浦佐→(★県道58他)後山トンネル→(県道59)菅沼
→(県道388)西枯木又→(県道214)新水→(県道59)★焼野
→(国道252他)木落→(県道326)小白倉
→(国道403)木和田原→(林道)峠→(国道403)大島
→(県道13)大原→(国道405)経塚峠→(市道・林道)朴の木
(以上#-1)
(以下#-2)
区間2
(以上#-2)
(以下#-3)
区間3
km
いろいろと忙しかった2007年もいよいよ11月、頸城が紅葉に彩られる季節である。実りの秋が美味しいこの時期、気温もこの辺りを境に一気に冷え込むため、毎年この辺りを目掛けて頸城秋ツアーを組むのが恒例となっているのだ。
東頸城丘陵の東は十日町、信濃川と飯山線の谷である。この谷と上越新幹線が通る魚沼盆地との間には魚沼丘陵が立ちはだかっている。この魚沼丘陵をパスするほくほく線は、越後湯沢で乗り換えが必要だが、このほくほく線には始発の次の新幹線しか連絡してくれないのである。これでは朝の貴重な時間が1時間も無駄になってしまう。
このため、より早い時間から自転車に乗るために、十日町発が結果的に遅れてでも魚沼丘陵を越えて十日町方面に向かうというストーリーが出来上がる。この魚沼丘陵越えには今まで専ら越後湯沢発のコースを使ってみたが、今回はちょっと目先を変えて、浦佐発としてみた。
8:00、浦佐発。この地方らしい町並みが続く駅前の旧道から、朝霧が残る田圃の細道を辿って、県道58で山方面へ。
道がするすると朝霧の溜まる谷間を登り始めると、すぐに山肌の紅葉が目立ち始めた。
いきなり始まった登りに、何か口実を付けて少し一息入れたくなった辺りで、おもむろにトンネルの入口が登場。
興味を持って眺めていた古めの地図の細道は、見事にトンネルに変わっていたのだ。確かにここまで登ってきた道も、地図の細道とは太さもくねくね度合いも全然違う。おそらくこのトンネルで、地図で読める小さな丘陵越えをくぐってしまうのだろう。
徒然なるままに2つトンネルを抜けると、トンネル出口辺りでいくつかの方向から離合する道に、ようやく位置が確認できた。後山の集落だろう。ならばそろそろ分岐である。
もう道の線形も辺りの景色も地図通り。安心して菅沼から県道388、魚沼丘陵の西斜面を辿る道へ足を向ける。
緩斜面の集落とその間の田畑、森を紡ぐように、細道は水平方向にも垂直方向にもくねくねと、時々太くなったりして続く。
空は晴れたり曇ったりだが、常に青空が見え辺りは比較的明るく、次々と変わる景色を眺めながら時々地図を確認したり、のんびりと気楽な細道サイクリングが続いた。
道がきりきり登り始め、辺りに西枯木又の地名表記が見られるようになると、いよいよこの道のピークである。辺りも開けて眺めが良い。
森の中で下りに変わった道が、やはり森の中をするする抜け、尾根に取り付いて下り始めた。
途中で森が開けて辺りはススキの原っぱに。あるいはかつての棚田のなれの果てかも知れない。
原っぱの外れで上田原の集落へ。更に道はどんどん下って、新水でさっき菅沼で別れた魚沼丘陵越えの県道59に合流。
その県道59もあまり続かず、焼野で更に国道252へ。ここでようやく下りは一段落。
飛渡川沿いに信濃川へと下ってゆく国道252には、国道だけあって当然ながら今までの細道県道より全然交通量が多い。と思っていたら、対岸に黒線細道を発見。その行く先は、信濃川河岸の田圃を通り、多少くねくねしながら信濃川を渡る国道252の橋の方向へ向かっている。
地図の印象よりややスリリングな瞬間もあったが、辺りは基本的にのんびり静か、谷間が開けて拡がった秋空が広々と開放的で、田圃から集落、そして国道117を経由、下条で信濃川を渡って対岸へ。いよいよ東頸城丘陵である
対岸の木落で国道252から県道326へ。
河岸段丘の段差と台地を越え、田圃の中を少し進むと、するすると道が近くの山へ登り始めた。
そのまま道は丘の上に登り、丘陵の稜線上の道となった。何本かの林道と交差しながら道は西へ向かってゆく。
県道だけあって、道はこの辺りではなかなか良いところを通っているようで、所々で見下ろす谷間の眺めが良い。一方で、あんな谷間どうやって行くんだろう、とも思う。いや、谷間のの集落から道があるに違いない。
小白倉からは既知の国道403へ。北側の茅葺き集落へも再訪したいが、いや、今日は先が長い。
一気に谷底に降りると、国道403は未拡幅の細道となり、渋海川沿いにくねくねのたうつ谷間の道となる。
鉱石採掘坑のような小さなトンネル、のどかな集落を抜けてゆく、いかにも東頸城らしい道は、再会の国道252と交差する中仙田で終了。ここに道の駅「瀬替えの郷せんだ」があるが、前回の記憶だと確かかけうどんぐらい食べられたはず。時間は11:45、休憩には申し分無い。
