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2002.6/29
山古志村

長岡→(県道498)宮内→(県道370・市道)横枕→(県道472)村松町
→(県道23)濁沢町→(県道515・林道)風口峠→(村道)虫亀
→(県道23)竹沢→(国道291)中山隧道→(国道291)木籠
→(県道23)南平→(県道24)北荷頃→(県道9)大野町
→(国道290)下樫出→(県道9)上谷地→(国道290)村松 113km

念願の中山隧道でニューサイ写真

 新幹線を降りると、前夜の天気予報「新潟 晴れ・最高27度・降水確率10%」通り、むっと蒸し暑い。おそらく29度ぐらいはあるだろう。天気は青天ではないが、いかにも夏らしいまぶしい薄曇り、吹く風もべとつくような湿気を含んでいる。前日の朝から腹の調子が悪く、体力を消耗するようなこういう天気はちょっと心配だ。

 12:20、長岡発。
 熱風の吹く駅前からのしんどい道を南下し、宮内駅の手前で上越線をオーバークロスして、いろいろと道の辻褄を合わせて何とか県道472に滑り込む。
 平野に拡がる田圃の東端、山の裾野の集落を南下する1本道である。木陰や道ばたの木立の蓄温効果のためか、ちょっと涼しく感じる。交通量も減り、安心してのんびり進む。
 山の方ではもうニイニイゼミが鳴き出しているようで、何かもう夏だなあ、と思わせられる。それもそうだ、もう6月末。来週月曜日から7月なのだ。

 村松町から県道23へ入り、低山を小川に沿って遡る。山の木々、道ばたの草むらの緑が濃い。
 狭い小川沿いの谷間だというのに、相変わらず蒸し暑い。小さな集落がいくつかあってだらだらした登りが続き、濁沢から蓬平へ入って山の姿が間近に近づいてきた。そろそろかなと思ったところで、やはり蓬平の温泉街の途中から激坂が始まる。激坂の途中、蓬平の外れから尾根道へのつづら折れに入る。
 まあ当然のようにつづら折れ取付部の激坂は更に厳しく、杉の木立やなみなみと水が張られた棚田の間をぐいぐい登ってゆく。蒸し暑いところにこの激坂はちょっときつい。が、集落が見下ろせるようになったぐらいのところで道の斜度は多少緩くなった。
 道の脇には棚田や池が続く。池やら空にはシオカラトンボやギンヤンマ、ヤマブキトンボ等何種類ものトンボが飛び、道ばたの花にはヒョウモンチョウが。その向こう、谷間を挟んだ正面の山に、尾根近くの一番傾斜の急な部分の手前まで、びっしりと拡がった棚田が見渡せた。こんなに急な山の斜面がほとんど全て利用され尽くされているのだ。
 地図には無い、いかにもそれっぽい分岐の行って戻ってがあったり、つづら折れが途中でしばらくダートになったり、木陰の少ない暑い峠道が続いた。

 尾根を越え、風口峠へ分岐してから道が下り始めると、山古志村の標識を通過する。すぐに視界が広がり、見下ろす谷間の木々の中に、棚田と集落が箱庭のように拡がった。
 谷底の川から数10m、立ち上がる山の斜度が多少緩くなる場所に、人の営みが集中しているようだ。山々の上の方、木立の中に棚田と農家が点在し、そこから入り組んだ山肌を縫うように細道が伸びている。谷底にも赤錆の浮かんだ覆道の屋根が見えた。読んだり聞いたりして想像していた通りの風景だ。地図を見ると、上の方の集落は種苧原という集落のようだ。
 今日は山古志村の西部を回り、一度村の南端部、手堀で有名な中山隧道を眺めてから、再び東部を北上して、今見える谷底の道を通って種苧原まで戻ってくる予定だ。つまり山古志村をほぼ周回して、あの辺に戻ってくるわけだ。
 ふと気が付くと、集落の外れをロードレーサーらしい自転車が登っている。おお、けっこう速いぞ。

風口峠から見下ろす種苧原の集落

 木々の中をちょっと下って13:45、風口峠着。下って「峠」というのも変だが、さっきの県道23の濁沢の先、山古志村虫亀からこの峠に登る道が延びている。峠を越えた道は眼下の苧川まで一度下り、再び種苧原まで登るのだ。かつての長岡からのメインルートがこの峠だったのだ、と思った。
 峠からは尾根の西側、虫亀までの道を下る。
 西側斜面は今までの谷に面した東側急斜面と違って斜度が緩いようで、ちょっとした意外な広がりに棚田や集落が連続していた。しかし、その下はすとんと谷底まで落ち込んでいるようだ。こういう、谷から急に立ち上がって上の方は台地状、というのがこの辺の基本的な地形のようである。
 緑や棚田、集落の中、山の中腹を等高線に沿って、道はだらだらくねくね下り続けた。

 虫亀で県道23に再会。
 急斜面の木々の間に、民家や学校や商店が寄り集まった集落だ。道は今までの細道よりぐっと幅が広い。谷の行く手には役場もあり、どうやらこの辺が山古志村の中心部のようだ。あるいは田中角栄が予算を付けた道というのは、この道なのかもしれない、と思った。とは言え、道ばたの政党ポスターは田中真紀子&自民党一色というわけではなく、民主党や共産党まで様々である。
 ほぼ等高線沿いに緩やかな下り基調の県道23沿い、山の斜面の途中に集落・役場や商店が断続し、竹沢で国道291に合流。国道と言っても何か雰囲気が変わったり交通量が増えるわけじゃなく、相変わらず緑の中の山村に、時々軽自動車が通るぐらいの道が続いた。

