日間、最大の目的地のひとつである。日置川の谷間は何度か部分的に通ったことがある。その度に、のんびり静かな谷間と川そのものの清らかな表情にずっと魅かれていた。今回海辺のかんぽの宿を投入し、日置川を今日の終着地とすることにより、やっと本格的に下流部まで下ることができるのだ。
平瀬から先、やや幅広の日置川から切り立つ谷間の道が続いた。川原からやや高い場所に道は通っていて、森の合間のところどころの平地に畑や集落が現れた。
平瀬で拡がった谷間は、少し下ると切り立つ渓谷となり、平瀬で広い道だった県道217も山間の細道に変わった。そして合川までの後半、日置川はダム湖に変わった。全体的に下流に向かっているはずではあっても、山腹に続く次々現れる登り下りは斜度が厳しい。狭い谷間の急斜面で地形図では等高線がややうやむや気味に読みにくく、都合の良い解釈と通常より厳しめの実際の道の狭間で、なかなか脚を進めた気分にならない道である。こういう印象は、初めて通った2002年から変わらない。
13:10、合川着。標高160m。ここで国道371は支流の前ノ川の谷間へと再び登ってゆく。そして途中で山道区間となり、その山道区間は舗装道路として林道木守平井線が代わりに通っている。もう林道木守平井線を国道指定すればいいじゃんと以前から思っているが、大人の事情があるのかもしれないとも思う。いち訪問者の妄想とは別に、日置川沿いの海岸への道は県道37となる。
国道371は細道のまま、合川でダム湖に掛かる合川大橋を対岸へ渡ってゆく。合川大橋の「大型車は1台しか通れません」という看板が、初訪問時から印象的だ。同じく細道の県道37が、ダム堤体脇から合川へ下ってきて合流している。対向車をどこかでやり過ごしてまとめてやって来た車が、やはりまとめて合川大橋を渡ってゆくのがまた象徴的だ。
あてにはしていなかったものの、交差点には数軒の民家以外何も無い。ここで何も無ければ、多分今日終着の日置まで、めぼしい商店は多分無い。しかし補給食の備蓄は未だ十分だし、この先もう、河岸の登り下り以外に峠的登りは無い(実はちょっとだけあった)。このまま脚を進めて何も問題は無い。もうひたすらのんびり、日置川の風景を味わって、海岸へ向かえばいい。日置川の風景に魅かれてからずっとこういう訪問をしたかった。
そういうチャンスを前に、天気は絶好調の晴天である。
合川の交差点を過ぎ、県道37へ進む。再び森の細道が始まった。
合川ダムまでは、ほとんど登らないという逆方面からの記憶をちょっとだけ超えるぐらいの20m登り。そこから記憶を大幅に上回る斜度と規模の90m激下り。ブレーキを目一杯かけてハンドルを押さえ込み、こんなの絶対登りたくないと思う。しかし2006年のツーレポには、いつものボリューム目論見違いで散々遅れた挙げ句、「やっと合川ダムに来た」と思ってこんな坂の登りが嬉しかったようなことを書いている。もうああいう行程は組まないようにしようと、心から思う。
河岸へ降りた県道37は、中流域の日置川とともに、新緑もりもりの急斜面が切り立つ谷底に続く。河岸の森に続く路上には緑色の木漏れ日が道にきらきら斑を作り、杉の木立の向こうに青い川面がきらきら光っている。時々森が開け、川面が拡がったり、小さな集落が現れる。見渡す川原には、ごつごつ大きな石が荒々しい。透き通る川面と対照的だ。日置川の道は記憶通り、光と瑞々しさに満ちているのであった。今日も午後になって、ここに来れて良かった、今日のコースで良かったという気になれている。
途中で富田川沿いの鮎川から一山越えてきた県道221と合流し、県道37・221は対岸へ渡る。
峠ではないものの、憶えていた登り返しは早々に現れた。それが紀伊田辺方面からの県道36の分岐であることは憶えていた。そして登り返しの最高地点は、やや枯れた雰囲気の県道36分岐ではなく、もう少し手前の山肌の峰へ登って下った場所であり、県道36・37となった道は、その先再び日置川の川原際まで支流沿いの森の中へ下ってゆくのだった。
銀色のがっしりした鉄骨トラスが印象的な宇津木橋を渡ると、明日通る予定の小附方面へ県道36が分岐してゆく。ここから海岸の日置まで、再び単独となった県道37は初めて通る道だ。明日の朝、もう一度日置から通ってくる道でもある。