というわけで道の駅の食堂へ。相変わらずメニューはうどんと蕎麦だったが、何だか前回よりは強化されていたようにも思えた。
12:10、道の駅「瀬替えの郷せんだ」発。そのまま渋海川沿いの国道403へ。
渋海川に沿って谷間の道が続く。
狭い谷間に続く農村風景、細道は何とものどかで、さっきの中仙田までの区間とともに国道とはいえ楽しい。東頸城で私の好きな道の一つである。
谷間が更に狭くなって集落が途切れると、つるっとした岩に現れた地層模様が見応えがある。
谷間に続く道はしばらく平坦に近い微登りだが、岩山越えでするする登り始めると、眼下の谷間の景色が圧巻だ。
特に苧島へ下る丘越えは、見下ろす谷間と孟地の集落の風景が素晴らしい。
その孟地で国道403はほくほく街道国道253に合流。交通量では東頸城随一の道が松代までしばし続く。ここでちょっと悪あがきし、犬伏の集落へ足を向けてみた。
しばしの夢のような道は終わり、あとは松代へ。
秋の町民祭を横目に、松代市街地をそのまま通過。
池尻で国道253と分かれ、道は再び国道403単独となって大島へ向かう。
木和田原で国道403から逸れ、北側の山へ続く細道へ。以前2001年訪問時、何かで見た棚田の景観の素晴らしい道とのことで、長い間訪問のチャンスを伺っていた道だ。
きりきり以上の激坂で取り付きを登り切り、何度か慎重に道を選んだ後、辺りが開けて谷底に下ってゆく棚田の景色が現れた。廃田のススキ野が多いのはちょっと寂しい。
ジェットコースターみたいなつきあいきれないぐらいの急アップダウンを、下りの分の勢いを借りた経済走行で乗り切りつつ、道は白いススキの穂の中を抜けてゆく。
星峠の棚田の看板が登場、件の棚田絶景ポイントはこの辺りらしい。と思いつつ、現れた見晴台らしき土手で休憩することにした。
と、これは素晴らしい眺めである。冬中田圃から水を落とさないこの辺り、無数の空を反射した青い棚田が延々と下へ、そして彼方の丘陵へと続いてゆく。
と思ったら、下の方には何度か通ったことがある国道403のつづら折れの折り返しが見えた。うろ覚えの記憶の中からその辺りからの景色を思い出しつつ、そうか、あの棚田のてっぺんから見下ろしているんだな、と思った。
棚田の上っ縁をぐるっと回り込んで縁を乗り上げると、なるほど、星峠と言うだけあって道は下り始めた。
下って現れた集落は峠。また峠の登場だが、今度は国道403の峠である。
中野の集落を抜けながら、するする谷間を下ってゆく道からは、やはり大島の谷へ向けて同じように下ってゆく辺りの斜面集落や棚田がちらちら見える。
その景色はまるで海へ向かって入り組んだ海岸を下ってゆくようで、山間のこの地で何とも新鮮な印象がある。
あっと言う間に標高差200mを下りきり、大島に到着。
もう15時。そろそろ日没を意識したい時間である。というわけで、安塚の谷への丘越えは、一番穏当な県道13へ。
隠し田みたいな棚田の間をするするっと丘を登って下るこの道、丘越えとしては比較的穏当ではあるものの、そこは頸城の道。
斜面に沿った木々の中の細道も、谷間へ開ける展望も、ススキの白い穂も楽しい道である。
県道13を下りきって15:35、大原到着。折り返すように国道405へ分岐、今日の宿がある朴の木まで最後の200m登り返しだ。
だらっと始まって何かじわじわと増えてゆく登り斜度、まるで「当たり前だろう、この辺で坂があるのは」と道にぶつぶつ小言を言われているような気にさせられる。小黒の辺りからその斜度も一気に増した。
間もなく経塚峠。国道405とはここでお別れ、朴の木林道となって道は更に登ってゆく。
斜度が厳しかっただけありここまで登ると見晴らしも良く、さっきまでいた谷間を見下ろす位置に来ていることに気付かされる。そうすっかり辺りは夕方、山影に日も沈んでしまい、谷間の気温はあっという間に下がりつつあった。
棚田、畑、ススキ、紅葉の山々、そして夕方の空を眺めながら、のんびりと朴の木を通過。辺りは次第に暗くなってゆき、何となく気が急くが、もう向かいの山肌に宿が見える位置にいる。登りも残りの行程も先が見えた。のんびり行こう。
16:25、朴の木「カルチャーセンター田舎屋」到着。
一番遅めかなと思いながらの到着だったが、同泊のkiyonagoさん、さんぽさんはまだだった。2人を待つ間に、この季節の楽しみ、宿での早風呂に入ってしまえ。幸いこの宿、檜のお風呂が広々と明るく素晴らしいのである。
夕食も例によってゴージャス。事前に聞いていたとおり今回の目玉はモクズガニ。電話で聞いてぴんと来なかったのだが、恥ずかしながら川にこんなに大きなカニがいて、しかもとても美味しいことを今回初めて知った。他にも鯉の刺身、地場産豚の煮付け(しかもこの身のでかさ!)、そして何より頸城の新米と、幸福の極みである。
記 2008/2/