 緩い下りだったのが、竹沢を過ぎると道が細くなり、川沿いに少し急降下した。梶金を過ぎ、下りきってちょっと登ったところで、国道291は山古志村周回コース(?)から南に向かう。手堀で有名な中山隧道に向かうには、この国道291を広神村方面に進むことになる。

 曲がり角から始まったつづら折れで高度を上げる。山古志側最後の集落の小松倉まで、地図でぱっと見た感じのだらだら道の印象とは裏腹な坂道が続く。
 もうひと登りしたところで、山肌の正面にぽっかり新道の中山トンネルが口を開けていた。その隣に、小さな孔口が。中山隧道だ。入口にはオートバイが停まっているのが見えた。
 オートバイの主は中山隧道の番人のようで、「自転車で来たの」と声を掛けてきた。15:20、中山隧道着。

 隧道の中は、入口の近く20mぐらいの範囲に写真やパネルが展示してあった。
「停めてもいいですか」
と訪ねて、孔口の中、壁の脇に自転車を停める。長岡で買ったおにぎりを食べながら、さかんに話しかけてくるそのおじさんの質疑に対応した。
 写真は中山隧道掘削の映画撮影の時のものらしく、映画は今年中に公開されるようだった。何とそのおじさんは、昭和24年に開通した頃の掘削メンバーの一人だったらしい。
 「もうだいぶその頃の人も少なくなって…私だけですかねえ」
というそのおじさんは、トンネルのすぐ手前の棚田を耕しに来るついでに、隧道入口で時間を過ごすそうだ。そこに今日は私がやってきた、というわけだ。話に聞いていた隧道の通行禁止は、なんと通行可能らしい。県が整備して、5月から通れるようになったとのこと。
 入口の雰囲気だけ眺めることができればと思っていたが、それなら往復するしかない。おじさんに挨拶して、ひやっとした闇の中へと進んだ。

 長さ900m弱という中山隧道は、しかしながらしばらくは行く手にあるはずの出口が見えない。地図では直線に見えるトンネルが、内部で少し曲がっているのか。あるいは出口なんか無く、私は狸か何かに騙されただけなのか。長い間暗闇を進むうちに、最初は2.5mぐらいはあったはずの穴の高さは次第に低くなり、ますます不安になった。
 穴の中はかなり涼しく、何かかび臭いようなきつい泥の臭いというか、妙に湿気が漂っていた。長い時間が過ぎたような気がした。進んでも進んでも真っ暗闇が続くうち、穴が多少くねくねした箇所があった。
 その向こうに、実は意外と近くに湿気で霞んだ出口の光が見えた。まあ当たり前だが、あのおじさんは狸などではなかったのだ。人を不当に疑うものではないと、ちょっと反省。

向こう側に出た これがッ!中山隧道だッ!

 広神村側の出口で一息付く。草むらの斜面が切り通しになっていて、出口はその端部にあった。まぶしい外光に蒸し暑い草の香り、ようやくこっち側の世界に戻ってきた気がした。この小さな穴を、60年以上も前から掘り続けた人たちがいたのだ。豪雪に埋まる冬の間、ずっと小松倉の生命線だったのだ。いろいろな人が様々な状況で、いろいろな気持ちと共にこの穴を通ってきたのだ。この穴の持つ意味の重さに、ちょっと気が遠くなるように思った。

 帰りは行きほど長い時間を感じずに、山古志側の出口に抜けることができた。話好きのおじさんの周りには、さっきと違って駐在さんや他の農家の方らしい人がいた。16:05、挨拶をして、再び国道291を小松倉へと向かった。

 小松倉からさっきの道を逆戻りし、県道23を北上する。村の西側から南下して、村の東側へぐるっと回り込んだ形になる。
 狭い谷に断続する集落の中を、一度谷底まで下りきると、南平へ向けてまた登りが始まった。ある程度登ると土地の傾斜が緩くなって急に棚田が拡がるのは、毎度のパターンである。
 南平では、県道の交差点に闘牛の日程が看板で出ていたり、「まぼろしの名牛○○」等という碑が立っていたり、話に聞くとおり闘牛が盛んな様子がうかがわれた。また、養鯉も盛んなようで、棚田の間にいくつもの溜池があり、巨大な錦鯉が水中を漂っていた。
 県道23と24の交差点で、南平へ深入りせずに今度は県道24へ向かう。
 さらに棚田の間を登り詰めると、再び道は東側の谷に回り込み、急斜面を下り始めた。覆道を抜けたところで、見覚えのある景色に気が付いた。昼過ぎに見下ろした、風口峠の谷だった。

 何度ものつづら折れで急斜面を駆け上がるような種苧原へ向かう道はなかなかしんどい。横目で風口峠への林道下りを眺めつつ、つづら折れをのたのた登る。
 種苧原は、山古志村から北側の栃尾市へ抜ける県道24沿いの、最後の集落だ。山古志村では一番まとまった広がりのある集落のように思う。
 周囲の山に囲まれたそう広くない視界には、緩い斜面に拡がる棚田、点在する杉林と民家の屋根。絵に描いたような典型的な山村風景が何とも美しい。一杯に水を張った棚田には稲が勢いよく育ちつつあり、杉の間に見える民家の辺りから夕餉の煙が昇っているのが見えた。

 更に100mほど登って村境のピークを越える。栃尾側の半蔵金にもやはり同じような山村風景が拡がっていた。しばらく下りが続き、山の上から狭い谷間に降りて、断続する集落の中を県道24は更に下り続けた。
 17:40、栃尾発。平野部に向かって下る丘陵地帯を横断しながら、下田村・加茂市と北上を続ける。村松町に入って、大蒲原でちょっと寒々しい風景の蒲原平野が目の前に拡がった。

 19:25、何とか明るいうちに村松着。

記 2002.7/2

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Last Update 2004.7/10
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