日置川の川幅と谷間はこの辺から幅がゆったりと悠然と拡がり始める。川幅の拡がり以上に、周囲は両岸に切り立つ山肌が迫る渓谷から、山に挟まれた平地に畑や集落が拡がる下流域の雰囲気に変わってゆく。この期に及んで峰越の登り返しが2回も現れた。そして1つは100mを越える規模なのを、事前の計画で完全に見落としていた。しかし少し高い位置から見下ろす対岸やこちら側の岸辺には、居心地良さそうなキャンプ場が散在し、多くのワゴン車が停まっていた。家族連れの子供が川で遊んでいて、子供にとって最高に楽しいだろうなと微笑ましい。
河岸の道幅は拡がっても、日置川の流れ、流域の風景は、こよなく清らかで美しく堂々としている。渓流の険しさが薄れ、ゆったり穏やかで人懐こい里の雰囲気なのに、ますますきりっと素敵な川だ。こういう川は初めて出会うように思う。いや、同じく和歌山南部の古座川が、こういう表情だったかもしれない。
日置の町に近づき、特徴的な紀勢本線のアンダーパスと紀伊日置駅を過ぎ、海岸の雰囲気漂う日置の町へ進んでゆく。商店っぽい建物があったと思ったら、スーパーのオークワだ。どこかコンビニに寄って調達しようと思っていた、明日早朝の食料と夕食までの間食を、ここで調達することができた。
15:45、オークワ日置店発。釣り人が竿を振る河口の港をぐるっと回り込み、海岸へ。河口までのんびりと、しかし寂れていない不思議な雰囲気の、見事な日置川の風景だった。
岬部分を回り込んで現れたのは、日置海岸の白い砂浜だ。ぐるっと弧を描く浜沿いに、自転車道が続いている。最後の最後で、そろそろ夕方が近づく海岸の風景を眺めることができた。
16:20、リヴァージュ・スパひきがわ着。私と自転車ツーリングの宿としては過去最高を更新する宿泊料金、さすがはかんぽの宿だ。それだけあって、太平洋と海岸の千丈敷を真っ正面に臨む(1階屋根防水層の眺めを挟むが)部屋、温泉とも設備に何か不足を感じる余地は全く無い。18時からの夕食も、会席コースで大変ゴージャス、お腹いっぱい大満足。太平洋を暗くなるまで眺めること無く、まだ明るい19時過ぎに寝てしまった。
この宿、6月から宿泊営業を止め、日帰り入浴専門の温浴施設になるとのこと。何はともあれ、泊まれて良かった。
記 2024/6/8
紀伊半島Tour24#7 2024/5/5(日)日置→古座 日置→宇津木→小河内→下防己→獅子目→コカシ峠→田野野→古座 76km今日は古座に向かう。でも、帰りの切符はもう少し先の太地から押さえてある。計画段階では、太地へ行ければ行こうと思っていたのだ。途中には山中谷底系の細道がうじゃうじゃある。昨日標高差を抑えた計画だったためか、あまり深刻に疲れてはいないものの、古座で行程終了だと楽なので嬉しいな、という気持ちはある。何にしても、今日もほぼ全区間、再訪する道だ。以前泡を食って通過したせいで、今日再訪するんだから、行程を焦って通り過ぎることだけは避けたい。積み上げでかかった時間なりに終着地を決めればいい。
宿の朝食は8時からなので、朝食はお願いせず、昨日カップ麺とパック野菜を買い込んである。しかし、歳のせいで年々早朝の食事が厳しくなっている。いろいろとささっと半分無理矢理腹に流し込み、5時半過ぎ、おもむろに荷積みを始めるとする。
外に出ると朝日が眩しい。辺りはきりっと冷えているものの、この3日間かけて海岸沿いまで降りてきて、やっとこれならポロシャツで過ごせる気温だ。
6:00、日置リヴァージュ・スパひきがわ発。海岸の自転車道から朝の海、赤みがかった青空を眺め、しばし立ち尽くす。GPS画面で狙い定めて国道42沿いのコンビニに立ち寄り、補給食のパンとバームクーヘンを仕入れ、缶コーヒーをいただいてからおもむろに県道37へ。
昨日通った日置川を遡ってゆく。相変わらずきりっと気品漂う下流域の景色は、昨日の夕陽と今朝の朝陽で、鉱泉の方向という以外に風景のニュアンスが少し変わっている。昨日路上で子供達が賑やかだった裏道も、今は静かに爽やかに朝を迎えている。6時台から7時台へ、川を遡ると共に次第に朝陽が昇ってゆくに連れ、景色の色は、赤みを帯びた光と青い影から次第に日中の色に変わっていった。長年訪れたいと思っていた日置川とこの道を、2回通る計画で良かった。
7:30、宇津木着。県道36に乗り換え、日置川の谷間から支流の城川へ。こちらでは谷間が狭くなり、山は低く、川幅も狭い。過度にくねくねした薄暗い森の細道は、至って平坦で走りやすいという感じでもないぐらいに少しづつ登っている。しかし、いつまで経っても目立って高度が上がるわけでもない。峠部分で急にきりきり登り始める細道を、紀伊半島南部ではよく見かける。
退屈かというと、全くそんなことは無い。森は深く涼しく、木漏れ日と木々の向こうの川面は対照的にきらきらと眩しい。車が殆どやってこない路上には、サナエトンボがすいすい、カワトンボや蝶がひらひら飛び回って可愛らしい。そしてこんな山奥に人が、という驚きと共に時々集落が現れる。小さい集落には、生活感溢れる民家と共に朝から田植えを始め農作業の方々がいる。朝の農村風景に、何だか嬉しくなる。
森、渓谷、農村を眺め、しょっちゅう脚を停めて写真を撮りながら進んでゆく。かなり長い間そういう時間が続いているように思えた。2007年、17時過ぎとかに驚く程速いペースでこの道を通過している。迫り来る夕暮れを前に詰め込み過ぎの行程をこなし、宿に着いたのは19:50。この辺の風景に魅せられてはいても、憶えているのは「長閑で美しい農村と森だった」という景色の表面だけになってしまっていた。6時から20時前までかけて196km走ったたっぷり感には満足できても、長い間ここは再訪したいと思っていたのだ。
今回毎度の反省をしながら、今日は大附の田圃の脇で脚を停めるとする。路上に伸びた梢が作る大きな影の下、草生す石垣に自転車を掛けて木漏れ日の斑を楽しみ、この道を最大級の晴天というタイミングでのんびり感と共に再訪できていることを、つくづく有り難いことだと思う。
石垣が美しい面谷を過ぎると、深いというより密な森の中、県道36は小さな峠を目指して高度を上げてゆく。森の中稜線を越えると、向こう側の斜度はきりきりとブレーキに手こずるほど、こりゃあ厳しい。こういうのも夕暮れの焦る気持ち以外さっぱり記憶が無い。
森から集落へ一下り、小河内で県道38に合流。合流点で行程は折り返しになっている。「佐田」の看板とGPSトラックが助けてくれた。ここまでの道よりは幅が広い県道38は、周参見からの道だ。2015年に通っていて、暑かったお昼の空気が記憶として残っている道だ。今日はその日より暑いんじゃあないかと思う。地球温暖化は確実に進んでいるのだ。
少し登ってすぐ獅子目トンネルを抜け、9:50下防己着。県道36が再び県道38と別れ、コカシ峠へ登り始めるこの地点で少し脚を停め、お10時の補給食に朝仕入れたおにぎりをむしゃむしゃいただく。
宇津木から2時間以上かかってもう10時前だ。改めて2007年の記録を見ると、コカシ峠から1時間ちょっとで宇津木まで到達している。あまりに焦っていたせいか、確か途中でヒッチハイクしたはず(ツーレポでは書いてない)なので、到達時間はあまり比較にはならないかもしれない。またもやその時の自分が可哀想になってきた。
2007年に比べて時間が掛かっている一方、行程計画にはちゃんと乗っている。というより、この分だともしかしたら12時過ぎには太地への分岐に着いてしまうかもしれない。そうなると太地15時過ぎの線が見えてくる。それなら太地を目指してもいいかもしれない。
次はコカシ峠だ。やや深めの切り立つ谷底、最初は広い幅だった道はすぐ記憶通りの細道に変わった。例によって、坂がどんな具合だったか全く記憶に無い。さっきの小さい峠では、こちら側がかなり急な坂だった。森しか記憶に無いので、また結構な登り坂が現れるのかと構えていたら、峠までは意外に緩めの登りが続いた。しかも、谷底集落の上防己からつづら折れが細かいピッチで高度を上げるに連れ、杉の密林が意外と明るく開放的な雰囲気となり、登ってゆく感を盛り上げてくれるのであった。まあ私の登りが遅いことには変わらない。
稜線に乗り上げると、すさみ町の処分場がネットフェンスの向こうに現れた。そうだ、こういうのがあったんだと、やっと思い出すことができた。
コカシ峠では、江住方面へ向かう県道36から分岐し、これから向かう林道が山間の集落大鎌へと向かっている。コカシ峠が標高400mなので、海岸の江住へはまるまる400m下りとなる。地形図では屈曲した山肌に貼り付いて、一目散に海岸へ下って行くっぽく読める。多分森の中の坂道なんだろうと思う。いつかあっちにも訪れたい。ただ、江住発にしても終着にしても、コースは組みにくそうではある。紀勢本線の江住駅に特急くろしおは停まらないし、昨夜停まった日置と違い、国道42以外に江住に入る道は400mの下り上りを伴う県道36だけだからだ。標高はそう高くないものの、訪れようとすると意外に訪れにくい道かもしれない。
大鎌への下りはやはり森の中。上地で里の端に到達するまで、まあ普通に町道っぽく狭く急な斜度が続く。途中に現れた集落の上地から更にもう少し、開け始めた谷間を下ってゆく。
大鎌はまさに山に囲まれた里だ。集落の中心に南北に道が通り、その道に西側のコカシ峠から下ってくる道と、東側の比曽原から登ってくる道がクランク状に取り付いている。比曽原への道は、古座川へ向かう三尾川沿いではあるものの、途中何故か川沿いの山肌を無駄に登り、また川沿いまで下ってくる。更に下流側へ向かってゆく道だというのに、地形図では途中に黒線の道がある。つまり、大鎌へはどの方面からも細道を登ってこないと辿り着けない。そしてそれなのに大鎌はその中心の谷間、山間ではあっても意外な開けた印象の里なのだ。或いはここも、紀伊半島の隠し里なのかもしれないとも思わせられる。
2007年には大鎌のクランクで、道間違いで北側山中への行って戻ってがあり、20分ぐらいロスした。それなのに、古座川流域から日置川流域へは今回の半分ぐらいの時間で抜けている。まああんなに慌ただしく余裕の無い訪問はもうしたくないとも思う。
そんな思い出のある集落中央のクランクを、感慨深くそろそろと通過すると、南側の角の森に神社が建っているのを見つけた。有り難くお参りしておく。民家はまばらでも、神社は丁寧に手入れされていると思われる小綺麗な雰囲気だ。また来れますように。
次は東側の比曽原へ向かう林道比曽原線だ。
大鎌の外れの茂みから森の中へ、細道は続いてゆく。前述のように谷閧フ三尾川は行く手方面へ下ってゆくのに、こちらの道は杉の森の山腹にぐいぐい高度を上げてゆく。それが意外な位にすぐには終わらない。周囲は底知れない森ではあるものの梢が高く、森の中はそこそこ明るい。あまり根拠の無い開放感は、尚更道の不思議感を盛り上げている。これで行く手が知れないとちょっと不安だと思う。幸いこちらはこの道を一度通っているし、地形図である程度ボリュームも把握できているし、GPSで現在位置をばっちり追えている。
林道は再び谷底へ、三尾川の水面近くまで下っていった。小さなコンクリート橋で対岸へ渡る所が、黒線区間の始まりだったはず。2007年は、確か普通の細道記号の部分とは区別が付かず、あまり意識せずにいつの間にか通り過ぎてしまったことを憶えてはいる。しかし進んでゆく道が黒線区間であることを意識していると、その時より落ち葉や落石が増えているような気もしないでもない。
濃厚な森の渓谷に林道は続いてゆく。細道の上に新緑の広葉樹と濃い緑の杉が涼しい木陰を作り、木漏れ日と木々の間に見える三尾川の渓谷がきらきらと輝いている。淵は青く澄み、カワトンボや蝶が路上にやってきてひらひら飛び回る。
素敵な空間が、くねくねと続く谷間にしばし続いた。またもや、こんな良い道を2007年にはあっという間に通り過ぎてしまったのだことを悔やむ。いや、あの時通れたから今日再訪できているとも言えるとまた思う。結局は、その時その時できる計画をこなすしかない。そして目の前に現れた風景を、その時に有り難く楽しませていただくしかないのだ。
黒線区間の終わりで森は切れ、高い草の茂みが始まった。地形図ではその辺に比曽原の地名があり、少し先で民家が2〜3軒現れた後、辺りは再び森の渓谷になった。もう道幅は普通の細道程度に拡がり、路面に落ち葉も亀裂も無い。
もう少しの間道が谷底の渓谷沿いに続いた後、おもむろに県道39に突き当たった。GPSトラックを見ていないと逆に進みそうなT字路交差点を過ぎ、再び辺りは拡がった。というより谷間自体が拡がって、斜面地ながら田圃と畑が登場。三尾川の集落だ。普通の県道が田圃の中を進んでゆくと道端には自販機も現れ、もうすっかり人里に戻って来たと実感できた。
12:10、田野野で国道371に合流。太地への分岐はもう少し先、あと10kmぐらいか。これだと12時過ぎの大地への分岐到着はおろか、古座到着13時は絶対不可能だ。つまり、ここまで滞りなく進んではいても、想定を超える快調ペースという感じでもない。そしてこの先、国道371に点在する古座川沿い旧道のローラー作戦を目論んではいたものの、目の前の国道371はやはりどう見ても国道だ。さっきあれだけ素敵な森の渓谷に身を置いた後だと、あまりせこく旧道細道を潰してゆく気にもならない。
いっそのこと、もう国道371はさくさく全部通過しちゃって早めに古座に着き、乗れれば1本早いくろしおに乗ろう、と思いついた。確か14時台に1本あったはず。直前なので指定が取れなきゃあ自由席でいいじゃん、この辺だったらまだ自由席でも乗れるよ。と思っていた。この思いつきに、後でちょっと後悔することになる。
田野野から先の国道371は、基本的に拡幅済みの道だ。途中所々で古座川の渓谷へ細道旧道が分岐し、新道は岩山をトンネルでばんばん抜けてゆく。2003年に通った時の印象に比べると、少しトンネルが増えているような気はする。
途中に天然記念物「一枚岩」が現れるのは判っていた。巨大な一つの岩が山になっていて河岸に聳えている、他で見たことがない風景だ。しかしそういうものがあると知って国道を走っていると、この古座川下流域、他にもそういう大岩の山が一杯あるではないか。驚いたことに、大岩は一枚岩だけじゃないのだ。
そして清流で名高い古座川。下流までゆったり堂々と、日置川とはまた少し違う気品と風格に溢れ、拡幅済新道であっても、道からの眺めには退屈しない。古座まで16km、今回の最後を締める楽しい区間となった。
13:40、古座着。捕らぬ狸の皮算用で14時台の特急をあてにしてはいたものの、時刻表を確認していたわけじゃなかった。距離感の無い道なので、いつ古座に着くかわからなかったからだ。
そのため、駅到着後にすぐ駅の時刻表を確認。もともと確保していたのは、太地発15:28のくろしお30の指定だった。それを1本早い列車で帰るために、指定が取れなかったときの安全策込みで、古座発14:05の特急で逆方向の紀伊勝浦に向かい、紀伊勝浦14:46発、予定より1本早いくろしお26に乗るという作戦を立てた。その段階では、紀伊勝浦へは自由席なら料金は500円、いや今時300円ぐらいかもしれない、と思っていた。
結論から言えば、紀伊勝浦では若い駅員さんに大変お世話になり、くろしお26の指定が何とか首の皮1枚で確保できた。そして新幹線も、首の皮1枚で予定より20分早い列車に変更でき、自宅到着は23時半過ぎ、予定より20分早く帰ることができた。20分とは言え、この時間の20分は血の20分である。
しかし、この変更は半分失敗でもあったと言えなくもない。
まず、くろしおは自由席が無い指定席だけの列車になっていた。こういう列車に指定券無しで飛び乗ったために、指定席料金(しかも繁忙期)の1680円を、指定無しで払う必要があった。古座から紀伊勝浦まで30分足らずの乗車のためだけに。
紀伊勝浦では首の皮1枚でくろしお30の指定券が取れたし、くろしおの車内でずっと新幹線エクスプレス予約をいじったら和歌山の手前でのぞみの20分早い変更ができたのは、くろしおや紀勢本線各駅、そして新幹線の新大阪の混雑を眺めるにつけ、幸運だったとしか言いようが無い。それでも結果としては、くろしおで1時間早まった分の40分が無駄だったとも言えなくもない。大人しくそのままくろしお32だったらどうなっていたかというと、国道371の旧道ローラー作戦は可能だったかもしれない。
これが失敗だとすると、最大の原因は、国道371合流時点で列車の時刻と特急くろしおに自由席が無いことを把握していなかったことだ。まあ、古座川沿いの細道への再訪も含め、この経験は次回に活かそう。
記 2024/6/8